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夢のはなし… ②



男か女かはどっちでもいい



ミー坊役、のんさん曰く

『男か女かはどっちでもいい』という貼り紙を見て、純粋にお魚が好きなミー坊を演じればいいんだと思いました。



歌舞伎の女形、宝塚歌劇など、性別の枠を超えた自由な表現も、好きを貫く、好きに勝るものはない…なのかもしれない…


この映画には、様々なメッセージが、きめ細かく練り込まれているようだ。

「好きを貫く」とは、気まぐれなわがままを通すことではない、とも教えてくれる。

それはミー坊に、なぜか引き込まれてしまう不良たち…、「変わんねえなぁ、おまえ」と言う総長(磯村勇斗さん)の言葉からも伝わる…



さかなクンの故郷、舞台の房総(千葉)は、馴染みの懐かしい場所だ。

漁師町の「◯◯高校はさぁ~〝ワル〟ばっかりだっぺさぁ~」…などと聞いたのだが…、まあ、どこも似たような時代だった…

おとなしくオトナの言うことを聞いて、お勉強して、成績上げてくれれば、親は安心だ…

でも子供は、

そうはいかねぇ…

反抗期ってやつさぁ…

世の中のいろんなことが分かってきて、疑問や理不尽さを感じると、無駄だとわかっても反抗する。

成績優秀な東大生でさえも…

あの『全共闘』は、受験勉強のために
〝遅れて来た反抗期〟だったのではなかったのか…?




ところが反抗的にはならず「お魚さんが好き」で唯我独尊なミー坊が、不良グループにしてみれば、不思議でしかたない。



殺したんじゃない

シメたんだよ!




でも大好きな「お魚さん」を、踏み潰されたミー坊は、カミソリモミ(籾山:岡山天音さん)に怒る。



お魚さんに謝れっ!



そんなチンケな(小さな)カミソリで、お魚さんが捌けるもんか…、と言いたげなミー坊は、籾山の仲間、旧友の狂犬ヒヨ(柳楽優弥さん)を、八極拳のチンナ術のように腕を逆手に取って〝シメ〟あげる。



お魚さんの仇ならば、籾山をシメるハズだが、親友だったヒヨの



知らねぇよ

てめえなんか



への意趣返しなのか?

でも、籾山へのお返しもシッカリ忘れていないけど、カミソリ籾も、結局ミー坊にリスペクトしてしまう…

反抗的ではなくて、一本スジが通ってる(好きを貫く)ミー坊に、不良たちは惹かれちゃうのかな…?


殺したんじゃない

シメたんだよ!


シメるには、愛情が必要なのだ…


大好きな〝お魚さん〟を殺すんじゃなくて、〝シメる〟こと…
ミー坊が捕獲した大タコをシメた父親が教えてくれたのだ。

ミー坊の〝好き〟に、とことん肯定的で、やさしく見守るお母さん(ミチコ:井川遥さん)と、ミー坊を〝普通〟の子に育てたいお父さん(ジロウ:三宅弘城さん)

もはや父親の権威とかじゃなくて、アウトドアファミリーのリーダー、カッコいいお父さんだ…

そして、タコをかじる子供たちには、暖かい〝多幸感〟が溢れていた…



パターナリズムとは…



ミー坊の父ジロウが、パターナリズム(父権主義)、母ミチコがマターナリズム(母性主義)の象徴だ…、なんて言うつもりはない。

ただ「良かれとした過干渉…」が、パターナリズムの定義だとしたなら、当たらずといえども遠からずではないのか…

映画『Ribbon』では、いつかの母親が、パターナリスティックだった…

父権主義が父親の特権ではなく、男でも女でも、どっちでも起こり得る、ということだろう…

家庭におけるパターナリズムなんて、とっくの昔、漫画『ダメおやじ』の時代から喪失していたかもしれないが、いまだに外の世界〝政界〟や〝企業体質〟には根強く残っているんじゃないのか?



父権主義を〝悪〟と決めつけるつもりはないが、従来の保守的なピラミッド構造の中で、トップダウン式の指示待ちで動く時代から、個人が自分の感性や知性を信じて、主体的に動く、個の自由尊重の時代へ変わるべき、と思うのだ。



そのキーワードは

「好きに勝るものはない」

なんだと思う…



もちろん「好き」の価値観は、人それぞれ…
歯をトコトン削りたい歯医者(豊原功補さん)の〝ワンダー〟と、ミー坊の理想は「趣向が異なっていた」というだけで、自分の「好き」も、他者の「好き」も、どちらも尊重されなければならないだろう…



私はどうしても、のんちゃんファンの目線になってしまうので、随所にのん出演作品へのリスペクト、オマージュ的なものを妄想してしまう。



なかでも『あまちゃん』は、ハズせない。それは、以前の記事でも書いたアキとユイの関係だ。

アイドルになりたいユイは、将来の自分のファンの〝需要と供給〟まで計算しているビジネスライクな女子高生だが、一方アキは、海女、潜水士(種市先輩)、アイドル…と、ちょっと移り気だが、ひたすら自分の〝好き〟を優先に生きている。

足立家のディナーで、ステーキが出される場面。県議会議員の父親は、ぶらぶらして定職に就かないユイの兄、ストーブさんをビンタする…〝父権の破綻〟が痛々しいが、ここでも、極端なパターナリズムを目撃した。

でも、こんな修羅場でも、ステーキを完食するアキは、やはり〝スキ〟に生きる女の子なのだ…




そんなアキの純なイメージは「私しかいない」ミー坊役に、違和感なく継承されているようだ。

アイドルといえぱ、元AKB48のメンバー、ぱるること、島崎遥香さんがヒヨの恋人として登場する。

〝可愛さ横綱級〟の二人、のんとぱるるに挟まれた、ヒヨ役の柳楽優弥さんが羨ましい…

このディナーのシーンは、ひとつの見せ場だと思えるが、なぜか私にはミー坊が〝のん〟自身としても見えてしまったのだ。




それは、ヒヨの恋人との辛辣なやり取りからも感じるが、その背景に、業界の力関係…それは、あまちゃんでも視た、太巻の事務所と、アキと春子が立ち上げたスリーJプロダクションにも描かれていた。

アイドルになりたかったユイは、ミー坊の幼馴染みモモコ(夏帆さん)のように、一時はやさぐれたりしたけれど、結局アキと『潮騒のメモリーズ』でタッグを組んで、地元から出ないと決意する。




中座して帰ってしまったヒヨの恋人…

そして乾杯し直すヒヨとミー坊

気のせいか、恋人とは乾杯の仕方がちがうような…

そしてミー坊とヒヨ、この二人が、ほんとの恋人同士のように見えて…

いろいろ迷いながらも、結局「変わんねぇ」ミー坊から離れられないヒヨに、アキとユイが重なって見えたのだ…

変わんねぇミー坊が、周りを変えてゆく…

春子が言った「変わってないよ…アキは。…みんなが変わったんだよ。」を想う…

カミソリ籾も、変わった。
ミー坊のお陰で…

そして、ラストの母ミチコの台詞に、ハッとさせられる。

マターナリズム(母性主義)も楽じゃないのよ…、みたいな。

この映画、ストーリーがスゴくしっかりしていて面白いのだ。

籾山や母ミチコの、キメ台詞が、みごとな伏線回収になっている。


何て言ったか…?

それは、映画館で観なければ、面白くないですよね…☺️💦

CHAI 「夢のはなし」
映画『さかなのこ』主題歌