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17年間の思い出

2021年4月22日(木)
愛犬が旅立った。17歳。ほぼ18歳になる歳だったし人間で言うと90代。
かなり長生きしてくれました。
2年ほど前から腎臓を悪くして、病院通いだったけれどそれまでは必要なワクチンを打ちに行く以外ほとんど病院に行く事もなく本当に飼い主孝行な犬だった。

私が18歳、高校3年生の時に親友の姉の伝で我が家に来た。
この年、我が家にとって不吉な事やとんでもないことがたくさん起きていた。

反抗期真っ只中だった私。
三姉弟の中でダントツ反抗期が一番強烈だった私。その真っ只中なので勿論(?)学校もサボる。サボって家で寝ていたらまさかの空き巣が入ってきた。
私はそんな事にも気がつかず自室でダラダラしていた。

空き巣、と言うか泥棒は私の部屋を覗いて(私の部屋の前で足跡が止まっていた)びっくりして逃げていったので、警察には『本当に逃げてくれる泥棒でよかったねぇ。鉢合わせなくてよかったねぇ。下手したら○されていたかもしれないし。』と言われたし不幸中の幸いにも窓ガラスを割られただけで、他の被害はなしだった。

そしてその翌月、家の前が大火事になった。
これもまた、私は夜な夜なキャッツアイの如く家を抜け出して友達の家でダラダラし窓を開けながら漫画を読んでいた。

『何かパチパチ音せーへん?』

焚き火みたいな音がするなぁと不思議に思いながらその場の友達に言ってもみんなウトウトしたり、漫画に夢中だったりで誰も聞いちゃいない。

『何かやっぱ変な音するて』

とか何とか、相手にされないまま言ってたら携帯に母から着信。
反抗期なので勿論(?)出ないのですが、母からメールが入り

『家の前火事やから帰ってきたあかんで』

えーーーー!!

ってかまぁ今おる家もすぐそこなんやけど。と思いながら当時友達の家には屋上があったので上がってみると目の前は真っ赤。
こりゃやばいやつや。
勿論反抗期なんで、来たらあかんのおかんの忠告も無視しそっこーでチャリで見にいく。
あんなに燃え上がる炎を見たのは初めてで鬼のような反抗期娘でも『やばい、家大丈夫か。』となりました。結局家は大丈夫だったのでその後も絶賛反抗期は続き。。。

そして、泥棒が入った時に警察の調べとか何とかで、犯人は事前にかなり家の間取りや不在時間帯など念入りに調べていたんだろうことがわかり、両親はまさかうちが空き巣に狙われていたなんて‥状態。
不吉な事が続き、色々考えた結果番犬になるであろう犬を飼おう!って事になり(?)昔に犬を飼っていて亡くした悲しみを知っている父は2度と動物は飼わないと決めていたので最初反対したもののなぜか簡単に押し切られ飼う事に。
そんなタイミングで親友の姉がペットショップをオープンするって事で、相談したら知り合いのブリーダーさんが譲ってくれる事になり。

そんな理由やら経緯やらで我が家にやってきたのだ。

あんなことやこんなこと、見てたんかな?って思うほど家族以外が家に入ってこようもんなら鬼のように吠え、アキレス腱をチミッと噛む犬でした。
何なら4年近く我が家に毎日通い続けた元彼にすら毎日吠えていました。

家族が喧嘩しようもんなら、ガウガウ言いながら仲裁に入り、手を出すもんがいたらその手を狙って噛むふり(優しい)して止めて、とても平和的な犬でした。

私の反抗期は高校を卒業しても勿論(!?)続き、そんな私が家でキレ散らかすと恐ろしい怒りの波動を感じるのかいつもケンカの仲裁をするのに、仲裁どころか心臓をバクバクさせ、部屋の隅の方に逃げ、震え上がっていたのは忘れもしない。雷が大嫌いな犬でしたが、雷が落ちる時と私がキレ散らかしてる時の犬の様子が同じだったのであんな波動を出してたのか。。。と思うと本当に強烈な反抗期だったんだな、と両親に申し訳ない気持ちと、私の遺伝子を引き継いでいる娘があんな反抗期娘になったら・・と想像するだけで末恐ろしいです。

そんな私の青春と強烈な反抗期暗黒時代、そしてそんな娘にお手上げ状態な両親、特に母は何度も病んだだろう心を癒してくれていたのは他の誰でもない愛犬だったに違いないと今改めて思います。

何とか暗黒時代を抜け(?)私は実家を出て、夫と同棲し、妊娠、結婚、出産、そして第一子の我が子の病気の治療入院、子育て、、、私の人生の転換期には必ずそばにいて両親と一緒に見守ってくれていた。

そんな私も今は3人のお子の母になり、まだまだいろんな意味で頼りない人間だけど毎日お子と共に成長し日々奮闘している。

そして我が家のお子達も生まれた瞬間から犬と育ち。
出産し、生まれたてホヤホヤの赤子を連れ帰り里帰りしたその日から犬との生活スタートでした。
自宅に帰った後も、自宅と実家は近距離なのでしょっちゅう会うし、お子達は何度も散歩にも一緒に行ったりとほとんど家族でした。

17年の月日は書けばキリがないほどの思い出があるけれど
我が家で過ごせて幸せな『犬生』だったかな。
そう思ってくれてたらいいな。

美容も病院も好きではなく、家が1番好きだった犬だったので、最期まで家のいつもの自分の場所で、みんなに見守られながら虹の橋に逝けてよかったかな。

寂しいけど生きとし生けるもの皆いつかその時は来る。
いつか再会できるよう、そしてその時胸はって、おいで!と抱っこしてあげられるよう頑張って生きていこうと誓い、泣くのは当日だけにした。

たくさんのありがとうとまだこの手に残ってる温もりとまん丸で綺麗な瞳の記憶を胸に私これからも頑張っていくね。
また会おうね!!!!!


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