超久しぶりに書きたい気分になりました。継続することの難しさは日々感じています。とは言え、日々『教育』と『子育て』のど真ん中で過ごしております。
さて、今日は最近ふと感じたことをまとめておきたい。
進化という視点
最近、上の息子が動物の事典にハマっている。
おもしろい! 進化のふしぎ ざんねんないきもの事典
かなり売れている本なのでご存じの方も多いかもしれない。動物の進化について少し面白い視点で書かれている。
横で聞いていると、動物は環境に適応して、体の仕組みや能力が変化するということがわかるのだが、ふと「これって人間もありえるのでは?」と感じた。
ここ数年というか、かなり前から『子どもの読解力の低下』の話題が尽きないのだが、ふと周りの環境を見ると「そりゃそうやろ。」と思えるような環境が子どもたちを囲んでいる。たくさんの情報が電子化され、文字媒体をわざわざ動画化、漫画化してくれているものも溢れている。動画にしたって秒飛ばしや倍速などじっくり見ることすら許されない。
どこの誰でも「わかりやすく」が求められる『モノづくり』によって、言葉が読めなくたって大外ししない設計になっているもので1日のほとんどが支えられている。
この『環境』がありながら、その力を計られる基準や内容は僕ら世代とほとんど同じ。『読解力』はもはやその子を取り囲む『社会』を変えないと伸びては来ないと感じる。そもそも、この『環境』に適した『内容』や『評価』が求められるのでは無いか。
『娯楽』が増えたよな
子どもたちと話しているとほとんどの子が自由に使える『スマホ』や『タブレット』を持っている。
この2つは、インターネットの便利さをさらに急速に広げたことは間違い無さそうだ。ゲームにしたって、SNSにしたって、そりゃもう僕たちの子どもの頃と比べたって『変化』が凄まじい。僕らだって例外無く子どもの頃は「近頃の子どもたちは…」と揶揄されていた。テレビゲームでピコピコやって…とか言われてたけれど、僕は親の金で買ったメンコを負けたら相手に奪われる遊びをしてた世代の方がよほど健全には映っていなかった。
見たいアニメがいつでもどこでも最初から最後まで配信されていたり、ゲームのクオリティーだって遥かに高くなったりと僕らの子どもの頃と比べたって『娯楽』の量も質も跳ね上がっている。
時間がどんどん奪われていた結果、『どうでもいいこと』に時間を費やすことに対する怖さがある。さらにちょっとした『空き時間』の穴埋めで見始めたYouTubeが本当は何かをやるはずだった時間まで奪っていく。
包丁を初めて使う時、何も気にせず「はい、どうぞ。」と渡す大人はほとんどいないだろう。ただ、『タブレット』『スマホ』は周りの環境や年齢という凄く不確かな要素を理由に「はい、どうぞ。」が起きているのではないか。
子どもに手放しで現代の『娯楽』を抑制することはめちゃくちゃ難しい気がする。
主産物を突き詰める
これは、教師時代にも感じたことなので、学校の中にも一定数ある話なので、『教育』に携わる全ての人に気にして欲しいことなのだけど、『主産物』と『副産物』をきちんと見極めながら『教育』に携わって欲しい。
僕らが『教育』をデザインする時には、常に『主産物』にターゲットを絞って吟味すべきだと思う。例えば、跳び箱の授業をするとしよう。やっぱり、教育者が考えるべきは『跳び場特有の魅力』である。宿題で、『漢字』や『計算』に取り組ませる時も、それぞれの『スキルを身に付ける意味』を突き詰めるべきだと感じる。時々、無意味で無いかと感じるようなことや誰かが異常な苦しみを見せているようなことであっても「これは、いつか努力する大人になるために…」と直接関係の無い『副産物』の方を押し出して『教育』の正しさを主張する人がいる。ただ、何をやるにしたって『副産物』は見つかるだろう。しかし、『副産物』は学習者本人が決めることであって、指導者はあくまでも『主産物』がしっかりと獲得出来るようにして、余裕があれば『副産物』が生まれやすそうなデザインを突き詰めることが必要だと感じる。
言語化が苦手で伝わりにくい部分もあるが、最近はこんなことを考えながら、マイペースに『教育』を楽しんでいる。
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