ゲストハウスを創る、11月のはなし
9月1日に、高崎市あら町の物件を借りた。この日から具体的で実践的な、ゲストハウスを創る冒険が始まった。
気が付けば3ヶ月目。家賃は11月半ばから発生していて、すでに半月分以上を空で支払っている。160平米という広さを、完全に見誤っていた。
11月は意図と結果が噛み合っていた。お手伝いをいただき、挨拶したい人に会え、またそこからの広がりを得られた。感謝しきれない支援をもらう中で仲間を意識するようになった。実はずっとほしかったものだ。
卑下するようだが、僕にはあまり徳がない。この挑戦を応援してくれた友達や知人はわずかであった。高崎に住む人も、昔からの意思を知る人も、フタを開けてみると関わることはなかった。
一方で、久しぶりの再会にも関わらず助けてくれる人がいて、初めましてにも関わらず親身になってくれる人がいて、平日に労働をして休日に手伝ってくれる人がいた。友達と仲間は違うことを理解し、友人であり仲間でもある人がわずかに、しかしたしかに存在していることを痛感し、その有り難さを日々噛み締めていた。
DIYに関しては、物件が変容していく様子に満足をしていて、これが非常に危険だった。赤字を垂れ流す毎日だがその血は見えにくく、若干、安穏としている面があった。僕はプレオープンを覚悟した。
とりあえず形にしなければというプレッシャーのもと、連日連夜で追い込んだ。
30日にプレオープンが無事に完遂され、ひとつの終わりを見た11月。
いよいよ本オープン、予約の受付を開始する。達成感をお預けにしながら、この時間がたからものであると信じながら、もう少しがんばる。
1週目(11/4-10)
「あとでやろう」をひとつずつ片付けていった。地味で細かい作業だ。
トイレの隙間を埋め、壁紙の補修を行い、雨漏れを直した。
近くにステキなカフェがある。物件探しの段階から様々な面で助けていただいている。平日は個人事業主が多く、ご近所の貴重な繋がりをこの週にも得た。
2週目(11/11-17)
壁紙のやり直しや床の掃除など、初期にやった箇所の修正が多い。自分で自分の仕事を増やした感じが不快であった。
クッションフロア貼りに挑戦して、二階個室、一階廊下、一階洗面と施工した。これは糊との戦いであり、ペンキ以上に服を葬った。
ショップカードを作った。
3週目(11/18-24)
福岡と壱岐島にいった。オープン済みの前提で予定を組んでいたが、現状は余裕なく、早めに帰宅せざるを得なかった。壱岐島の目的は『みなとやゲストハウス』だ。雰囲気に惚れてヘルパーをし、開業の決意に至った宿である。
壱岐島には『海鴉』という麦焼酎がある。味もさることながら、名前とラベルデザインが秀逸で、行くたびに呑む。この酒蔵も訪問し、仕入れが決まった。
東京では宿場JAPANが運営する『PETALS TOKYO』を見学し、社長の渡邊さんとお会いした。ゲストハウス開業のバイブルともいうべき本の著者でもあり、改めて開業までの教えを得た。
濃い視察の旅となった。
4週目(11/25-30)
この週で気合いの改装を行い、見た目が劇的に変わることになる。
まず、クッションフロア。次に、キッチンの床作り。キッチンとその手前の廊下を床組から行った。
これができたことで洗面台も設置。水回りの全てが使えるようになった。
最後に、難関だった壁の製作も行う。
これらは全て、ゲストハウス繋がりで知り合った方、近所の方、家族、そして『品川宿』のスタッフさんが来てくれて合宿で仕上げた。とても一人ではできない量の進捗をみた。お手伝いと差し入れで生きることができていたハイライトだ。
プレオープン前は泊まり込みで準備を行い、11/30、当日は20名以上の方にお越しいただく。またここでも、僕ひとりでは対応しきれず助けてもらう。これまでを見てきてくれた仲間は、当然のように案内ができた。
オープンによって、やっと感謝をカタチにできると思うと、力が沸いてくる。