思い切り息をさせてくれ!
ども。
僕です。
今日も今日とて出稼ぎ仕事。
マスクをしてバスに乗り、マスクをして仕事をし、マスクをしてまたバスに乗り、降りてきたわけです。
僕が住んでいるのは札幌市東区苗穂町というところでして、最寄りのバス停は北海道中央バスの本町1条5丁目です。
下町で静かです。
朝4時になると雪印メグミルクに生乳を運ぶトラックの音が鳴りますが、基本的に静かです。
人も滅多に外に居ません。
タイトルの写真はバス停からの帰り道の風景。
東光ストアの配送センターや雪印メグミルクの工場に繋がる一本道。
バスを降りて通りを渡り、この風景になるとマスクを外し。
思いきり息をさせてくれ!
と言わんばかりに、大いに深呼吸するのです。
だって、息苦しいじゃん。マスク。
おっと、マスク警察は勘弁ですよ。
酸素がほしいだけなので。
この「思いきり息をさせてくれ!」は元ネタがちゃんとあります。
僕ら世代だとイントロだけわかるあの曲です。
イギリス領香港出身のバンド、Beyondの"THE WALL 〜長城〜"です。
1992年発表。
僕はカラオケで歌えますがね、フフン。
この曲はね、閉塞感を打ち破りたい叫びの歌、なんですよ。
当時の香港は中国返還を7年後に控え、恐らく「まだ先なのか、もうそこなのか」という状況。
民主主義国家から共産主義国家に変わるわけですから、日本人の僕らにはあまりピンとこない不安があったのでしょうか。
俺たちを早く出してくれ!
思いきり息をさせてくれ!
壁の中で
壁を越えて
この歌詞、約30年経っても色褪せないですね。
どれだけ技術が進化しても、どれだけ通信が進化しても。
閉塞感は日常の中にいっぱいあるわけです。
今の香港もそうだし、COVID-19もそうだし。
政治的にも生活的にも息苦しさを感じ始めた2020年代です。
でも1990年代も、今思えばやっぱり閉塞感はありましたよね。
1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊し、東欧革命が起き、共産主義体制が次々と崩壊し。
1990年8月2日に湾岸戦争が勃発し。
1991年12月25日に共産主義体制の盟主、ソビエト連邦が瓦解し。
日本ではバブル経済の破裂、阪神・淡路大震災の発生、数多くの金融機関の消滅、サリンテロ事件などなど。
僕は10代半ばから20代半ばを、この1990年代を過ごし、体験してきて。
閉塞感しか無い。
明後日のことさえわかりゃしねえ。
そんな時代だったなあと思い返すのです。
2000年代も、2010年代も、2020年代も。
賢くなったヨノナカと、先が読めないヨノナカ。
これって多分、いつの時代でもそうなんでしょうな。
日本が唯一、未来は輝かしい夢ばかり、イケイケドンドンだったのは1960年代〜1987年くらいまででしょう。
その1987年でも、僕の暮らしていた東京都台東区は地上げ屋が闊歩していましたから、ほんのり薄暗い影を感じてはいましたが。
僕が10歳のときですね。
2021年1月25日。
僕は故郷の東京を離れ、札幌に移住し14年目になります。
確かに東京に比べたら開放的な街です。
けれども、COVID-19のおかげで息苦しい生活を余儀なくされています。
街中で深呼吸をすることを躊躇うくらいに。
絶望とか悲観じゃなくて、こういうことがヨノナカなんだと思う40代なかばだったりします。
ヨノナカの摂理、こういうもんだと。
結局の所、ないものねだりなのかなあ。
俺たちの聲 金網を揺らすだけ
それでも、金網を揺らすことくらいはできる。
今すぐに分厚い壁を壊せないかもしれないけども、少しづつヨノナカを変えていけるかもしれない。
それは夢幻かもしれないけど、それを信じる他はなくて。
希望がないと、生きていても辛いじゃん。
深呼吸くらい、してもいいじゃん。
人混みの中でなければ。
このBeyondというバンドのボーカルは日本で亡くなりました。
黄家駒、31歳没。
1993年のTV収録中の不幸な事故によるものでした。
ここで詳細を語るのは無粋なのでしません。
もう28年前の出来事なので。
その1993年にBeyondはある曲をリリースしています。
遥かなる夢に 〜Far away〜
歌詞の一部を引用してこのエントリーを〆るとしましょう。
手垢まみれの、如何にも人間臭い言葉が、今染み渡ります。
では、また。
また新しい物語を生きるよ
終わりのない旅の途中で 振り向けば君がいる
人は皆ひとりきりじゃいきていけないから
この胸に希望の鐘 明日も鳴らすだろう