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7月13日の日記「理解できるもの・したいもの・しないもの」


 昨日は半裸になって扇風機の風を浴びつつ、暑さに耐え忍ぶように寝たのに、今日は長袖を着て毛布を被りながら寝た。気温めちゃくちゃ、体壊れますわ。4月入ってからまだ1度も体調崩してないのが不思議。てか、ここ2年くらい風邪すらも引いてないかも。生活習慣ボロッッボロッッッ(巻き舌)なのに。そろそろ引いとかないと、まとめてでっけーのが来そうで怖い。人生って、そういうシステムでしょ?



 月曜日はジャンプ曜日。来週で『ハイキュー!!』最終回かあ。ここ最近で1番面白いと感じてて、1番楽しみにしていた作品なので、とても寂しいですね。『ハイキュー!!』、絵も話もクオリティをキープするどころか、グイグイ上昇しているうちに最終回を迎えるね。作者もやりたいことをやりきっている感じするし、物語としても綺麗に着地しそう。なので漫画の最終回としては、惜しまれつつ理想的なのかもしれないけど……やだやだ! 小生まだハイキュー終わって欲しくない!! キリューが木兎にリベンジするとことか見たい!!!!!(仮に連載続いたとしても、それは果たして見れるのか……?)

 ジャンプでスポーツものは難しいってよく聞くけど、一応それっぽい理屈はつけられそうですよね。スポーツものはどうしても、盛り上がるまで時間がかかる。まあ普通に考えれば、物語の最高潮は公式戦の決勝戦であり、そのためには入学して、チームメイトと親交を深め、練習して、練習試合をして、一回戦、二回戦、三回戦……と積み重ねて、クライマックスへ持っていく。過程を丁寧に書けば書くほど、次の展開へのカタルシスは大きくなり、全体としても面白い作品になってゆく。でも、そういう風にじわじわ面白くなる物語を読者が、あるいはジャンプが待ってくれるとは限らない。……って、話ですよね、きっと。だからといって、そこらへんの過程をすっ飛ばしたり、順番を入れ替えたりするのも難しいし。序盤から読者を魅了するような展開を用意しつつ、物語が進むにつれ面白さが上昇曲線を描く、そんな作品を志向しないといけない。……あれ、これ普通の漫画と一緒じゃない? でもスポーツ漫画には、リアリティという制限が他のジャンルよりもシビアに存在するんで、そこらへんの展開はより難しいんじゃないかな?(誤魔化し)

 あと、敵味方問わず魅力的なキャラを大量生産しなきゃいけないのもキツいですよね。チームスポーツなら特に、特定の個人にスポットライトを当てるわけにはいかない。主人公と同じくらい、なんなら主人公を喰っちまうくらい魅力的なチームメイトを作らないと、試合が保たない。それは敵キャラもですけど、敵に関して言えばたとえ人気が出たとしても、ソイツをホイホイ活躍させられないのが辛いところですよね。バトル漫画とは違って、一度負けたキャラに再度活躍の場を与えるのは難しい。人気キャラが決勝進出した高校に転校して再登場、なんてことはできないし(探してみたら案外そういう展開の作品もあるんかね?)。スポーツ漫画はバトル漫画と違い、敗北=死ではないけれど、漫画的に考えればある種敗北のシビアさはバトル漫画より上かもしれないね。

 でも、敵キャラの魅力ってスポーツ漫画の魅力に直結するからなぁ。息の長いスポーツ漫画とか、各学校の各キャラクターに熱狂的なファンがいる印象ある。出番がないからこそ、良くも悪くも自給自足が盛んになるといいますか。あと自分、敵対敵の勝敗が読めない試合大好き人間です。スラムダンクの海南VS陵南戦とか、ダイヤのAの稲実VS薬師とか、主人公の試合よりもワクワクしちゃう。それでいうと、新テニスの王子様とかよくネタにされがちだけど、ネタ抜きにしてもめちゃめちゃ面白いと思いますよ。今までの魅力的な敵キャラを味方にして、彼らの新しい魅力を引き出す描写とストーリー展開。さらに、現在進行形で魅力的な新キャラを生み出しまくってる。あらゆる意味で、やっぱ許斐先生は天才でさあ。





 終わっちゃう漫画だけじゃなく、新しく始まる漫画の話もしたかったんだけど、ここまで書くのに結構時間かかっちゃったんで、また今度の機会にしよう。日記って、そういうふうに書いていいんだっけ? 



 買った。ゼミの活動で短歌に触れることはあったけど、こうやって短歌集? を買うのは初めてですね。前々から表題の短歌は知っており、結構長い間気になっていたのだがついに購入。きっかけは……なんとなく。マジでなんとなく。

 個人的に短歌は自分の中で、「理解できるもの」「理解したいもの」「理解しないもの」の3つに大きく分類される。表題の短歌は、「理解したいもの」かな。この世に数ある光の中で、「玄関の覗き穴から差してくる光」を選んだセンスにも痺れるし、その光のように「生まれたはずだ」という、力強さとも嘆きとも捉えられるような結び方にもぐらっとくる。でも、こういう感覚的な良さだけじゃなく、この短歌自体が指し示している明確な何かが、正解が、あるような気が僕にはしていて。でもそれが分からないから、堪らなく歯痒いのである。作者に解説して欲しっ、なんて野暮な考えも首をもたげる。

 ちなみに、「理解しないもの」は、完全に理屈を放棄しエモーショナルな良さにだけ浸るもの、あるいは普通に良さがわからなかったものだ。そして「理解できるもの」は、自分が言語化できなかった現象、あるいは気付かぬまま通り過ぎていた事実を摘み上げている短歌。感心や共感に近い気持ちよさがあって、このタイプの短歌が実は1番好きかもしれない。たとえば、

行き先に対し垂直方向を向いて僕らが待つのは電車 (7p)

とかね。このあたりは、自分が小説に感じるのと似たような面白さがある。小説と短歌の似ているところと違うところ、これもちょっと言語化してまとめときたかったんだけど、ここまで時間がかかりすぎなのでまた今度にしよう(二回目)。日記って、そういうふうに書いていいんでしたっけ?(二回目)



 

 



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