イモラの空に舞った白い綿毛。

ども。
僕です。

今週末は16年ぶりにイモラ・サーキットでF1が行われます。
異例の土日のみの2日間開催。
最近はアルファタウリのガスリーが本当に乗れているので注目したいところです。
本当にいいドライバーに成長しました。
まだまだ伸びしろもあるので2勝目も遠くない未来に遂げることでしょう。

が、やっぱり思い出してしまいます。

1994年春、呪われた週末。

もう26年と半年が経つのですね。
時間というのはあっという間に過ぎていきます。
僕は高校2年生でした。
もうすぐ43歳になります。
亡くなったローランド・ラッツェンバーガーよりも、アイルトン・セナよりも遥かに年上になりました。

やはり少し感傷的になってしまいます。
亡くなる2週間前、二人とも僕の目の前でマシンに乗っていたのですから。
あの週末で僕は高熱が出て寝込むほどのショックを受けました。

生まれて初めて「命とは」と最初に考えた事故でした。
僕の人生観を変えた出来事とも言えるでしょう。

命とは、生きるとは、愛とは。

そして生きていく、とは。

イタリアの晩春はポッポリと呼ばれるタンポポにした植物が、白い綿を空に舞い上がらせ、新たな命を放ちます。
イモラの街にはポッポリが特に多く育ち、その週末も命を循環させるために白い綿を澄んだ青空に託しました。

ブラジルで生まれた、世界的で歴史的な、3度のチャンピオンに輝いた34歳のF1ドライバー。
オーストリアで生まれ日本のレースで活躍し、33歳でようやくシートを掴んだ無名のF1ドライバー。
この二人に命の価値の差はありません。
命の前にはレースの成績は本当に些末です。

愛する人が居て、愛をくれる人が居て。

ラッツェンバーガーは恋人との結婚を目前に控えていました。
その彼女のショックたるや想像もできないほどの苦しさだったでしょう。

セナもブラジルの、そして世界の英雄。
彼はファンを愛し、ファンも彼を愛し。
数多くの人が涙を流しました。

もう二度と帰らない二人の命。
人間の限界の更に向こう側にある命。
僕にできることは、何もありません。

だけど、忘れない、覚え続けることはできます。
26年半経った今でも。
そしてこれからも。
記憶の中に彼らは生きています。

イモラ・サーキットもカタチを変えました。
セナが命を落としたタンブレロはシケインになり、ラッツェンバーガーが命を落としたビルヌーブからトサにかけても低速コーナーとなりました。
そして、そこには二人の慰霊碑があります。

僕はセナのストイックさ、ラッツェンバーガーの諦めない心を忘れずにこれからも過ごしたいと考えています。

勿論、TIサーキット英田(現・岡山国際サーキット)での彼らの姿も。

翌年にラッツェンバーガーが所属したシムテックが破産し、レース活動を不本意なカタチで終え、1995年秋のパシフィックGPに在庫処分セール的な意味合いで元シムテックのスタッフがグッズを販売していました。
僕はシムテックのワッペンとマジックテープ式の財布を買い、拙い英語で「ローランドのことは絶対に忘れないよ」と伝えました。
ほぼ無職の彼らは「ローランドを忘れない日本のファンが本当に多いんだ。感謝しているよ。今でも仲間だからね」と答えてくれました。

そうだね、と涙をこらえて僕も答えました。
高校3年生、2学期の中間テストをサボってまで行ったF1パシフィックGP。
学校では教えてくれないこと、勉強ではわからないことを元シムテックのスタッフの彼らから学びました。

晩春から季節が変わり、秋本番にF1マシンが走るイモラ・サーキット。
恐らく今年が例外で、来年以降は開催される可能性は低いですが、四半世紀以上経ったいまだからこそ、あのイモラの空に舞った白い綿毛を忘れずに生きていきたいと。

物書きとして失格かもしれないのですが、改めて呪われた週末の言語化は苦労します。
軽い言葉で書きたくないから。
この文章だって、文字数の割にかなり時間がかかってしまいます。
どうしても。

だから、せめて、いつもより襟を正してイモラ・サーキットで行われるF1 2020 エミリア=ロマーニャGPを観戦したいと思います。
そして、安全なレースになることを願って已みません。

覚え続けること、それが僕に彼らにできる最大のことなのです。