5月13日の日記「趣味:ランニングの呪縛」
今日はリモート研修が終わったあと、ランニングをした。偉い。偉すぎる。今日本で一番偉いんじゃないか、俺? ……いや、もっと偉い人は世の中にいっぱいいるな。塾に通ってる小学生とか。
高校と大学で陸上の長距離をやってたこともあって(大学はサークルみたいなもんだが)、趣味はランニング、ということにしている。最近在宅でちょっと時間に余裕が出てきたので、隔日くらいで走ろうかなーと思い始めた。そして実際、そこそこ頻度で走っているのだが、ひしひしと感じるのが趣味としてのランニングの適正のなさだ。
自分のランニングの1番嫌だなと思うのは、前後のスケジュールへの影響がでかいところ。自分は基本的に夜走るのだが、走る前に夕飯を食う、風呂に入るといったタスクができない。走らない限り、スケジュールが先に進まないのだ。その融通の利かなさが嫌だ。走り始めるのが億劫で後回しにしたいけど、他にやることがないから、ただただ無為に過ごすしかない、あの時間がとても嫌だ(さっさと走れよ)。
かといって、朝早く起きて走るとか絶対無理。走ろうという気持ちが、眠気に勝てるとは到底思えない。相手は三大欲求よ? そして起きれて走れたとて、そのあと疲れてまた眠くなっちゃうのは目に見えている。朝ランニングして爽やかな1日の始まり! とか言うけど、1日のしょっぱなから体力消費する行動したら、むしろぐだぐたな1日になっちゃうんじゃないの? うっかり7時間くらい昼寝とかしちゃわない? たぶん、朝走れる人たちは生活の体力があるんだろうな。自分は普通の人(俺も普通の人間だけどね? わかるっしょ? 伝えたいニュアンスはわかるっしょ? これは俺は悪くない。日本語の幅が狭いのが悪い)よりもきつめに走ってきたので走る体力はあるかもだけど、生活の体力はない。いくら走っても走る体力しかつかず、走る体力は走ることにしか使えない。
そして厄介なのは、無駄に今まで頑張って走ってきたせいで30分のランニングでは全然走った満足感は得られないことだ。精神面だけじゃなく、肉体面もおそらくそう。今の僕がどれだけ頑張って走ったところで、高校時代の部活で走っていたときの強度には遠く及ぶはずもない。運動の負荷が下がっているなら体もどんどん衰えていくはず。現在、自分が走るということは、死が待つ下り坂の傾斜をほんの少し緩やかにしているだけに過ぎないのだ。
これだけ走ることへの不満が出てくるのに、なんだかんだ自分が走り続けているのは何故だろう。「……本当は、走ることが好(とぅ)きだから」なんて単純な構造なら成人男性のツンデレはきついぜって話で終わりなんだけど、たぶんそうではない気がする。おそらく、自分の精神的な問題だ。そしてその問題は、その他もろもろの行動の動機にも共通するはず。なぜ自分は走るのをやめない? 義務感? 何かを恐れている? 恐れているならその正体は何だ? 自分か? 他人か? それとも神か? いずれこの病理が解明され、趣味:ランニングの呪いから自らが解き放たれんことを祈ろう。
あと、今年の健康診断の心電図検査の結果がCで、洞徐脈って言われたんですよ。洞徐脈は心拍数が少ないってことで、調べたらマラソンランナーとかにありがちって書かれてたからちょっと誇らしかったんだけど、冷静に考えたら別に洞徐脈なるほどちゃんと走ってないし、普通に病気ゆえだったら最悪だな。