君という光の最大角度は
てれさPandA発見とか言ってるオタクいなかったのかな
こんにちは。
記事のサムネイルくらい太陽が眩しい季節、子供の頃はこれぐらいの時期になると、夏休みの宿題ヤバくはないけどヤバい、自由研究のネタなくはないけどない、と切羽詰まっていたと思う。
こと自由研究においては、私の場合、当時Eテレで放送されていたMITのおじいちゃん教授の「虹という現象」に関する講義が面白くて、自由研究の題材として中学と高校で(環境に優しく)使い回していた。
その講義で説明されていた虹のメカニズムは未だにはっきりと記憶に保持されている。
私たちに虹が見える条件は、①雨上がりで空に膨大な量の雨粒が存在し、②なおかつ私たちの後ろ側に陽が出ているときに③地面から40〜42度の角度で空を見上げていること。
太陽からの光が雨粒に到達すると、雨粒の内部で屈折・反射するが、色(波長)によって屈折率が異なることから、光が様々な色に分かれることになる。それぞれの色の光は、色によって特定の角度である最大角度(虹角と説明されていることが多い)までの範囲をとって、雨粒から出ていく。具体的な例を挙げると、赤色の光の最大角度が約42度、紫が約40度となっている。このような角度のズレによって、私たちが40〜42度で空を見上げた時に、虹が7色に分かれて見える……
この辺りまで書いたところで、清宮レイちゃんの名前の由来が別に「Ray(光)」ってわけでもないらしいことを知って軽く絶望しているけれど、ここで立ち止まると冬休みになってしまいそうなので、なんだかんだで書きそびれていた、舞台『鴨川ホルモー、ワンスモア』の感想からレイちゃんの卒業に寄せて書いていこうと思った。
(夏休みとか言ってる。8月中に書き終えられなかった記事だ…!)
『鴨川ホルモー、ワンスモア』感想
京大に入学した主人公の安倍が「京大青龍会」なるサークルに導かれ、そこで千年の歴史を持つとされている謎の競技「ホルモー」に身を投じていく物語。私はホルモーという競技をご存知ではない状態(それはそう)で千穐楽公演の配信を視聴した。以前、田村真佑ちゃんが出演していた舞台『たぶんこれ銀河鉄道の夜』が、題材(と音楽ジャンル)が個人的にど真ん中だったこともあり、スポーツ(?)物のお話も同様に楽しめるか若干不安に思っていたのだが、いざ始まってみると安倍たちのように躊躇いながらも世界観を(ある程度は)味わうことができた。まさに「青春と恥の物語」で、お互いに恥ずかしさをシェアした、その内側で見える景色が面白かった。アーカイブで2回目を観たときに新たに気づいた点も多かったが、オンライン視聴の集中力なんてそんなもの。
清宮レイちゃん演じる楠木ちゃんの少年のような眼差し(なぜか鉄腕アトムを想起した)が印象に残っている。よく通る純朴な声にはコエカタマリンでも固まりきらなそうな瑞々しさがあった。喋り方が少しぎこちなくてタメ語の比率が高めな点と合わさって、不器用でまっすぐな楠木のパーソナリティを感じた。
そして、あんなにメガネの奥から人に向けてはいけない絶対零度な視線を向けていた楠木ちゃんが物語終盤にかけて感情を表に出すようになり、ラストシーンで放った決め台詞「勝ち筋まで、くっきりと!」はそれはもう自信に満ち溢れていて(何手詰めでも解いてしまえそう)、その矢で一気に射抜かれたと思う。
劇中で楠木と結ばれることのなかった松永のセンスが好きだった。通好みの地味な笑いで、その温度感が楠木ちゃんのぶった斬られる感じも心地良かったんだけど、冒頭の鴨川の土手が真っ二つに引き裂かれる場面でこうなる運命は決まっていたのかもしれない。でも安倍に優しい楠木に告白するも思い切りよくフラれた場面での松永のチャップリンは腹から笑えて、サムズアップまでの逡巡で拍手笑いも起こっていたから、まぁそれで報われた判定でいいでしょう。
京大を舞台にしたお話だけあって攻撃的な立て看板などの(伝わりやすい)ベタな京大ネタもあり、実際ちゃんとウケてた。実在の地名が随所で登場することで物語の世界観が現実世界と地続きに思えて、そこが「京都」のじめっとした生々しさを感じた部分でもあった。彼らのモラトリアムがよりリアルなものとして映ると同時に、個人的には自分の大学生活もより良いものにできたのではないかと考えてしまった。
ねじ込み自分語り(と坂道語り)
これは『夜は短し歩けよ乙女』を読んだときにも思ったけれど、私自身、京大らしい文化に能動的に触れてこなかったのは本当に勿体なかったなぁ…と改めて感じる。いや、実際はそんな脚色と競り合えるほどの体験は得られなくて当然なのだが、ここまで様々な作品でキャンパスライフを魅力的に描かれてしまうと、もっと充実した期間にできたよなぁと後悔の念も湧いてくる。
構内マップに見覚えがありすぎる
『ホントの時間』とかを聴きながら歩いていた陽の落ちた百万遍交差点が懐かしい。大学から効果的なお勉強の方法論がまるっきり変化することを理解していなかったから、主体性が足りずに苦戦を強いられていたと思う(平成の学校教育が生んだ傑物)。もっとうまくできたな〜〜
後から聖地巡レイもしたよ(見れないリンク貼っちゃってごめん。note書くの遅すぎてブログクローズしたの面白い)
従順なオタクなのでマウスのパソコンとはるやまのスーツで揃えていたし、別にそんな従順でもないので翌年には普通に日向坂に乗り換えていた。ラジオが好きになったのはその手前ぐらい。レコメン(終了した番組)とかANNの影響でメール送りつけアディクションになったのは良くなかったのかもしれない。
その守衛さんのノリをマジで知らない
普段から私のnoteを読んで下さっている皆様なら、私がHuluで乃木坂4期生の番組を観て復帰勢になり、なんやかんやエンジョイ勢していたところ例の演出家のパワハラ騒動にぶつかり、その後、乃木坂からフェードアウトしたかと思われたところ、驚異の惰性で良さげな4・5期生コンテンツとかを今でも食い漁っていることはご存知だと思う。
でも、まさか乃木中が習慣から姿を消す時が来るなんて……「可愛すぎる齋藤飛鳥まとめ」みたいな20分ぐらいの動画が上がっては消えていた時代が懐かしい。無断転載のトレンドも変遷していくんですね。最近だと松尾さんの顔文字のショート動画ぐらいしか観てないな☹️
やっぱり『乃木坂どこへ』が観たい。乃木坂配信中でやってたレイちゃん最後の4期生配信も、前半のまばらに夏を満喫していた時間が良かった。アナーキーで豊かな時間だとしみじみ感じていた。乃木中じゃないんだから、そんな"番組らしく"整列する必要ないでしょう、と思った。
何回か記事を上げていた櫻坂46は色々あって追わなくなったが、森田るんちゃんとか保乃ちゃんは画像だけチェックしているのだからどうしようもない面食いだと思う。ゆーづも3期の中だと頭ひとつ抜けて可愛いからちょっと追ってる。ラヴィットの足ツボ回以外はそんなに似てないと思います。
日向坂はバラエティやラジオが面白いというモチベーションだけで追っかけている。トップがだらしなくて久美さん含めた中間管理職がかわいそう。今野さんからの寵愛とは言わないまでも最低限の分析・評価ぐらいは欲しかったね(坂道白書)。
いまだ言語化されていない日向坂の最後のキーワードは「ユニーク」で、それが若林正恭もとい日向坂で会いましょうであり、君はハニーデューだと思っている(「ポップ」は前提)。
センター格の推しが卒セレ扱いで気持ち切れちゃった。余計な事までラジオも終わってしまって私は本当に終わり。
清松の乃木談
私にとっての総レイちゃん摂取量が最も多かったのが、TOKYO FMの『乃木坂46の乃木坂に相談だ!』(乃木談)だ。
今でこそ一週間のお楽しみ、人里で摩耗した心を癒す大切なラジオになっているけれど、初めの頃は日向坂の番組(それが余計な事まで)のオマケ感覚で聴いていて、何なら二人の声も聞き分けられないレベルだった。開始当初の放送を聴き直してみると倍速再生を疑うスピード感で話していたのでアマチュアには判別が難しい部分もあったのかもしれないけれど。
とにかく心地良い時間だった。非凡な感性で切り取られた日常が「上質なあるある」に近い性質を持ち、素朴な幸せを得られるのは大きな発見。
レイちゃんを切り口に番組を振り返ると、初期のレイちゃんの印象はパブリックイメージの通り快活ガールで、帰国子女ならではの感覚や、海外での豪快なエピソードが特に刺激的だった。流暢な英語で松尾さんを置き去りにするお決まりのくだりが懐かしい(逆に今の松尾さんが英語に関心を抱いているのはエモい)。
他には、どこを切り取っても表情豊かな喋り(メール読みでも顕著)が魅力的だった。そのときの自分の感情を大事に、心に従って素直にリスナーを切り捌いていく姿も等身大。恋愛エアプなのに恋愛相談にやたらと積極的なのも等身大で、その後自信をなくしちゃうのも等身大だと思う。
そんな1/1な彼女は放送回を通じて、さらに人間味のある(めんどくさい)部分を感じ取れるようなトークが増えていった気がする。映画館で隣に座られるのが嫌(#96)だったり、ガチで最終回を観れない(#118)みたいな、影の部分をさらけ出す瞬間が見られるようになった。
一人行動トークも楽しかった。両国国技館に相撲観戦に行った話(#150)は素敵な出会いがしみじみと良かった。渋谷で(恋人から貰ったであろう)薔薇を投げ捨てて踏んで帰った女性を見た話(#135)も面白かった。なんか人間味に出会える星の人なんだなぁ。その話はスタジオでぐるぐる悩むレイちゃんに対する美佑ちゃんの「そこはちゃんとレイちゃんが後ろから『落としましたよ!』って渡しに行かないとダメだよ笑笑」があまりに意地悪で好きな一幕だった。
去年はミーグリの清松レーンに参加したのが懐かしい。模範的リスナーだから律儀に「半蔵門」してた。私は昔から乃木談に細々とお便りを送っていたが、今年は謎の異能を発揮してAuDee版パートでのみいくつか採用されていた。何で??
乃木坂4期生のラジオ全般に言えることだが、乃木談は4期生エピソードが豊富なのも嬉しい。4期生大好きっ子ちゃん、素朴でポップでキュートな4期生コンテンツがエンタメとして一番素晴らしいと本気で考えているので、4期生のことになると心が踊るのです。そんなのはただのエコーチェンバー、サイバーカスケード、フィルターバブル、などなど、お好きな揶揄をどうぞ。4期生ファンでAuDeeを漂流しようぜ。
(乃木談ゾーンだけ分量がおかしいし、おもしろ放送回セレクションみたいになってる。ホルモーの感想を書こうとして、でもここ数ヶ月140字に満たない記事でnoteをおサボりしていたから書き方を忘れてしまって(別に心得ていたわけでもない)、そのまままごついてたらレイちゃんの卒業が発表されて、大好きな乃木談からも卒業すると知って、悲しくて、確かに心の拠り所になっていた清松の乃木談への思いを残しておきたくて、こういう記事を書こうと思ったんだね)
『車道側』アンダラ
あやめんの格調高い(将棋クラスタ御用達の形容詞)センターの35thアンダーライブは、セトリ自体は正直渋めだったけれど、要所だけは押さえられていた印象(メンバーが最高だったので選曲問題さえ解決していれば…と思う)。本ライブの骨子であるあやレイと清松でヒモが付いていて、将棋の美濃囲いのように美しい連結が見事だった(銀金金。真ん中の金がレイちゃん)。
CDは買っていなかったから、これが実質レイちゃん卒業セレモニーだなぁと思いながら観ていた。松尾さんも泣いてたし。一貫してレイちゃんの求心力に誰も勝てない回だったのが良い(Againstは戦闘力の高い曲)。いやでも本当にライブの収束が綺麗だったなぁ……
ところで、冒頭で紹介した虹のメカニズムには続きがある。というのも、例えば太陽光が水滴に到達した際に、赤色の光が最大で約42度、紫色の光が最大で約40度の範囲をとって反射するということは、約40度の位置から見たら赤と紫の光が混ざり合って、白色に近づいてしまう(図では一本の入射光しか描かれていなかったが、実際は様々な高さから光線が入射するためそれに応じて水滴から出てくる角度が変化するイメージ)のではないかと考える人もいるかもしれない。
しかし、それぞれの色の光が特定の角度で圧倒的な輝きを放つようになっている(実はそれが最大角度)ため、約40度の位置では紫の光が卓越して観測され、薄まってしまうことはないという仕組みになっている。一安心。安心したのでおわり。
(1)Wikipediaを参考文献みたいな感じで載せるな
(2)引用したオリコンニュースの記事
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