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湖に反射するネオン、ハノイのめくるめく夜

  浴室の照明を消し、湯船の端にキャンドルを置いてゆらゆら揺れる水面を眺める。ごく小さい音量で手嶌葵のMoon riverを流す。帰国してからの私にとって、ハノイの夜に思いを馳せるためのおまじないのような儀式になった。オレンジ色の炎に照らされて揺れる水面を見ていると、住んでいた西湖の夕陽を思い出す。ハノイの夜は他国の首都ほどビル群がぎらぎらした華やかな夜景ではなく、どこか控えめでいつも白煙っている。ハノイの比較的樹木に囲まれた、懐かしい雰囲気を残す町並みともマッチする。やさしくてメローな夜。
 住んでいた西湖(タイホー)の辺りは日本人の他にイギリス人、アメリカ人、フランス人等も住むエリアで、湖に面した通り沿いにはテラス付きのバーが何軒も連なっていた。日本人以外の民族はほとんどテラス席の方を好むようである。仕事が定時に終わった日にはバーのテラスでワインをいただく。春以降は日が伸びるので、仕事終わりからでも湖の向こうに陽が沈んでいく経過が楽しめる。夕陽はくっきりした形をしておらず、大気汚染の埃と湖からの靄が上がって輪郭がぼけた、今にも溶け出しそうな形をしていた。このちょっとはっきりしない感じもベトナム特有のリラックス感を生みだす。陽が沈む直前の1番眩しい時間に白ワインのグラスにひかりが強く射すのを見るのが好きだった。テラスの外気に晒され汗をかいたグラスに陽射しが当たり、ワインの金色が一際輝く。私はグラスを左右に傾けながら美しい液体のひかり方を何度も確かめた。それは体感的にはほとんど永遠と呼べる時間で、ハノイを思い浮かべる時の原風景の一つになった。
 ベトナムの食文化はかなり多彩で、私の場合は1軒目はイタリアンで前菜のカプレーゼや生ハム、メインの魚が肉料理をつつく。それぞれの料理に合うワインをお願いするとお店の人が選んでくれる。この料理とお酒の組み合わせを楽しむ時間が何にも変え難い。2軒目は軽く飲めるバーに行く。この選択肢もかなりある。テラスのあるバー、ホテルの屋上にある少しラグジュアリーな眺めの良いバー、こぢんまりとした店構えにキャンドルの光だけの照明で営業しているバー(カップルの秘密基地みたい)、即興でのバンド演奏を受け入れているミュージックバー。これら全てが徒歩圏内で移動できる。ハノイの夜は野犬とスリに気をつける必要はあるが、他の外国よりは比較的治安がいい。夕方6時から飲み始め、めくるめく選択肢の中から次々とバーをホッピングするのは鮮やかな夢を見ているような時間だった。
 飲みの〆には牛出汁がしっかり効いたPhở bòを、二日酔いの朝には鶏出汁があっさりしたPhở gà が定番だった。国民食とも言えるPhởは大体5万ドン(300円)あればどんなお店でも楽しめる。出汁を楽しむ味覚は日本人とも共通性があり、ベトナム料理は馴染みやすい。東南アジア料理特有の甘めや辛めな味付けが少なく、野菜中心でいくらでも食べられる。中でもPhởはどこでデリバリーしても熱々のスープが届き、お店で食べる場合は目の前の大鍋から掬ったばかりのスープをざっと注ぎ、するするとした生の米粉麺に肉と大量の野菜を入れて提供してくれる。ラーメンで〆る日本の飲み方よりずっと優しい感じがする。
 キャンドルとひかりが反射する水面、それに美味しいワインがあれば私は心の中でいつでもあの時間に帰ることができる。ハノイのリズムは私の身体の中に滲みついているから。

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