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野村の履歴書

最近、大なり小なり取材やらなんやらで必ず聞かれるのと、若い子らと飲む機会が増えて「なんでそんなに楽しそうに生きてるんですか。どうゆう生き方してきたんですか」とほんとよく聞かれるので、今までの経歴と野村の40年の歩み方をここに履歴書として記しておこうと思います。なにか取材したい人はこれ読んどけば聞くことないくらいに仕上げとく。一筆書きで。

野村幸子の長男として生まれる。
名前を俊介か権左衛門(ゴンザエモン)2択の中、ギリッギリで俊介を勝ち取る。

幼稚園始まって以来の天才児IQ160で、新聞も読めないのに広げてた。絵本を逆に幸子に読み聞かせてた。

小2で幸子離婚。小学校低学年では虫博士👨‍🎓と呼ばれ、誰も捕まえれない、タガメ、クツワムシなどを捕まえてた。いっちゃだめな学区外に乗っちゃだめな自転車でいつも幸子、先生に怒られてた。いや、殴られてた。いつも自由を求めて遠くまで行きたかっただけなんだよ。そして朝から晩までサッカーしてた。

数字には特に強く、九九を47秒で言えてた。ムッチャ可愛い転校生が来たときにみんな特技披露するんだけど、野村は円周率2万桁を披露。爆笑の中、途中で担任にストップをかけられる。3.14159265358979323846…20桁までなら今でも頭に入ってる。

バレンタインのチョコを20.30個小4まで(一回目のモテ期)もらってたのに小5になるとなぜか3個しかもらえなくなる。小1から続けてたサッカー部が小5で坊主になるからなんだけど…このとき初めてサッカーを恨む。坊主にするからやめた部員4.5人。バレンタインのチョコもらった女の子、モリタヒロコ、ニシムラアイコ、あと一人忘れた。

中学生の記憶。みんなを笑わせてサッカーしてた記憶しかない。勉強しなくても5教科400点はとってた。あ、あと3年の少しの期間人生初のいじめに合う。あることないこと吹き込んだやつがいて、学校のイケてるグループから無視される。そのあることないこと吹き込んだやつの家が近所だったので自分のうんこをビニール袋に入れて腹いせに夜中投げつける。

高校はサッカー推薦で入学。1年の終わりに大怪我してサッカー部辞める。アメリカンバイクや古着にどはまりし、同級生らとバイク買って毎晩走りに。(えーと高校はバイクだめよ)当時飲酒取締とかほとんど無かったような時代に地元ポプラでデリカメゾン(クソまずい380円のワイン)を一気飲みして街にくりだしてた。みんなバイクチーム作ってたんだけど群れるのいやで野村だけ入らず。

友人たちは学校やめて毎晩遊んでるのみてあいつらと一緒になって遊んでたらだめだなと思ってた。その中でも一番仲良い友人はちゃんと学校には行ってた。てか、バイクで行ってた。野村は2年の終わりに停学3回目くらって「もう学校こなくていいよ」と言われたので潔く受け入れ結果野村も辞める。

このころ髪の毛が、金髪、銀、緑いろいろ変化してて(二回目のモテ期)。お金ないからコンビニでブリーチ買ってしっかり抜くために24時間つけっぱなしで寝たりしてたら肌荒れまくり眉毛が生えなくなる。マロと呼ばれる。肌が荒れた理由などを知りたく、このころから健康に目覚めとりあえずキューサイの青汁を飲み始める。

みんなと遊ぶけど天の邪鬼の野村は遊ぶだけじゃおもろしろくなくなってばっちばちに服にハマる。17.18で東京によく服買いに行ってた。地元にかっこいい先輩がいたのでいろいろ教えてもらって。当時流行った言葉。同じ商品の色違いをまとめて3.4種類買うことを「野村買い」と。南区のファッションリーダーと呼ばれる。

服にハマるだけじゃ飽き足らず、当時通ってた美容院の10個上の綺麗なお姉さんが「競艇選手になったら付き合ってあげる」って言ったのを間に受けて競艇選手を目指す。当時半年に一回で21歳までしか受けれなかった試験を5回受けたが倍率80倍に飲み込まれ受からず。

試験には成就しなかったがお姉さんとは成就。

この頃の趣味は週5でバス釣り。
バイクで背中に釣り竿差しこけて竿全折れしたね。
弟とダムに行きフットボートで釣り。弟が投げたスピナベが野村の顔面に当たりダムに突き落としてやろうとしたね。そのあと怒りのあまりキャストしてたら合計10万のタックルが手から離れてダムに沈んだよね。フットボートだから弟に「はよ漕げ」って漕がせたが間に合わず2度目の突き落としてやろうと思ったよね。

さて21歳。同級生で一番喧嘩強く仲良かった友人が傭兵になりたいと。(なんでやねん。それに柔道と空手してて180センチ90キロあったあらもうええやろ)そのために格闘技やっとかなきゃって当時誰も知らなかった修斗という総合格闘技をはじめに友人は神奈川K'sファクトリー(佐藤ルミナ、五味、朴、植松、竹内、勝田、巽、勝村etc…今考えたらとんでもないジム)へ。一緒にやろうと声かけられたので野村もついていく。1週間くらいたったある日、酒飲みながらトランプ二人でしてたら大喧嘩になり野村広島に帰る。

その一番仲良かった友人が自殺。彼が修斗のプロになりたいとずっと言ってたのでその意思うけついだろと広島に帰って格闘技をまたはじめる。自殺する前に遺書でもない、親でもない、野村にだけ書いた手紙がいまでも僕の宝物。

あ、この格闘技始めた22歳くらいのときに、.commの伴侶、鹿さんと出会う。鹿さんはスキンヘッドで眉毛もない笑顔もない、ロボットみたいな人間だった。鹿さんが人とコミュニケーションとれるようになったのは野村のおかげと思ってる。どっか県外で試合あったとき二人とも早々と負けて海辺を歩いて語り合ったときから18年の付き合いですね。

あ、ちなみに野村、修斗(総合格闘技)は地方のトーナメントで優勝して全日本でいい成績を残しプロになる。プロになって友人との約束を果たしたと思ったので、一回負けたら辞めようと決めてた。デビュー戦判定で負けてきっぱり辞める。当時26.27歳?
アマチュア戦績17勝5敗
プロ戦績1敗
アマチュアの時に2回も負けた越智晴雄君はいまDEEPチャンピオン。こないだrizinにも出てました。頑張れ。

と、同時に格闘技で飯なんか食えないと思ってたときに出会ったフラワーデザインの世界。21歳。当時ストリート、ファッション、様々なルールやセンスを身につけていたから(と思ってたから)花を見たときに一瞬でオシャレだなと感じこれだ!と思い日本でも有数だと今でも思ってる先生のレッスンに通い始める。

だいたい花も触ったこともない人は初級レッスンから行くと思うけど、野村は初級、中級、上級、ヨーロピアンコース、資格コース、ブライダルコース、ブーケコース、先生のレッスン全てに通い始める。月謝16万。若い衆よ。これくらい自分にオールベットせよ。

それをまかなうために朝3時から中央市場の八百屋に、昼はレッスン、夜はまたバイト、それがないとき遊ぶみたいな1日2時間睡眠で人生を楽しむ。NFD(日本フラワーデザイナー協会)の3級、2級、1級、講師の資格を全部一発でクリアし25歳の時NFDの講師に。(そこの中央市場の八百屋の社長、野村より年上の息子が高級メロン落としても全く怒らないのに野村が安いスイカ落としたらブチ切れられこちらもブチ切れみかんくっそ投げつけてやって辞める)

先生が凄すぎて講師になってももちろんがっつり通う。花のことがわかればわかるほど先生の凄さがわかってきた時代。「花一本挿すのに2キロ痩せなさい」は先生の言葉。講師と名ばかりの人がたくさんいる中で本物の先生に出会えたことは本当運が良かったね、野村よ。資格ってとるまでの過程が大事で、資格自慢のオバさんに嫌気がさしてNFD講師をやめる。

26のときに先輩の花屋がやめるから、一式全てもらえるからといよいよ花屋経験ゼロで当時まだ全国でも数えるくらいしかなかったスタイル、オーダーメイド花屋のむら家を一人で立ち上げる。友人の事務所まがりさせてもらいスタート。市場に挨拶に行ったとき仲卸の社長に「どこで修行しとったの?」と。「いや、花屋経験ないっす」「は?出来るわけないやろ」「それは俺が決めるから、花売ってくれたらええんで」こんな感じで。

そこから地道な営業と作るものには圧倒的な自信があったので着実にファンを増やす。3000円で豪華に。とか言ってくるお客をそんなの出来るわけないやろとよく電話で断ってた。お客さんも育てなきゃなとこのころしっかり思ってた。

5.6年したときに弟と合流。弟は全ジャンルの花屋を経験してたからいよいよのむら家本領発揮の機運高まる。あ、実家が別に花屋だったわけではないので。

兄弟男前花屋で割と全国に響き渡る。
花の専門誌多数掲載。

思い出はフローリストレビュー(花のコンペティション)と極私的H考(3人のマスターベーション個展)フローリストレビューはぶっちぎりと思ってた作品がファイナルに残らず。

極私的H考はもう一人友人とオリエンタルギャラリー初の入場料取る個展で、入場料とったのに過去最高人数動員した割と伝説の個展だったんじゃないかな。

あとはアマン東京で友人が究極の肌着と銘打ったブランド'T'をリリース。そこの会場装花を任され、'T'のあまりの着心地のよさ、自分たちの花をみてもらいたいからと友人、知人を呼んだら野村が一番Tシャツを売ったらしく。次年度から'T'のマネージャーをすることに。今でも僕が着てるTシャツは'T'だけ。そしてマネージャーも続けさせてもらってます。

さて、この間にいろんな趣味も並行してやってまして。
ゴルフ、読書、トレーニング、ファッション、ヨガ、釣り、etc‥。その中でも一番ハマったのが狩猟で。こんな面白いものがあったのかと。人間の原点やないかと。鹿さんを誘って狩猟を始める。ジビエとワイン会ってのを身内で始める。5人、10人、20人、40人となり200人くらいのイベントに呼ばれ出店。そこで処理場を通してない肉を皆さんに提供した(そもそもそんなルール知らなかった)と垂れ込みが入り僕らのあだ名は違法ジビエと名づけられる。ムカついてすぐさま処理場を建てる。

違法ジビエ改め
.commと名付ける。
(ジビエ肉を扱ったファンタスティックなエンターテイメント集団)
山、森、獲物、飲食店を駆け巡りコミュニケーションをとるハブになりたいという想いを込めて。

勢いで建てたはよいが売り先がないので大変困る。試行錯誤でたどり着いたジビエソーセージ。あえて無添加なんて言わないのは僕らからしたら当たり前だから。毎日食べれる身体が強くなるソーセージを、と。そこから料理人でもないのに料理王国、マツコの知らない世界、さまざまなメディアに取り上げられ、いつのまにか鹿さんのあだ名ソーセージクリエイター、野村のあだ名は.commで何もしてない方。あ、鹿さんとは35歳くらいのときにもう一人和食屋の大将と3人でSEN-NO-SENって醤油ラーメン屋してた。「世界一の醤油ラーメンを作る」って。めちゃくちゃ評判良かったがいろいろなことがあり泣く泣く中止。3ヶ月。

そんななか、ワインバーで創業115年の金箔屋の社長に「のむら家の野村さんですか」と声かけられる。意気投合して後日昼から10何軒飲みまくって帰り際に「ウチの参謀になってください」と言われたので「おすおす!」とふたつ返事。ここから'T'とコラボさせたり、写実画家とコラボさせたりとちょっとそれっぽい仕事する。主な仕事は社長との飲み。よく考えたら'T'のデザイナー兼社長とも、ゴルフウェアの展示会で仲良くなり後日二人で吐くまで飲み、アマンの花生け込みお願いされてって感じ。野村は酒場の出会いが酒の摘み。

あ、これ忘れてたね。36歳位のときSASUKEに応募。今度は80倍の極々狭き門を突破。2次審査へ。腕立て伏せタイムトライアル100回は難なくクリアしたが30秒スピーチでまさかの落選。一番自信があったのに。まわりをみたら声でかい人たちが受かってた。そうだ、ここは日本一の体育会系が集まるところだったと。

弟と積み上げてきたのむら家も12年、干支が一周したのでそろそろ辞めよっかってやめる。

食べること飲むことが大好きな野村。特にそこでの出会いが好きっす。ってことで広島の生産量日本一の牡蠣、レモンを扱った自分が毎晩でも飲みたくなるような場所(飲食店ではない)を作ろうと4坪の小さな生牡蠣とレモンサワー専門店を始める。1年後には坪月商70万達成。世界中に1000店舗出したいと決め2年後に袋町で+カレーを加えたレモンサワー専門店をオープン。

実は同時に2店舗オープンさせようと思ってたのでそれを銀行に伝えると「死んでください」って言われたので「ユニクロとかだって最初はそんな感じでスタートしてるやろ?」と粘ったが却下。その物件は今も空家賃払ってる。

2年後に法人化。別に野村は飲食店したいわけじゃないから会社のvision、自分のやりたいことはなんざますかと結構問う。自分がいま一番面白いことを常にやり続けてきてて、ようはエンターテイメントの最強最高はなんなんだと。たどり着いた答えが自分と向き合うことなんだって気付いて。それは自分たちが捕まえたジビエを食したとき、運動したとき、サプリ飲んだとき、気(周波数)が合う人と会ったとき、の身体の反応、心の反応を振り返るのがすげえ楽しくて。それしてたら身体にいいことしかしたくなくなってきて。アスコルビン酸、塩入れて湯船の中であいうべ体操と足首、足指の体操。その後寝るとき口テープでの朝の起き方。全く同じことして今度は湿度を下げてみる。などなど。これ健康な生命体になったらむちゃくちゃ人生楽しくなるんじゃねえかって。

そこで出来上がったvisionが「地球上全人類の健康アップデート」。健康とは自分と向き合うことだ。と。

で、すぐに第一弾のサプリ「レモクロ」をクラウドファンディングでリリース。サプリ部門歴代1位をひっさげただいま自分たちの息子(サプリ)をどうやって届けるかを頭剥げるまで考えてる。剥げはしなかっけど白髪増える。

第二弾プロテインをリリース予定。

僕は身体にいいもの、健康、それこそさまざまな人体実験を課し自分と向き合ってきた。なので本物しか作らないのでぜひ気が向いたら手に取ってみてください。

と、ここまでが40歳の野村が歩んできた履歴書っす。

会社なんかただの箱だけで自分の好きな人間たちと、日々エンタメし自分と向き合って笑って過ごすチーム(ファミリー)を作って200歳まで生きようかなと思ってる。

あ、本日パルクール2年目に突入。パルクールなんか40歳から始める人いる?そんな死ぬまで挑戦するおっさんでいきたいっす。こんなおっさんでも自分の可能性をまだまだ信じてやりたいことやってるだけなので若い諸君。なんでも好きなことやれ。この人面白そうだなって人にとことんついて行って甘い汁吸え。とにかく人生は楽しいって思え。思えなかったらレモスタにいらっしゃい。話聞いてあげる。

一筆書きで仕上げたのでこんな感じで履歴書締めたいと思いまっす。

あ、最後に野村の得意技。「全ての選択を正解だと思える力」
これ身につけたら無敵だよ。

**Face Yourself!!

**

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