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アーティストとして生きる(2)

実は、このようなたいそうな記事タイトルをつけたこと

シリーズにしてしまったことを後悔している・・・苦笑

けれども、頭の中の整理をするために書こうと思う。


私は、去年あたりから

幼少期のことや親との関係を振り返って、

わたしの人生におけるミッションや

ビジョンとはなんなのかを深掘りしてきた。


私のことをよく知らない人からはよく

「何の苦労もせずにキラキラ明るく社交的な人」などと

形容されたりもするので驚くのだが・・・

実際の私は幼少期に結構苦労していて、

キラキラもしていないし社交的でもなく、

1人大好きの職人肌なクリエイターというのが実態だと

思っている。


色々と吹っ切れたり悟ったり訓練をした結果、

そのように見えるだけなのである。


あまりその苦労が何なのかを語る気はないのだが

さらりというと、両親との間に、

思想信条に関わる深い溝があって・・・

それに翻弄されて苦しんだという感じ。


子供らしい子供ではなく、早く大人になってしまって

何かと両親の間を取り持って苦労していた。


また、とても厳しい戒律の元で育ったので

自分は、周りの世界を常に警戒するべきで

学校のクラスメートと自分とは決定的に違うもので、

自分がマイノリティであるということを強烈に感じつつ、

またひそかに疎外感を抱きながら、

でもそれを皆には悟られまいと必死になっていた。


そんな苦悩を思い出しつつ、これからの

ライフワークのキーワードとして出てきたのが・・・

「家族間のパワーバランスの調整」「美」

というキーワード。



「家族間のパワーバランスの調整」については、

幼少期に苦労した経験から、家族関係への思い入れは強い。


だからこそインテリアコーディネートやフラワーの仕事で

パートナーシップやライフスタイル、価値観へぐっと踏み込むことを

要求される仕事をしているのだと思う。


そして、「美」について。


子供の頃から絵や工作が大好きだった。

中学で美術部、高校でも美術選択。


中学から社会人に至るまでは、長く詩も書いていた。


美しいもの、綺麗と感じるものは、昔から大好きだった。

皆うつくしいものは好きだろう、と思ってきたけれど、

花を職業にするくらいだし、

物を買うときには、かなりデザインや色、

それが持つストーリーを気にする。


まあ、割と好みにうるさいタイプだ。

自分なりの美学を持っていると言えるのかもしれない。


出産前後に、二つの大きな美術展への出品の話が来て

この「美」に関するキーワードは、

急にスケールが大きくなって私の身にさらに迫ってきた。


突如として降ってきたのは、デザイナーではなくて

「アーティストとして生きる」ということだ。


フリーランスのフラワーデザイナーとして5年

そしてフリーのインテリアコーディネーターとして2年。


アーティストとしての自分を意識してこなかったので

正直いうと、まじか・・・と怖気付きそうな気持ちでいる。


でもこれまでの会社員経験も生かして

講師やコンサル的な事をして

ビジネスを本格化しようと思ったりしても

心が全然喜ばないし、積極的にやりたいという気になれない。


やろうと思えばやれるけれども

そういう中途半端な気持ちでは大成しないし

継続していけないだろう。


また、花を商品として

たくさんの人に届けたい気持ちはあるけれど、

単に大衆受けするものは作りたくない。


これまでの仕事を振り返って

何に生きがいを感じるか?

どんな場面で心動くか?

を考えた。


要望はあっても細かく指定されすぎず、

いい意味でおまかせいただいて

自分自身でベストと考える作品を完成させ

お客様の予想以上の形にできた時に喜びを感じる。


贈る背景となるストーリーを聞いて

イマジネーションを膨らませる時間も好き。

贈ったあとのストーリーもお知らせいただけたら、とても嬉しい。


色々とこれまでのことや

今に至るまでに変わってきた自分の感覚を振り返ると、

積極的な意味でも消去法的な意味でも

もはや私は私というアーティストとして

生きるほかないという気になってきた。


なので、これからは

アーティストとしての自分を軸に全てを考えていきたいと思う。

というか、もうここ数ヶ月そういう気持ちで過ごしている。

・・・書いちゃった。対外的には、初めて書きました。

今日は、静かな決意表明でした。


アトリエ・ノッカ

野村絵美子













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