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19歳、ニュージーランドで半年間ワーホリしてみた結果【仕事&英語事情】

私は2024年5月〜11月末までのおよそ半年間、ワーホリビザを利用してニュージーランドに滞在した(エージェント無し)。「ワーホリって楽しいよ!」なんて言葉を信じて飛び込んだニュージーランド生活。ところがどっこい、現実は楽しいだけじゃなかった。仕事探しに苦戦し、英語に撃沈し住まいも転々とする日々。「これ、サバイバル番組だったっけ?」と思う瞬間も多々あった。

Auckland オークランド
(2024.5/25.16:50)

ただしこの期間、ニュージーランドで仕事をしたり、旅をしたり、大変な思いをしたり、最後の10代にふさわしい充実した日々を送ることができたのは確かだ。

過去にワーホリについて調べたとき、基本的に大卒の人や社会人経験者の情報ばかりで、19歳のペーペーがどう生き延びるのかについての情報は少なかった。だからこそ私の経験や感想をここに残し、これから同じように飛び込もうとする若者の役に立てばと思う。少なくとも「こういう生き方もアリなのか」と笑ってもらえれば本望である。

費用はどうした

ワーホリに行くとなると学生にとって一番の壁はお金の問題。初期費用だけでなく、到着してからの生活費もそれなりにかかる。航空券、保険、パスポート発行…気づけばお札が翼を生やして飛んでいく。

2週間のバリスタスクール9万円
行ってよかったと思う

私はというと、バイトと節約そして「リゾバ」という名の体力勝負なバイトを駆使し、なんとか70〜80万円をかき集めた。まるでRPGの主人公が旅立つ前にアイテムを必死に揃えるような感覚だったが、結果的にこの準備があったからこそワーホリ生活のスタートを切ることができた。

どんな生活をしていたのか

では、2024年の5月から11月末までのワーホリ生活記録を簡単にご紹介したいと思う。

5月:まずはオークランドで2週間バリスタスクールに通い、「ラテアートってこんなに難しいの?」と現実を知る。

スクール時代の初期のアート!

6〜7月:クライストチャーチで1ヶ月暮らし、2つのカフェで働くが、仕事のストレスでメンタルが怪しくなり「これは旅に出るしかない!」と放浪を決意。ちなみに最初に働いたカフェでは店主とバチバチに口喧嘩→仲直り→結局2週間で辞めるというジェットコースター展開。今では苦いけどいい思い出(たぶん)。

7〜8月:南島の山々をバックパッカーたちと登ったり、WWOOFを利用して海沿いに住むおじいさんの家で男5人で共同生活。労働の対価はゼロ円宿泊というワイルドな生活を経験し、現地のリアルな暮らしを体感。

ウェリントンに来てからのラテアート!

8〜11月末:首都ウェリントンでカフェの仕事を再スタートし、ようやく落ち着いた生活へ。しばらくは「旅人」ではなく「市民」として生きることに(移民か)。

こうして振り返ると、まるでシーズンごとにジャンルの違うドラマを経験しているようなワーホリ生活だった。

行ってから感じたこと

では、19歳のペーペーが実際に行って、半年間ニュージーランドでサバイブして帰ってきてから改めて感じたこと、感想を書いていく。

日本をもっ.....と好きになった。

「日本最高!!」とまでは言わないが、「やっぱり日本、いい国じゃん…」としみじみ思うことが増えた。日本で当たり前だったことが、海外ではまったく当たり前ではない。例えば、電車、バスが時間通りに来るなんて奇跡レベル。スーパーの店員さんが「いらっしゃいませ」と笑顔で迎えてくれるのも、海外ではなかなかお目にかかれない(最悪の場合、客が店員に「Hi, how are you?」と言わないと無視される)。

スーパーNewWorld ティーの品揃えが良かった

そして何より、日本食の偉大さに気づかされた。ニュージーランドのスーパーで売っている「寿司」なるものを食べたとき、「これは…おにぎり?」と脳が混乱した。文化の違いは当然だけど、肌で感じるとありがたみレベルが爆上がりする。

意外となんとかなる

最初は仕事が見つからず、「このままでは餓死して日本に強制送還か…?」と毎日不安だった。でも毎日履歴書を配り歩いたり、メールやウェブサイトから大量に応募をして面接をこなしたらいつの間にか仕事をゲット。

ニュージー初バイト先 休憩場所がお洒落

メンタルが崩壊しかけて仕事も家も手放したクライストチャーチ時代も、最終的にはウェリントンで仕事と家を見つけ何事もなかったかのように落ち着いた。「意外となんとかなる」ってこういうことか、と身をもって実感。どこかの不登校少年が人生は冒険や!と言っていたけど本当に行動さえすれば道は開ける(彼は現在「人生は勉強」と言っていると聞き、ちょっと感動した)。

英語ができないと話にならない

ワーホリで「ホリデー」だけ楽しむなら別にいい。でも現地で仕事をしながら生活するとなると、英会話力は必須。

英語が足を引っ張って仕事が決まらない知人を何人も見た。かくいう自分も、出発前にオンライン英会話+対面レッスンで準備していたものの、現地のナチュラルスピードの英語に最初は爆死。それでも、高校時代に必死で詰め込んだ英語知識を実際にアウトプットできたのはよかった。

どんなふうに生きてもいい

日本にいた頃は、「高校→大学→就職→結婚→安定」みたいなルートが「普通」だと思っていた。でもニュージーランドで出会った人々を見て、「生き方って無限にあるんだな」と実感。

• 大学進学前に世界を旅している18歳のフランス人少年
• 永住権を持ちつつニュージーランドを気ままに漂流している日本人女性
•学歴社会に疲れ、料理人としてニュージーランドで第二の人生を歩む中国人
•60歳でニュージーランド人と再婚して、のんびり暮らしている日本人

みんな違って、みんないい。日本では「普通じゃない」と思われる生き方が世界では全然普通だったりする。そんな話を聞くたびに視野が広がり、固定観念がぶっ壊れていった。

迷ったけれど挑戦して良かった

正直、ワーホリに行くと決めたとき、めちゃくちゃ迷った。「周りはみんな大学生なのに、自分はこんなことしてて大丈夫か?」と焦燥感に駆られたこともあった。でも半年を終えて振り返ると、あの時ニュージーランドに飛び込んだ自分、本当にありがとう、と心の底から思う。もし行かなかったら、一生「もしあの時…」と悶々としていただろう。これからも迷ったら挑戦。なぜなら、意外となんとかなるのだから。

ウェリントンでお世話になったカフェ
別れのハグでちょっと泣いた


こうして19歳のペーペーは半年間のワーホリを終え、少しだけたくましくなったのであった。

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