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明けました!下剋上元年

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映画『わたしにふさわしいホテル』を観て

公開初日の12月27日に観に行ったけど、今日も観てきた。

自分はのんちゃんの大ファンなので、のんちゃんご贔屓(ひいき)の感想になってしまうのでご承知おきを…

新たな映画を観るたび、この監督はのんちゃんのファンなのでは…?と思うほど、のんちゃんの魅力が余すところなく引き出されている。

この映画も例外ではなく、堤幸彦監督によって、のんちゃんの天才コメディエンヌとしての実力が爆発している。

のんちゃんは一見、軽いノリで演技しているように見られる向きもあるようだが、実はこの人ほど監督が望む役の意味を掘り下げて、緻密かつ正確に演じている俳優はいないのではないか?

文豪コールは無形文化財か?


目の動きや、箸の持ち方、ひとつひとつに意味があって、感情によって目の色まで変わっているようにさえ見える。(瞳孔の開き方で、反射光を調整できるのでは?)

のんちゃん自身が「悪い役で天下を獲る」というとおり、主人公の加代子は確かに「ワルい女の子」なのだが、それはシリアスな悪さではなく、ひたすら笑わせるネアカな悪さだ。

(たしか80年代にネアカ、ネクラという流行語があったはずだが…)

1980年代という今よりもっと男尊女卑的な権威が支配していた時代だからこそ、「売れる」ために奇想天外な裏技を仕掛ける。

その爽快な「したたかさ」にも共感する。

主人公の中島加代子(演:のんちゃん)は、『相田大樹』のペンネームで新人賞を受賞したものの、文壇の大御所、東十条宗典(演:滝藤賢一さん)の酷評で泣かず飛ばす…

その東十条に、加代子は様々な〝変装〟を繰り返しながら「仇討ち」を仕掛けてゆく。

その変装は「借り物を利用する」という加代子の小説家らしい見事な機転、発想の豊かさを、ファッションモデル・アーティストのんによって、コメディエンヌアクション全開で絶妙な〝擬態〟が表現されてゆく。

レビューには、「顔バレしないのか?」という、なかなか辛口なコメントも見られるが、様々なコスチュームで迫る加代子に、東十条も見惚れて目が眩んでしまった…(観客の自分は、まちがいなく見惚れているのだが…)

そして復讐劇を、承知で楽しんでいる東十条と加代子の、ちょっとエッチな〝心理戦〟賭け引きも面白い。

東十条の妻、千恵子を演じた若村麻由美さんをして「ハッとなった」と云わしめるほど、のんちゃんの和装が美しい。

こんな可愛くて美しい〝小悪魔〟に攻められたら、小説を書いているより楽しいだろう。

舞台は、有名小説家が執筆に集中するために宿泊(カンヅメ)したという駿河台の『山の上ホテル』

原作者の柚木麻子さんが、その「カンヅメ」に憧れて、自腹で宿泊する駆け出しの女性作家の物語を書いたのは2013年らしいが、2024年に老朽化により休館となり、タイミング良く映画化に寄与したのであろう。

そして、ホテルを愛用したという三島由紀夫の〝雄叫び〟が、なんとのんちゃんの声で響いてくるのだ。

どのシーンだとはネタバレになるから書かないが…

のんちゃんはどこまで〝昭和〟を再現してくれるのだろう…という密かな感動が沸き上がる。

Netflixで視た映画『東大全共闘VS三島由紀夫50年目の真実』について過去記事で書いたこともあったが…

『三島事件』や『安田講堂事件』のリアルを体験していない自分には想像もできない。

昭和を知らないのんちゃんならば、なおさらなのはずだが〝昭和の再現力〟とリスペクト感がハンパない。

田中圭さん演じる学生時代の先輩、遠藤道雄は加代子の編集担当としても頼もしい存在だ。

また、映画『私をくいとめて』以来の橋本愛ちゃんとの共演が観られるのも嬉しい。

加代子を上から目線で値踏みしてるようなカリスマ書店員の須藤は、突発的な事件解決を見せた加代子の〝男気〟に豹変リスペクトしてしまう。

いずれ遠藤の助けにも見切りをつけ、ひとりで闘争してゆく加代子。

のんちゃんがいう「自分を信じきっている人」とは、こういう人物だろうか?

そんな「強い女性」加代子に共感する東十条の妻千恵子が爽やかだ。

3月には、柚木麻子さんの小説『早稲女、女、男』が『早乙女カナコの場合は』という題名で映画化され、今度は文壇の大御所となった有森樹李(のんちゃん)と、新人編集者の早乙女カナコ(橋本愛ちゃん)が共演するそうなので楽しみ。


昭和の雰囲気が味わえて、「下剋上」という縁起のよいテーマで初笑いできる〝新年にふさわしい映画〟なのだが、現実の世界においては、昨年の後半あたりから米国大統領選や兵庫県知事選挙などの結果に、これまでとはちがう風向きの変化、世の中の「下剋上」が予感されるのだが、それについては、後の記事で書きたい。