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自己紹介

「はじめまして」の方も。
「のもとがnote書いたんだってよ」って遊びに来てくれた方も。
ありがとうございます。

数年前に開設して少し記事を書き始めて放り投げていたnoteを復活。
これからライフワークとしてやって行きたいことが固まり、個人事業主を復活させることになりました。具体的な内容は後日少しずつご紹介するとして、今日は改めて自己紹介をさせてください。


生い立ちと学生時代

私は1982年生まれ、今年42歳になりました。
沖縄県で生まれ、すぐに埼玉に。そこから人生の生活範囲は埼玉と東京都の多摩地区で済んでしまうという至って平凡な中年女性です。

学生の頃も至って平凡で両親と妹が3人の6人家族で育ちました。
スポーツも学力も劣等生ではないけれど、優等生というわけでもない。いたって平凡な人生でした。
平凡な人生ほど幸せなものはないとこの歳になって思うこともありますが、何をしても「中の上」程度の私は「何か人と違ったことがしたい」「自分らしい自分になりたい」と色々なことつまみ食い的に経験し、しかしどれも中途半端で、飽きっぽく、どれも80点くらいまではいきますが「これをやったら一番」というものはありませんでした。武勇伝らしき語ることもないので、私の平凡平和な生い立ちと学生時代が読者の方に伝われば幸いです(笑)

平凡と惰性で社会人へ

そんな平凡は私が大学を卒業後、またまた中途半端な就職活動で「最初」に内定をもらった会社に入社しました。
強烈にやりたかったことがあったわけではありません。
小学校の卒業文集に「小学校の先生になりたい」と書いたこともありましたが、教員一族の母から「公務員は安定していて良い」と言われた影響が正直強かった、何より「学校の先生になりたい」と言えば母は嬉しそうで、夢や目標があること自体がなんか「良い子」の証のような気もしていたような気がします。
しかし、大学受験へのコミットもまた中途半端で小学校の教員免許が取れる第一希望はしっかり不合格。浪人をする覚悟もない私は合格した中で一番大学名が通ってる学校に進学しました。
通っていた塾の先生に誘われて大学時代は塾講師のアルバイトをし、そのまま惰性で会社は別ですが、塾業界で就職をしたという…活字にして思ったのですが、惰性しかないというか、その時は都度本気で人生を生きていたつもりですが振り返れば…苦笑してしまいます。

そして、さらに流れ任せな人生は続き、そのまま一年足らずで社内恋愛の社内結婚。寿退社的に?会社を転職しながら2人の息子を授かりました。

平凡な自分の人生にあらがった唯一は、「常に仕事をしていたこと」。
長男を産んで半年足らずで「専業主婦ではいられない」と思い、保育園に預けて仕事を始めます。子育てが合わなかったというよりも家にじっとしていられなかっただけのような気がします。「この仕事がしたい」という想いよりも「働いてちょっとでも家計の足しになったらいいよね」という想いでした。あらがった訳ではなさそうですね(笑)

人生の転機

そんな、なんとなく「頑張って生きている感」の人生の大きな転機が29歳の離婚でした。離婚なんて今の時代、めずらしくありませんし、自分の人生で起こったことなので「まあ、なんとかするしかないよね」的な出来事ですが、問題は離婚した後でした。

そんなに甘くなかった。
「家計の足しになったら良いよね」なんて気持ちで仕事をしていたら2人の息子は育てられないし、お金を稼いで自分で全部をまかなうってこんなに大変なんだと思いました。世の中の家庭をもって仕事をしている男性ってすごいと思っています。おそろしいくらいのプレッシャーでした。

人生がずっと平凡で平和な私は、この時そのありがたみを知り、そして「どう生きるか」「どう働き稼ぐか」を真剣に考え始めたのです。
29歳でやっと「マジで生きないと人生やばいぞ」となった出来事でした。

転機から学んだこと

この転機から私は真剣に生きなければ生きられないことを知り、様々なことを経験しました。そして様々な感情に出会いました。
金銭的にも精神的にも人生初めてマイナスからスタートした時期でした。

幸せは「在る」ものではなく、「みつける」もの。
幸せになるためには行動を変えること。
行動を変えると視野も広がり思考も変わる。
思考が変わればさらに行動が変わる。
「行動」と「思考」は人生を前に進める両輪のようなもの。
そして、行動と思考をつなぐのは「言葉」である。

N's-styleとは

今年で人生の転機である離婚から、13年になりました。当時赤ん坊だった次男は中学3年生。長男は高校2年生。
離婚と同時期に転職した会社で「人生で一番、がむしゃらだった」数年間を過ごした後、私は34歳で起業し、株式会社Nomoto Consultingを同年に設立しました。10名程度の社員と小さな会社を経営しています。また今年は新しい事業として別会社も設立しビジネスチャレンジを継続中です。

自分の苦労話をするのはとても苦手で嫌なので、割愛しますが、振り返ると辛いことも沢山ありました。しかし、沢山の人に恵まれてとても楽しいジェットコースターのような13年間でした(問答無用で一緒にジェットコースターに乗せられた息子たちありがとう)。

今、確実に語れることは「人生は自分でつくれる」ということです。
平凡からマイナスへ。マイナス人生から会社を2つ経営するくらいまでは、食うには困らない、もしかしたら、ちょっと一般家庭の人よりはお金の心配をしなくても生きられるくらいには変わることができます。

そうなんです、またしても私は80点くらいの状態なのですが、しいて言えば「誰でも全力でやれば80点にはなれるよ」ってことです。

仕事で超一流企業の社長にはなれないけど、自分で起業して社員を10人くらい雇うくらいにはなれます。

天才児を産んで育てるのは無理だけど、偏差値65くらいの息子2人くらいは育てられます(性格もとても良い子です)。

カリスマになってやろうという野望はなくても、1人の人間として自分自身を認めて「生きるって楽しいな」「人生でまだまだ色々チャレンジしたいよね」くらいの前向きさとありがたい人との縁に感謝できます。

そして、この歳になって、よく私に対して「どうやって起業したんですか?」とか「どうやって子育てしていますか?」など質問されることが多くなりました。沢山の経営者だけでなく、プライベートでも同じように起業したいシングルマザーや若者たちからもSNSやコミュニティとしての活動でも声を頂くようになりました。

そしてそれをきっかけに「誰でも80点になれる生き方」って結構需要あるんじゃないかなって思いました。
元々チャリティや今までの人生の恩返しがしたいという気持ちはありましたが、所詮80点。そんな大それたことは、まだできません。

しかし誰でもこの考えをベースに自分なりにアレンジしてもらえれば80点くらいにはなれるよという私の行動と思考をこれから、このnoteに書いていきたいと思います。

自分自身のライフワークとして「N’s-style」と名付けました。
別に組織名でもコミュニティ名でも宗教名でもありません(笑)

私は名称を付けると意識を潜在から顕在意識に引き上げることができると思っているからです。なので自分自身の思考と行動に名前を付けた感じです。

もし、これから書いていくことが少しでも皆さんのヒントになれば。
それに自分で〇’s-style(自分の頭文字を入れてください)と名付けてほしいと思います。全部真似るとか同じ考えになるのではなく、「自分だったらこう考える」「自分だったらこう行動する」というものを皆さんと共有したいです。

自分と全く同じ人生を歩んでいる人は世界中にひとりもいません。
これは何より楽しく幸せなことです。
自分の人生は自分でつくれる。

ちょっとした、この人生を変える実験にこれからもお付き合いいただければ幸いです。改めてよろしくお願いします。

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