ソールド・アウト
2024年10月12日。
時刻はもうすぐ23時といったところだ。
Taishi Nomura 40th Anniversary Live
「The world calls you」
無事の終演と成功を祝したメンバーやお客さんとのハコ打ちを終え、僕は荷物を預けるためホテルに戻った。
シャワーを浴びて馴染みの店へ向かう。
タクシーの窓越しに街を眺め、ようやく実感が込み上げる。
何をもって成功と呼ぶのかはわからない。
演奏はいつだって精一杯だ。
それでも、この全くの無名のミュージシャンが40歳の誕生日に起こした奇跡は「成功」と呼んで差し支えないだろう。
東京青山、月見ル君想フ。
150枚のチケットが完全にソールドアウトした。
自分は確かに成し遂げたんだ。
★
「LAST DAYS」
僕はこの生誕祭までの、あと残された80日をそう呼ぶことにした。
「これが最後の日々になるなら、今僕はどうするか?」
僕は再び物語を書くことにした。
ことわっておくが「日記」じゃない。
未来は僕が決める。
★
そして僕は狂ったように自室の掃除をはじめた。
こうして腰を据えて部屋の掃除をするなんて久しぶりだ。
この部屋に引っ越してきた日のことを思い出す。
丁寧に掃除されて、そしてまだ何一つ家具の運び込まれていない部屋。
その部屋自体が高級か高級じゃないかなんて大した問題じゃなくて、
引っ越してきたばかりの何にもない部屋が
「何でもアリ」
ってことのようで
これからなんだって出来そうな期待感が好きだった。
まだカーテンのさえ張られていない窓から眺める外の景色が好きだった。
だからまっさらなあの日の気持ちに戻ろう。
本当に必要な物だけを残して、あのまだ何もない部屋から始めるんだ。
★
とにかく呼吸が苦しい。
約10年連れ添ったその症状の原因はよく分からないし、そしてようやく分かりかけてもいる。
僕のソロキャリアは、この症状と共に過ごした記録でもある。
そして30歳を過ぎてようやく始まったボーカリストとしてのキャリアとも同じ期間だ。
そして今のこの幸せも、この症状と歩んできた証だ。
「ライブをやる」
でもこの状態で重いエレキギターを背負って歌うということは困難だった。
「歌かギターか?」
もしどちらか選ばなければいけないのなら、
作曲者としてその曲の主旋律である「歌」に注力しよう。
もちろん(歌とギターを別々に注力できる)レコーディングではギターも自分で弾いている。
ギターリフと、いわゆる曲の「サビ」は僕の音楽においては同格かそれ以上だ。
だからなおさら、絶大な信頼のおけるリードギタリストの力を借りたかった。
それがRYUTAROさんだ。
ギターレッスンの仕事で生計を立てる日々。
酸欠に近い状態で足を引き摺りながら自宅を出て、なんとかスクールへ辿り着く。
自宅から少し離れた最寄り駅。
ふたつの電車を乗り継いで勤めるスクールへ。
別に通勤距離としては大した距離ではない。
でも今の僕にはそれが本当に本当に長く感じた。
なるべくレッスンの始まる1時間前にはスクールに到着するようにしている。
大したことはないはずの通勤で消耗した呼吸を取り戻すために
それくらいの時間を必要とするようになっていた。
レッスンに来てくれるみんなには本当に申し訳なかった。
決して安くない月謝。
スクールに通うための交通費や時間・手間。
そして音楽に馳せる想い。
そうやっていろんなものをかけて開いてくれたスクールの扉の先で、
僕の顔が曇っていたことは何度も何度もあったはずだ。
それでも
星の数ほどいる音楽講師の中から僕を選んでくれたことが本当に嬉しかった。
僕より上手い演奏家なんて星の数ほどいるというのに。
それでも僕を選んでくれたことが本当に嬉しかった。
「僕が人に何か伝えられることは何か?」
最近は暇さえあればそのことを考える。
「作詞作曲」
「演奏もアレンジも」
「作品のプロモーションも」
音楽活動にまつわる全て。
自身の手でやってきたこと。
その一つ一つについて、
その道を極めたプロには到底敵わないだろう。
でも作品に対する愛着や思い入れなんてものに関しては誰にも負けない。
それがそのまま、作品やライブと歩んでいく上での苦しさでもあるんだと思う。
「自分の歌が下手だからダメなんじゃないか?」
「自分の演奏が下手だから」
「自分の歌詞が」
「メロディーが」
「・・・」
「・・・」
全てを自分で手がけるということは同時に逃げ道もないということだ。
この数年間・・
特に今年の生誕ライブの開催を決めてからは文字通り寝ても覚めてもずっとうなされている。
でもそれと同じくらい、
僕は自分の音楽に自信を持っていた。
だって今よりもっと苦しかった時に、
自分を励まし鼓舞するために生み出した言葉とメロディーだから。
時々自分の作品を聴き返すことがある。
溢れてくるのはやっぱりいい思い出ばっかりじゃなくて、
悔しかったことも憤りも。
そして作品を聴き終えていつも思う。
「それでもこの作品が完成したのは自分と、関わってくれた人たちのプラスのパワーがあったから」
完成した時点で作品はもう過去のもの。
もし仮に歩みを止めなかったなら、1日ごとにその作品は(自分にとっては)
「未熟の証明」
になる。
でもそれを愛せるのは、
むしろ時を経るごとに不思議と愛おしくなるのは
「その時どれだけ一生懸命だったか?」
それだけだと思う。
話を戻そう。
「僕に伝えられることは何か?」
今僕には幸運にも、
全てをかけて成し遂げたい公演がある。
それを共にしたい仲間がいて、
それを見守ってほしい人たちがいる。
そもそもこの上記の4行があるということがどれだけ幸せなことか?
そのことを噛み締めながら、この冒険をまっとうすること。
この作品を通じて
「きっと大丈夫」
という可能性を提示すること。
その想いが固まってからは、もう僕は迷わなくなった。
実のところ本番当日まで100日を切った段階ではチケットはほとんど売れていなかった。
数人の熱心なファンが約1年前からチケットを予約してこの日を待ってくれていた以外は。
流れが変わり始めたのは梅雨が明け、「ザ・お祭り男」と称した自身初のライブツアーが始まってからのことだ。
「ザ・お祭り男」というタイトルの通り、各地の夏祭りへの出演を中心としたツアー。
当初5公演の予定だったこのツアーは追加公演が重なり最終的に20公演に迫るところとなった。
そんな夏まつりツアー。
実は自身のオリジナル楽曲はほとんど歌わなかった。
アンパンマンやポケモン。
懐かしのフォークソング。
T.M.Revolutionの西川貴教さんに扮したT.N.Revolution(タイシノムラレボリューション)まで笑
「笑えること」
それがほんの一瞬でも。
そのことを何よりも大切にした。
その想いが固まったのは今年2024年の5月26日に出演した埼玉県草加市で行われた「森フェス!!」がきっかけだった。
その舞台が前述のT.M.Revolutionの西川貴教さんに扮したT.N.Revolution(タイシノムラレボリューション)の初舞台となった。
草加市の職員の皆さま、そしてマツコデラックスものまねでお馴染みの吉本芸人北条ふとしさんまでを巻き込んでの演出となった。
僕自身としてはそれなりに勇気のいる(笑)ことだったがやっぱりやってよかった。
笑って楽しんでくれたこと。
スタッフさんもお客さんも、そして僕らも。
そして思い入れの深い出来事がもう一つある。
SNSを通じてこの日の写真や動画を見た知り合い・・
僕と同じジャンルで頑張っている者もいれば、別ジャンルで頑張っている連中もいる。
そんな彼女たちの爆笑だ。
彼女たちの爆笑を見た時、改めて「やってよかったな」と思った。
大きく括ればみんなエンターテイメントの中で生きてる。
乱暴な言い方になるが笑顔を見せるのが仕事だ。
精一杯笑っているけれど、心は泣いている。
そんなシーンもたくさん見てきた。
だからこそ、この僕の一世一代のT.N.Revolution(タイシノムラレボリューション)に爆笑してくれたのが本当に嬉しかった。
やろうと決めてから、僕自身もいくつかの瞬間で時間を忘れて笑うことができた。
それは僕自身が心のどこかでずっとずっと欲していたものだ。
「笑おう!せっかくの夏祭りだ!」
そのために何が出来るかを、僕は考えはじめた。
それと同時にずっとずっと見つからなかった自分の居場所というものを、少しだけ見つけることができた気がした。
アイデアは無限に広がって、現場を想像してはひとり狭い自宅でひとり笑っている。
最高だね。
それ実現しようよ(笑)
そんなことを考えているうちに、昨年に引き続き戸田ふるさと祭りの出演が決まった。
会場は戸田市文化会館大ホール。
しかも何故か馴染みのサポートメンバーのみんなのスケジュールも合う。
出番はトリだという。
T.N.Revolution(タイシノムラレボリューション)・・・
そんな舞台に出したらいかんぞ(笑)
★
「夜も遅くなりましたので小さな声で。カンパイ!お疲れ様でした!」
夏祭り1日目を終えたばかりの喧騒を横目に、文化会館の駐車場の片隅で僕らはこの日のライブのささやかな打ち上げをした。
機材の搬出、関係各所への挨拶・・
まあいろいろだ。
演奏を終えてからみんなのところへ行けるまではどうしてもかなり待たせることになる。
雑務を終え、僕とトモさんはようやく戸田市文化会館に戻ってきた。
「待たなくていいって言ったろ!?」
戸田市文化会館の駐車場で僕らを待っていたのは今日のあの大ホールを埋めてくれたオーディエンスのみんなだった。
時刻は21時を過ぎている。
騒がしいことは慎もう。
でももう慣れっこだよな。
声を出さずに喜びを分かち合うこと。
成澤さん、RYUTAROさん、稲葉さん、杏優ちゃんはみんなからの記念撮影に追われっぱなしだ。
「すごいねぇ」
隣にいるトモさんと小さく乾杯する。
そういえばもう長い付き合いなのにトモさんとお酒を飲むのは初めてだ。
いつも横浜から自分の車で自分のドラムセットを運んできてくれていたから。
静かな喧騒を眺めながらおじさん二人でビールを飲んでいた。
ふと少年が現れる。
「ドラム、習いたいです」
中2くらいだろう。
僕もレッスン仕事してるから大体の年の頃はわかる。
土屋は自分の手荷物用のリュックをスネアがわりにして、何故かまだ持っていたスティックでその中2男子にドラムレッスンをはじめている。
中2二人の熱いやり取りを尻目に僕は散歩に出かける。
それにしてもみんなこんなに待ち時間があったのだから近くのコンビニで買ってくればいいものを。
わざわざ店じまい間際の屋台の生ビールを買って、
それがぬるくなっても僕らメンバーが戻ってくるまで口をつけずにみんな待っていてくれた。
最高の夏祭りを共に味わうために。
一人一人と乾杯する。
同時にみな生誕ライブのチケット予約をしてくれた。
ついにチケットが大きく動きはじめた。
この時点で50枚が見えてきていた。
実はこれまでの夏祭りツアーで少しずつではあるがチケットの予約が入りはじめていた。
千葉の茂原七夕祭りではなんと以前サポート現場でお世話になったプロデューサーと偶然再会した。
あれ以来僕の動向を気にかけていてくれたらしい。
ちなみにプロデューサーは僕のことを「ヤス」と呼ぶ。
名前の読み間違いがそのままその現場での僕の名前になった。
ギタリスト「yasu」だ。
悪くないね。
とにもかくも生誕当日は5名でご来場くださるという。
本当にありがたい。
8/4 高円寺カナデミア
この日は僕にとって初となるアニソンイベントだった。
ドラゴンボールと幽遊白書という、僕にとって決して外すことのできない選曲はもちろんだが新たな挑戦もあった。
ミュージカル「刀剣乱舞」から山姥切国広「美しきひとひら」を選曲した。
レッスン仕事を始めてからは特に新たな出会いが増えたが、ミュージカルを愛し、そして志す人の多さに驚いた。
その中の一つが「刀剣乱舞」だった。
いくつか作品を観てみたが僕のルーツであるファイナルファンタジーシリーズの世界観やビジュアル系ロックバンドに通じるものがある。
根底にあるソウルみたいなものは同じなのだ、きっと。
そして基本的には僕の声は低く太い。
ハイトーンボーカルが脚光を浴びる現代で、そんな自身の声は常にコンプレックスだったがミュージカルではそれが大きな強みになる。
「これはイケる」
僕はそう確信した。
夏祭りツアーの衣装はこの刀剣乱舞ミュージカルの影響を大きく受けている。
僕は夏祭りツアーのために派手な法被を用意した。
元々はT.N.Revolution(タイシノムラレボリューション)と野村泰史の早変わりのためのアイデアではあったが、スタジオで届いた法被に袖を通しギターを構えてみるとなかなか悪くない。
あとアコギとの相性がいい。
これをベースに自分のルーツであるファイナルファンタジーや刀剣乱舞の世界観を盛り込もう。
夏祭りツアーは戸田ふるさと祭りを除けばトモさんのパーカッションとの二人編成か僕のアコギのみ。
和太鼓奏者のような猛々しさ。
ダイナミックでありながら緻密に和音を構成したメロディーが聴こえてくるアコギのストローク。
そして音数の少なさを補って有り余るほどに華やかなビジュアル。
この3つをベースに、毎公演違ったものを観せる。
「これはイケる」
僕はそう確信した。
その試みは大成功だった。
カナデミアでのアニソンイベントの終演後、生誕のチケットはなんと7枚もの予約が入った。
★
8/12 越谷ダンスアート音楽祭
「今年もぜひ」とオーガナイザー小林イッセイさん直々のオファーだった。
演奏自体は1曲のみのステージだから演奏前のトークに重きを置いた。
昨年もお客さんたちに楽しんでもらえたのはむしろトークの方だ。
結婚を約束した彼女にフラれてヤケクソで岡山から上京したこと。
そこから幸運にも音楽の仕事で生計を立てられるようになったこと。
「最初に思い描いた形とは違うかもしれないけれど、必ず夢は叶うよ」
ステージから子供達へ呼びかけたこと。
一年ぶりの越谷市民文化会館のステージに立ち、僕は考え抜いたトークを披露する。
「前回のあらすじ」
「今を遡ること5年前。
僕には結婚を誓い合った彼女がおりましてですね・・
その彼女は僕より9歳年上だったこともあって、その時点でバツイチでまあまあ大きい娘が3人おったんですね。
当時で一番上が専門学校の1年生。
次が高校3年生。
末っ子が中学3年生。
でまあ、お金がなかったわけです。
とにかく末っ子に公立高校に行ってもらわんと学費なんてとてもとても。
あとね、塾に通わせる余裕もなかったわけですね。
で、僕が昔塾講師のバイトをしていたこともあって、その末っ子の家庭教師をしたんですね、2年間。
末っ子はやりました。
公立高校に受かりました。
でもなぜか同時に彼女からは別れを告げられました。
やられました。
でそれからしばらく呑んだくれて
そして思ったんですね。
「自分みたいな人間がほんの一瞬でも誰かと家族みたいになれた。それも4人も。
それがそもそも奇跡みたいなもの。
もう35歳だけど、まだ35歳。
彼女も娘ももういなくなってしまったけれど、ギターは相変わらず僕の隣におってくれたんですね。
じゃあギター持って東京へ行ってみよう。
まあ東京に住むと家賃が高いから、埼玉くらいで。
着いて2週間後にコロナの緊急事態宣言が出てほんとまいったですけどね。
そうこうしているうちに川口市の小さな音楽教室で子どもたちを中心にギターを教えるようになったり、時々バックバンドとかにも呼んでもらえるようになりました。
お察しの通りの貧乏生活だけど、一応プロになれたんですね。
ここまでが前回のあらすじ。
でまあ、ギター教室とかで生計を立てながら細々と自分自身の活動もしていくわけですね。
一応僕自身で作詞作曲して、ギター弾いて歌ってとやっておりますのでね。
書いたんですね、曲を。
あのさっきの元カノね、希世っていう名前だったんですよ。
希望の希に世界の世。
で書いたんですね。
希望に満ちた世界でという曲を。
名前をそのまんまタイトルにするのは流石に気が引けたので、元カノの名前の由来をタイトルにしましてね・・
それがいつの間にかレコーディングされてCDになり配信もされ、
若手映像作家さんがわざわざボランティアでミュージックビデオまで作ってくれてこれもまたインターネットで配信されてね笑
いやこれね、もし元カノがご両親への感謝とか込めてね・・
自分の名前の由来とかをインターネットに入力したらね、
すーぐ出てくるわけですよ。
元カレの曲が検索結果に。
そうやって考えたら音楽って面白いもんですね。
きっともう会うことはないとは思うんですが、
時々思い出にちょっと寄り道したりしてね。
今日という日もほんとにあっという間に過ぎていってしまいますけれど、
心から楽しんで、一生懸命練習して緊張して。
そんな日のことは一生忘れないと思います。
完全に元カノの歌を歌う流れになっていますが今日はやめておきます。
聞きたい人はこのあとCDを買ってください。
他の8曲と抱き合わせ販売しております。
こちらにQRコードを用意しております。
こっちだったらタダです。
今日はね、本当にここにいる全員で歌える歌をやります。
では全員で行きましょう!(アンパンマンマーチ)
「この選択でよかった」
会場を埋め尽くす笑顔をステージから目の当たりにしたとき
心からそう思った。
1曲限りのステージ。
本当ならオリジナル曲を大切に届けるべきだろう、アーティストとしては。
でもアーティストとしてのプライドなんて僕にとっては本当に小さいことだった。この会場で目を輝かせている子どもたちの笑顔に比べたら。
ありがとう。
その手拍子はもしかしたら生まれて初めて音楽というものに対して手拍子する瞬間かもしれない。
老若男女。
本当にその言葉がよく似合う。
「アンパンマンマーチ」を本当の意味で会場の全員が口ずさむことができた。
そんな曲は日本に限定したとしてもいくつあるのだろう?
本当に数えるほどしかないだろう。
僕が小さな子供の頃に夢中になって、
これから大きくなる小さな君もこの歌が大好きだなんてね。
「忘れないで夢を」
「こぼさないで涙」
ステージから君たちに届けているのか?
君たちからそうやって励まされているのか?
僕はもう自分がどこにいるのか分からなくなっていた。
自分は客席にいるのか?
ステージで演奏しているのか?
きっとどちらにも僕はいる。
「君に僕はどう見えていますか?」
「そんなこと気にせずに、気分のままに踊りな」
僕は時空がグニャッと歪むのを感じていた。
「歌い継ぐこと」
音楽の世界にそんな役割や仕事があることを知ることが出来たのは、きっと自身でもたくさん曲を書いてきたからだと思う。
結局歌わずじまいだった「希望に満ちた世界で」を求めて多くのお客さんにより。
その日はちょっとびっくりするくらいにアルバム「THE LIGHT」のCDは売れた。
一気にCDを10枚売ったのは初めてだ。
本当に本当にお金がなかったから助かった。
心から感謝しています。
そして少しのタイムラグを経て、10月の青山月見ル君想フでのバースデーライブのチケット予約も増えていった。
増えていったのはCDの売り上げやチケット予約だけではない。
ライブの出演オファーがひっきりなしに届き始めた。
あと一つ足りないものを、みな僕の現場に託そうとしてくれていた。
そうして夏祭りライブツアー「ザ・お祭り男」は追加公演で埋め尽くされていった。
★
150枚のチケットをソールドアウトさせる。
戸田ふるさと祭りが終了した時点で約50枚のチケットが売れた。
あと100枚をどう売り切るのか?
皆そこに関心を寄せ始めた。
起死回生の一発。
それを巻き起こしたのは戸田ふるさと祭りでのライブを心から楽しんでくれたオーディエンスのみんなだった。
T.N.レボリューションの動画が大バズりしたのだ。
彼女たちが客席からスマホで撮影しアップロードされたライブ映像たちは瞬く間に拡散された。
僕も見てみたがどれも目を疑うような再生回数だった。
同時にピアノの杏優ちゃんのYoutubeもついに登録者数1000人を突破した。
★
9月に入った。
支払いの催促の電話で目を覚ます日々。
本当の意味で眠ったことなどこの一年一度もない。
いや・・それはきっともっともっと長い期間。
家賃もスマホも、もう支払う余裕はなかった。
それでも当日の演奏に必要な楽器、機材、会場費、メンバーの給料は守り抜いてみせる。
ずっと前から分かっていたことだ。
こういう状況になることは。
僕はこの公演をやるために生まれて、この公演のために生きてきたから、
この公演と命を引き換えでいい。
こんなちっぽけな命だけれど、それで足りるなら。
どうかこの公演を納得のいく形でやらせてほしい。
心を込めて紡ぎ出した楽曲。
心から必要としたメンバー。
心から見守ってほしいと願ったオーディエンスの一人一人。
それはそれは美しい皆既日食のように。
いくつもの偶然と奇跡が重なる瞬間なんてこの短い人生の中でいくつもない。
次はいつだ?
100年後?
そんな先まで僕は生きていない。
この公演のためなら死んでもいい。
だって僕はこの公演をやるために生まれて生きてきたのだから。
「次」はおそらくないでしょう。
僕の命の価値は、この一回分しかない。
そのかわり、どんな自然災害も寄せ付けない。
当日の開催は、必ず行われる。
メンバーの誰一人欠けることなく。
★
守り抜く。
その手段が自分の手の中にあることに僕は気づいた。
150人を動員する。
そして公演に感動したオーディエンスの中の100人がアルバム「THE LIGHT」のCDを買ってくれたら、僕はメンバーを守れる。
だから大丈夫だ。
僕にはその力がある。
★
日を追うごとに声はどんどん自由になっていった。
ハイトーンに全く負荷を感じない。
それはこれまでの日々が何一つ間違っちゃいなかったことの証明でもあった。
僕は誇りに思う。
★
「ようやくここまで辿り着いたか。ずいぶん待ったよ。予想していたよりずっとずっと遅かったがね」
「あなたも辛抱強いですね」
彼はフッと笑って、そして子供みたいな笑顔で答えた。
「君は狂っている」
「でもずっと好きだったもんな、音楽が」
「いくら必要なんだ?」
「準備金だけで200万です」
「ま、そんなもんだろ。よくその程度におさめたよ」
「格安だな」
「でしょう?」
「ひとつだけいいか?」
彼は真面目な顔で言った。
「君は今、誰かを殴りたいか?」
「殴りたいけど、ほんの少しだけ・・」
「でもそいつを抱きしめて、また一緒に酒でも飲もうや!って言いたい僕もいるんだ」
僕は心のままに答えた。
「よろしい」
長い尻尾の男は答えた。
「それがフェスティバルのチケットだ。行け!」
★
どこまでも青く澄み渡り、本当によく晴れた秋の空の下で、当日迎えた。
★
開演を告げるアナウンスが流れる。
第50回戸田ふるさと祭りの開演に先立ちまして
Taishi Nomura Band 代表 野村泰史よりご挨拶申し上げます。
本日は台風10号の影響による第50回戸田ふるさと祭りの開催中止という非常に悔しく残念な思いの中、このYoutubeオンラインライブにご来場いただき誠にありがとうございます。
そしてこのお祭りに関わる全ての人の安全と幸せを願い、早い段階での開催中止の判断・決断に心から感謝と敬意を申し上げます。
命あってのエンターテイメントです。
そして生きてさえいれば必ずまた会える。
その上で僕たちにできることは何か?
「オンラインライブをやろう!おうちでお祭りをやろう!!」
あのコロナ禍さえ僕たちは乗り越えてきた。
安全を確保して備えをしっかりして、そしたらあとは笑顔で今という瞬間を過ごそう。
来年はもっともっと楽しいことをやろう!
さあまもなく開演です!
楽しい音楽の時間の始まりです!!
★
戸田ふるさと祭り。
一曲目にHOT LIMIT/T.N.Revolution
2曲目に配置したのは杏優ちゃんのピアノソロだった。
X Japanの紅のピアノソロバージョン。
「見てもらえれば、知ってもらえれば必ず好きになってもらえる」
僕はその自信があった。
そしてメンバーのことも同じように自信を持っていた。
だから僕はある「仕掛け」を用意した。
HOT LIMITのあの衣装やダンス。
その姿や演奏をスマホで撮影しているオーディエンスがステージからたくさん見えていた。
そして紅のピアノソロにバトンタッチだ。
着替えてステージに戻ってきた僕は大きな大きなQRコードを客席に向かって掲げた。
ピアニスト杏優
チャンネル登録者1000人まであと10人!チャンネル登録お願いします
そう、お客さんたちはもうスマホのカメラを起動してステージに向けていた。
あとはQRコードを読み込んでもらうだけだ。
T.N.Revolutionが面白ければ面白いほど、ステージにスマホのカメラが向けられる。
準備は整った。
最高のパフォーマンスで、1000人の壁を超えろ。
壁の超えかたのスケールがデカかった・・
なんとX JapanのYOSHIKIさんがSNSで戸田ふるさと祭りでの杏優ちゃんの紅の映像を見て感激し、コメントと拡散してくれたのだ。
「素晴らしい。僕らも早くコンサートやりたいね」
なんという奇跡だろう。
あっという間に登録者数の0が増えていった。
そしてそれに呼応するように、オリジナル楽曲たちの再生回数も日を追うごとに桁を変えていき、生誕ライブのチケットも大きく動き始めた。
ついに一般レベルにまで認知され始めたのだ。
ヴァイオリンのための楽曲「eternally」や「You can go anywhere」
ピアノのための楽曲「The world calls you」
それらの楽曲たちはTiktokやInstagramで使用され、無数の映像クリエイターや写真家たちとの相乗効果を生み出していた。
T.N.レボリューションと「eternally」らを作曲したのが同一人物であるというそのギャップも大きな後押しとなった。
そしてSNSでの成功が「ライブのチケットを購入する」というアクションにまで結びついたのはやはりバンドとしての確かな地力あってこそだろう。
余談だけれど・・
どの公演だってそうなのだけれど。
台風とかで中止になってしまう可能性だってあったわけだ。
それは「イベント」を開催する上で必ず付きまとうリスクで、それを受け入れた上でみんな動いている。
そして運悪く中止になったとしても、それは誰のせいでもない。
だから僕たちは用意していたんだよ。
もし台風や悪天候で戸田ふるさと祭りが中止になったとしても、
8/31の19:30から自宅で僕らのライブを楽しんでもらえるように。
リハーサルスタジオでの、1カメでの収録。
音質だってお世辞にもいいとは言えない。
でも僕は・・
たとえ何があっても
何処にいたとしてもこの50回目の戸田ふるさと祭りを成功させたい。
楽しんでほしい。
コロナ禍を経験した僕らは強い。
もし台風が来ちゃったら配信ライブで楽しもうや。
「何があってもこのライブを届ける」
そんな思いだった。
「備えは確実にする。そして無事の開催を信じ抜く」
この二本柱で。
★
現実にはかなり厄介なタイプの台風が発生してしまっていた。
そして僕らは台風を跳ね返した。
もちろん科学的な根拠など何もない。
でもどう考えても気持ちの勝利としか思えないのだ。
★
パーカッションの土屋と共に巡るアコースティックライブにも人が集まり始めた。
明らかにこれまでとは反応や注目度が違ってきていた。
それによってそのイベントを彩るキッチンカーや屋台も多くのお客さんに利用されることとなった。
その光景が本当に嬉しかった。
街がつくるイベントに僕は本当に助けられてきたから、恩返しができたみたいで嬉しかった。
★
僕は「キ」の開通作業を始めた。
排水溝や窓ガラス。
つまり外部との繋がりとなる場所をひとつひとつ丁寧に掃除し、つまりは開通させていった。
「キ」が一気に押し寄せてくる。
すごいパワーだ。
清掃員として働き、その悲惨な待遇に耐え続けたのはこのためだったのだ。
だから今度は自分のために。
そして自分自身である仲間のために。
「キ」を開通させるのだ。
「キ」とは
おそらくではあるが鮮明にイメージできた向こう側の世界から送られてくる実家からの仕送りのダンボールみたいなものだ。
ありがたいのだけれど、
入れてくれた甘い煎餅・・苦手なんだ笑
出来れば塩味が良かったな笑
そういう経験がある人も多いだろう。
(本当にありがたいことですよ汗)
そのニーズに対するズレというのは実は「イメージ不足」からきている。
より鮮明にイメージするのだ。
涙が流れるくらいに。
そして本当に欲しいのは「塩味の煎餅」だろうか?
違うはずだ。
本当に欲しいものはなんだ?
もっともっと大きなものだろう?
向こうはそれがわからないし、仮に分かったとしても「キ」を届けるトンネルが小さすぎて送りようがない。
だからその「キ」の通り道を思いっきり広げる必要がある。
その通り道が何で、どこにあるのかに僕は気づいた。
これは実は人それぞれだ。
僕の場合は先述の通り排水溝とか窓ガラスとかがそれにあたる。
人によってはインターネット配信活動とかだったりもする。
現に今僕と共に汗を流す仲間はインターネットを通じて巡り合っているし、
リアルが先行して出会った場合でも実は絆が深まったのはインターネットを経由しての交流がきっかけだ。
最後のワンピースは「キ」と「その通り道を開通させること」
そしてその機動装置である「フェスティバル」だ。
その3つが揃った時、全ては叶う。
なにもしてこなかった人間にこの3つは決して訪れない。
そして「どういう風にそれをしてきたか?」が重要だ。
技術を習得する上での練習。
「意味を考えながらやりなさい」とよく言われてきたはずだ。
それはつまり「鮮明なイメージ」に他ならない。
「鮮明なイメージ」✖️「キ」「通り道の開通」「フェスティバル」
この公式が成立した時、全てが叶う。
そしてそれを劇的に倍増させる要素がもう一つある。
「喜ぶこと」だ。
何も難しい話ではない。
産まれたばかりのそれはそれは可愛い小さな姪っ子を見て、
そしてその成長し人生を謳歌する姿を想像して幸せに気持ちになった人は僕だけじゃないはずだ。
今いるこの世界の中にはヒントがあった。
「トンネル」については幽遊白書だ。
「ONE PIECE」の正体ももしかしたらこれかもしれないし多分そうだろう。
「オールブルー」というものが僕はずっと引っかかっていた。
そして「キ」という言葉。
ドラゴンボール。
そう。
僕らは今よりずっとずっと幼い頃にその答えを知っていたのだ。
だから大丈夫。
努力は必ず報われる。
ここまで本当によくやった。
だから最後のワンピースを、みんなで享受しよう。
そして未来を謳歌しよう。
「フェスティバル」
その舞台は用意した。
招待状も送ってある。
じきに届くはずだ。
★
フェスティバルの参加者たちは、なんとなくではあるが「それ」に薄々気づき始めた者達だった。
しかしそれには「機動装置」のようなものが必要だった。
★
ギター武者修行に
★
「声」に明らかな変化が生まれていた。
圧倒的な響き、倍音。
僕の声は急速にそれらを纏い始めた。
まるで温泉でも掘り当てたみたいに、これまで積み重ねてきたものが溢れ出した。
「生粋のボーカリストではない」というコンプレックス。
そしてそれとともに歩んできた過去。
それらは消滅した。
何処にもない、この気高い響きはこの「The world calls you」というライブ作品が待ち望んだ、圧倒的主役だった。
間に合ってよかった。
いや、間に合わせたのだ。
おかえり、ギタリスト。
ようこそ、ボーカリスト。
時間はかかったけれど、君は確かにたどり着いた。
おめでとう。
★
「壁沿いに一列でお並びくださーい!」
会場スタッフが拡声器で呼びかける。
これは開演が少し遅れるかもしれない。
客入れにかなり手間取っている。
無理はない。
ここまでの動員を誰一人予想していなかった。
この人数のスタッフで今日のイベントを運営するのは大変だろう。
「少しずつ前の方へお詰めくださーい!」
先ほどから声を張って来場の皆さんを誘導しているのは実は今日のPAさんだ。
とにかく人手が足りないのだ。
しかしだからと言って僕らが手伝いに行くわけにもいかない。
僕らは僕らの役割を全うしよう。
開演予定時刻を10分ほど過ぎて、幕は上がった。
★
月見ルを埋め尽くした客席の150人に圧倒される。
誰一人そんな状況は予想していなかった。
予定していた椅子席もなし。
休憩なしの2時間を超える公演だったから、立ちっぱなしで体力的にキツかった人もいただろう。
それはそれは圧巻だった。
客席を埋めてくれたのは、これまで決して短くない時を共にしてきたみんなだった。
だから次は君の番だ。
「夢は叶う」
その事実だけは今日証明したつもりだ。
僕たちに出来たのだから、君だってできるはずだ。
★
オープニングSEはなし。
まるでクラシックコンサートのように無音でメンバーが登場し、ノムラ単独でこのコンサートのタイトルナンバー「The world calls you」をギター一本、フィンガースタイルで奏でる。
それがSE代わりだ。
ノムラのフィンガーピッキングがピックによるストロークに変わる。
いよいよ本当のオープニングナンバー「garden's symphony」だ。
客席に圧倒されてばかりというわけにはいかない。
ここから僕らが客席を圧倒していく。
百花繚乱。
オープニングナンバー「garden's symphony」は、たくさんの花たちが芽吹き咲き誇る姿を短い曲にした。
それはコロナ禍でたった一人制作したアルバム「THE LIGHT」のオープニングナンバーでもあった。
暗闇の中で八方塞がりで、それでも光を探して手を伸ばして。
そんな主人公、ちゃんとここにいるでしょう?
そして僕は満員の客席の中によく見覚えのある二人を見つけた。
僕にとっての、二人の師匠だった。
実はこのオープニングナンバー「garden's symphony」
僕のソロストローク明けの「みんなでドーン!」にヴァイオリンの成澤さんは参加していない。
これは僕のたっての希望だった。
この贅沢なオケをバックに、少し遅れて満を持して高らかにソロを奏でて欲しかった。
ヴァイオリンの弓は騎士の剣のようだ。
それを高らかにかざし、人々は熱狂する。
「楽器を奏でるための道具」
それはスティックだったりピックだったり、手そのものだったり。
どれもカッコいいがぱっと見いちばんカッコいいのはやっぱりヴァイオリンの弓だと思う。
成澤さんと杏優ちゃんと出会って、僕はクラシック音楽に接する機会が随分と増えた。
クラシックコンサートを観に行く機会も多かった。
そうして学んだことは
「ヴァイオリンの弓が騎士の剣のようだ」
中2病を許せ。
Reconstruction(再構築)
誰にとっても青天の霹靂だったコロナ禍。
誰もがこれまでの当たり前を離れ、再構築を余儀なくされていた。
「何もないところからやり直す」
あのコロナ禍で自分自身を奮い立たせる意味も込めて、原始的なロックンロールのサウンドを基調にして制作した。
余談だがこのReconstructionの2021年当時のリリース音源。
3回出てくるサビ前のBメロに注目してほしい。
歌の主旋律に対するカウンターメロディー。
1回目はエレキギターのみ。
2回目はピアノが増えている。
3回目はストリングスも加わっている。
一人ぼっちの冒険でも、必ず仲間は増えていくと信じて。
当時はギターとベース以外、つまり自分が弾けない楽器は打ち込みで制作した。
この曲にはサブテーマがあった。
「ホラ吹きの絵空事」だ。
「虹」というものが迷信とされていた世界。
土砂降りの雨に打たれボロボロだった主人公は偶然空にかかる虹を見つける。
一瞬ではあったけれどそれは確かにあった。
村に帰り誰に話しても、誰一人それを信じるものはいなかった。
話せば話すほどに「ホラ吹きだ」と嫌われていった。
だから主人公は虹を探しに行くことにした。
確かに見たのだから。
ホラ吹きと笑われながら、それでも少しずつ仲間は増えていった。
改めて今日のメンバーを見てほしい。
音源で願った仲間が、現実に今ここにいますよ。
Rhodolite garnet
「そういえばRhodolite garnetって、10/11の誕生石なんですってね。なんか縁があるんですか?」
2022年冬。
まだ知り合って間もないトモさんが初めてのリハでドラムのセッティングをしながら言う。
「え?そうなの??」
なんという偶然か。
Rhodolite garnetは90年代のV系への憧れを詰め込んだ曲だったから、タイトルもなにかカッコいい宝石の名前でも・・と思ったに過ぎない。
★MC1
「本日はようこそおいでくださいました。
私が生まれてギターと出会い、そして今日に至るまで。
40年かけて紡いできた音楽を、最高の演奏家たちと共にお届けしてまいります。
本日は心ゆくまでお楽しみ下さい。
★MC2
RYUTAROさんとの出会い
★MC3
「ただいまお届けした曲はG Minor Bach。
かの有名な作曲家バッハによる平均律クラヴィーア第1巻から第2番ハ短調「プレリュード・フーガ」を元に、ピアニストのルオ・ニがGマイナー・バッハとして発表した作品を本日はギターでお届けしました。
あとで改めてご紹介いたしますが、成澤幸央さんと杏優ちゃんという
クラシック出身のお二人と出会ったことで、僕自身もクラシック音楽に触れる機会が増えていきました。
自分もクラシック曲を演奏してみたい。
いつしかそう思うようになりました。
だから今日のこの日にやってみよう。
そう思いました。
ありがとうございます。
そして、このソロでの活動をしてきた中で「ドラムがいない」ということが本当にコンプレックスでした。
アーティスト名がTaishi Nomuraとローマ字表記にしているのも、ライブでバンドと並んだ時に当たり負けしたくない、少しでもバンドっぽく見えていてほしいからでした。
GLAYが大好きで始めた音楽。
バンドで、ライブハウスで育ってきました。
バンドが大好きです。
ご存知の方も多いと思いますが、GLAYにも正式なメンバーとしてのドラムはいません。
でもサポートドラマーとして永井俊光さんという方が30年近くGLAYを支え、メンバーとサポートの垣根を超えてファンに愛されています。
そして僕もトモさんに出会い、ずっとずっと抱えていたコンプレックスは
「なんだGLAYと一緒じゃん!」
と一瞬にして吹き飛びました。
バンド編成でのライブにはメンバーで唯一全公演参加してくれていますし、今年の夏は二人でいろんな夏祭りを巡りました。
僕のキャリアの中で、いつの間にかいちばん長く音楽を共にした人になりましたね。
それでは大きな拍手でお迎えください!
ドラムス土屋"tomo"智泰!
しばし二人でトーク
「雲の彼方」演奏
「ではお待ちかね。この方を紹介しましょう。
この会場を紅に染めてお迎えください!ピアニスト杏優!」
ステージの土屋とノムラがペンライトを折って会場を先導する。
この日の来場者には入場時に紅いペンライトが配布されていた。
そしてもちろん青も。
会場が一斉に染まる。
紅に。
ソロコーナー
杏優
「それでは紹介します!野村泰史!」
FRIENDSのイントロとともにノムラ再登場。
FRIENDS演奏後全メンバー再登場。
MC4
「紹介します!ベース稲葉雅人!
稲葉さんは去年の戸田ふるさと祭りから参加してくれています。
レコーディングではリモートだったけどアグレッシブなプレイで後に続くみんなの火付け役になってくれたし、今年の戸田ふるさと祭りの衣装に関しても僕の意向を汲み取った上でアイデアを提案してくれたりと、本当に嬉しかったし頼りにしてます。
今年は特にアリーナ公演おめでとう。」
「エマージェンザにRYUTAROさんが出られないと。
そこで僕はリード楽器を託せる新たな仲間を探し始めました。
ふと思い出したんです。
ヴァイオリン、好きだなと。
そうして出会ったのが成澤さんです。
一緒に演奏していく中で、僕は自分がこれまでいくつも歌のないインスト曲を書き溜めていたのを思い出しました。
そのメロディーを成澤さんのヴァイオリンで奏でた時、メロディーに血が通っていくのを感じました。
成澤さんがいなければ、きっとこれから演奏する曲たちは譜面だけが僕の家の机の中で眠っていたことでしょう。
さあ!この会場を青一色に染めて、その音色に酔いしれましょう!
ヴァイオリン成澤幸央!」
今度は青く、そして優しい光が会場を包んだ。
★MC5
もう13年という時間が流れました。
2011年の3月11日の午後2時46分。
その日その時僕は宮城県にいて、あの東日本大震災を経験しました。
そこから4日間。
誰とも連絡を取ることができませんでした。
もちろん家族とも。
その間母は、今は亡き僕の祖父におじいちゃんに泣きながら電話をしていたそうです。
その時おじいちゃんはそれはそれは大きな声で電話口で
「大丈夫や!大丈夫や!」
と、母に向かって言い続けたそうです。
そして僕は無事に帰ってきました。
それから何年かして、おじいちゃんは亡くなりました。
ガンで、いよいよ最後の瞬間が近いかもしれない。
そんな日々を、僕は幸運にもその多くをおじいちゃんの近くで過ごすことができました。
最後の最後のお別れの瞬間は、それはそれは気高く見えました。
次にお届けするのは「cadenza」
イタリア語で
1 楽曲の休止・終結を形作る旋律や和声の定型。カデンツ。
2 楽曲の終結部で、独唱者または独奏者の演奏技巧を発揮させるために挿入される、華美な装飾的楽句。カデンツ。
あいつは絶対大丈夫だから。必ず帰ってくるから。
僕を信じ続けてくれたおじいちゃん。
そして東日本大震災のあの日に捧げます。
cadenza
★MC6
「大丈夫。何回だってやり直せる
Reborn」
★MC7
「今日は本当にありがとうございました!
本日の公演における僕の役目は終わりました。
最後の曲は、ここにいるみんなに託そうと思います。
今日ここに集まれた奇跡に感謝します。
The world calls you
直訳すると”世界があなたを呼んでいる”
僕はそれに”あなたの代わりはいない”
という想いを込めました。
僕がみんなのいちばんのファンだから、最後の曲は客席で見ていたいと思います。
じゃああとはよろしく」
★
アンコール。
今日のそれは特別な意味を持っていた。
法被姿に衣装チェンジしたメンバーが次々とステージに戻ってくる。
そう、台風で中止になった戸田ふるさと祭りのやり直しをするのだ。
浴衣姿でこの会場に足を運んだオーディエンスも少なくない。
最後に土屋が戻ってきて、カウントでHOT LIMITが始まる。
Taishi Nomura Tour 2024
「ザ・お祭り男」
そのファイナルは戸田ふるさと祭りの(自主的な)やり直しで幕を閉じた。
なんてドラマチックなことだろう。
★
鳴り止まないアンコール。
二度目のアンコールだ。
オーディエンスからの、彼に対する心からのギフトだ。
大きな大きな愛に包まれて、彼はLIVERPOOLを歌った。
「いつか、私であることを誇れるように」
暗闇の底で生まれたその歌を。
彼は今どんな気持ちで歌っているのだろう?
彼は彼であったことを誇りに思っているだろうか?
★
テーブルに並べられた料理はとてもシンプルで、そして僕の大好物ばかりだった。
玉子焼き・鮭の塩焼き・味付け海苔・ほうれん草のおひたしに味噌汁・・。
民宿の朝ごはんみたいな感じだ。
そこにはもちろん白米も。
ゆうに半年ぶりの白米だ。
「ひとり分作るのももみんなの分作るのも同じだから」
彼女はそう言って笑った。
テーブルにはさらに山盛りの納豆。
「これは営業妨害にならないのか?」
と聞いてみたが
「みんな好きだし食べたいからいい」
そう言って彼女は人数分の割り箸を並べ始めた。
人が願う幸せの形は、実は誰もそんなに大きくは違わないのかもしれない。
「大好きな人たちと、食卓を囲めたら」
でもそれが毎日だったら、もしかしたらうざったいかもしれない。
でも僕は・・
僕の人生にこんな瞬間がいくつもないであろうことを知っている。
だから僕は今この瞬間のことを「最上級の幸せ」と呼ぼう。
一般の人と違うのはマイホームで朝の木漏れ日を浴びながらじゃなくて、
深夜の歌舞伎町で、ということくらいだ(笑)
幸せだ。
こんな夜が、こんな瞬間が。
僕の人生に用意されていたなんて。
あの日あの時、全てを諦めないでよかった。
あの日あの時君が居なかったら、それはもう全く違う別物だ。
「大丈夫だから」
そう言われて今君は腹が立ったはずだ。
「無責任なことを言うな」と。
それでもやっぱり大丈夫だから。
怖いのも緊張するのも
人間不信になるのも自暴自棄になるのも
世界でいちばん君がその作品を愛し身を捧げてきた証拠だ。
だから大丈夫。
夕立と雷。
じきに晴れる。
あと少しの辛抱だ。