5月17日の日記「1日の中間地点はどこにある」

 


 私は今、見知らぬ公園でこの日記を書いています。



 今日は3時に寝て、11時に起きた。かなり健全な目覚め(自分基準)。起きた勢いですぐランニングに出かけることに成功。1日のスケジュールを狂わせるタスクを、しょっぱなから抹殺してやったぜ。以前、1日の始まりに走ったら眠くなっちゃうとか言ってたけど、今日はどっちにせよどこかで昼寝する予定だったから無問題。太陽の下走るのは久々で、暑さ自体は不愉快だが夜走るよりも頑張った感があるのはメリットだ。基本的に走るのは好きじゃないので、同じカロリー消費なら何時間もだらだらジョギングよりも、きついけどさっと終わる走り方をする方が性に合っている。長距離の適正無さすぎでは?


 ランニングを終えた勢いで、今日やらなければいけないことを立て続けに終わらせてやった。部屋の片付け、新しいWi-Fiの支払い手続き、前のWi-Fiの返却、仕事の勉強。……なんか、自分が有能すぎて恥ずかしくなってきちゃったぞ。こういうタスクはえいやって終わらせるよりも飄々と片付ける方がかっこいいし、なんなら忘却してしまうくらいの図太さに憧れている。でも自分は凡人だから、処理を後回しにしたとてずっと不安に苛なまれるのみだ。なら多少ダサくても早めにガリガリ片付けちゃう方が健全なんだろうな。あ、このダサさっていうのは自意識的な話で、先にてきぱき問題を処理できる人のことは素直にすげーって思ってます。



 やるべきことを片付けたら、夕方の5時になっていた。明日はまあ9時に起きて、6時間睡眠でいいかって考えれば逆算してあと10時間くらいは自由に使える。なのになんだろうね、この「もう1日が終わってしまう~」感は。平日は仕事の終わった夜から1日が始まるって感じだから、夜の12時になっても「あと3時間は"舞える"」って気分でいられたりして、具体的な時間を意識できてる。でも休日は1日の始まりが世界基準の1日の始まりと同じだから、時間感覚が世界のイメージに引っ張られちゃうんだよね。昼は真ん中、夜は終わり、みたいな。実際は違うのに。朝11時に起きて夜3時に寝る人間の真ん中は夜の7時だ。


 どちらにせよ自分は、終わりを強く意識するタイプなんだと思う。俗に言う、「グラスにはワインが半分"しか"残ってないじゃないか」と考える人間だ。……いや、ワインに関してはまだ半分もあんのかよって感じるな。ワイン苦手だから。話を戻してこの意識、長距離走ったことで増長した気がするんだよな。(少なくとも自分にとっては)長距離走で「百里を行く者は九十を半ばとす」的な思考はするだけ損だ。例えば10キロ走るとき、8キロ地点で「まだ2キロも残ってる」って考えたらメンタルがしんどい。「あと2キロで終わりだから頑張ろう」と考える。自分は4キロの時点でも、「あと2キロ走れば6キロだから、もう実質半分走ったようなもん」とか思ってたりした。いかにゴールと自分との距離が近いかを錯覚させるのが、長距離を走るコツなのだ(きっと)。この思考は、他の場面でも活きている。たとえば自分は仕事をしているとき、時間を長く感じることはあまりない。水曜日は「やっと1週間の半分か……」ではなく「今日が水曜日ってことは明日が終われば金曜日で、金曜日を1日頑張れば土曜日になる。ということは、休日はもう目の前じゃんか」みたいに考えることができる。ただ逆に、楽しい時間に関しては、この意識は完全にマイナスに働いてしまうなあ。



 そんなことを考えながら日記を書いていたらもう8時。1回寝ようかな。今日はまだ昼寝してないし。2時間寝ても10時だから、起きたときには「え!? あと5時間も遊べるんですか!? 神運営!!!」って思えてるかも。日記もさっさと書き終わらせちゃお。自分にとっての5月17日は、まだ全然終わってないけど(てか、終わらないでほしい)。日記というか、1日の単位がおかしいんだよな。俺にとっては「朝の10時~夜の3時」あたりの範囲が1日だ。みんな、世界のルールに盲従するな!!!!!!!



 ……ちなみにあなたがこれを読んでいる頃には、私はもう公園にはいないでしょう。今、普通に家にいる。気分転換に近所の行ったことない公園で日記書こうかなと思ったら、開始3分で2箇所蚊に咬まれて最悪の気分に転換されたのですぐさま脱出してきた。薬局にムヒ買いにいったけど、さっき蚊に咬まれたてのやつが駆け込んできたと思われたくなかったので、長袖でしっかり隠して買いました。






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