政治家は人権の無い奴隷ではない
開催前から様々な意見が飛び交ったオリンピック・パラリンピックもどうにか無事に終了し、季節は秋へ向かおうとしています。
今月末、来る衆議院選挙に先駆けて自民党総裁選が行われますが、現職の菅総理大臣が出馬辞退を表明され、誰が新たな首相となるのか候補者に注目が集まっています。
日頃から(特にコロナ流行が始まってから)ネット上には内閣、与党野党、地方行政など政治に対する様々な意見が飛び交っていますが、中には目を覆いたくなるような罵倒や侮辱的な発言も散見されます。
近年、漸くネットにおける誹謗中傷問題に社会が目を向けるようになり、ネットハラスメントを無くしていこうという取り組みやNPO団体の発足などもありました。「他者に心無い言葉を浴びせるのはやめよう」という意識が高まりつつある中、何故か「政治家だけは例外として扱ってもよい」と考えている人が多いように感じます。
これには、政治家の給料は税金から支払われている=「自分達が食わせてやっている」という意識や、「公人だから何か問題があれば痛烈に批判されて当然だ」という認識があるものと思われます。
公人とは、公務員や議員など、公務についている人を指す言葉だそうです。(wikipediaより)公人に対する批判について、世間ではどのような見解が一般的なのでしょうか。
令和2年2月25日、第201回国会において参議院議員浜田聡氏より議長・山東昭子氏宛で提出された質問主意書の一文を引用します。
刑法二百三十条の二第三項にて「公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。」とされている。
つまり、公人に対する事実に基づいた批判は国民の知る権利にもつながるため、名誉棄損の除外対象となりうる。
また、ジャーナリスト兼大学教授の坪井明典氏の論文には以下のような記述がありました。
公人は「多数の市民に影響を与え」「批判がなければ、権限を乱用するか、或いは誤って用いる」ことが多分に想定され、マスコミによる公人監視は絶対に譲れないのである。
おそらくこれは政治報道に携わるジャーナリストの共通認識であると思われますが、この理屈がネットで政治批判を行う一般ネットユーザーの中にも根付いているのでしょう。
しかし政治について考え、発言する人が全て聡明で思慮深い人という訳ではなく、単に所謂「正義中毒」に陥っている者やハラスメント気質の者も多く存在する訳です。そういった人間は気に食わない公人を否定する事が目的なので、論理的な政治批判をする事が出来ません。ただ辛辣に対象を罵倒し、愚弄、揶揄、嘲笑や侮辱的な言葉を浴びせます。
以下に実例をいくつか挙げてみたいと思います。
支持政党や政治的立場に関係なく、こういった「悪口しか言えない」人達が政治家を叩いて政治批判をしたつもりになり悦に入っているのです。
また、ツイッターに関しては総裁選に立候補されている河野太郎氏に対して「批判をしたらブロックされた」という抗議が噴出し、「#河野太郎にブロックされてます」というハッシュタグも作られました。
そしてこの件に関して、このような記事がニュースサイトに公開されていました。
上記はnoteのプロデューサーである徳力基彦氏の書かれた記事です。
徳力氏は「ブロックは諸刃の剣である」と主張されていますが、ブロックはツイッター運営が用意した機能の一つで、ユーザーは誰でも自分のアカウントにおいて自由に使っていいものです。誰をどのような理由でブロックしようが他者にそれを咎められる謂れはありませんし、他者のブロックの使い方を非難する権限など誰にもありません。誰でも見たくない人、見られたくない人をブロックしていい、それは公人を含めた全てのツイッターユーザーに認められた当然の権利です。
誰だって他者に対して嫌悪感を抱くことはあります。そんな時相手に絡んだり噛みついたりせずに、黙ってブロックをする事は最も賢明な判断です。
自分がブロックされた時には「あいつは俺をブロックしやがった!」等と吹き上がって騒ぎ立てたりせずに、「自分はこれ以上あの人には関わるべきではないのだ」と理解する事が大切です。それが出来ない人はネットハラスメント加害者としての道を進んでしまうのです。
話が多少逸れましたが、普通の人と区別し悪意に満ちた言葉を浴びせたり、「公人のくせに国民をブロックするなんて!」と非難するのは間違いです。例え彼らの給与が私たちが納めた税金であったとしても、政治家は決して好きに扱っていい所有物でも奴隷でもありません。私達と同じく心を持つ一人の人間なのです。政治家という職業についただけで、彼らは人権を放棄していなければ剥奪もされていません。
勿論政治家として行った仕事への評価・批判はしても構いませんが、人格否定や人身攻撃は以ての外です。
政治に限らず自らが経験したこともない他者の仕事を安易に、頭ごなしに否定するだけなら無能でも出来ることです。政治家に対する不満が生まれた時、脳直でそれを言葉にして発するのではなく、頭の中でその不満をじっくりと噛み砕いてみるべきでしょう。
例えば「感染者が減らないのは首相のせいだ」と思うなら、何故そう思うのか、首相のどの判断が間違っていたのか、何故その判断がされたのか、どうするべきだったのか、仮に自らの代案が政策として採られていた場合、そうする事によって社会はどう変わるのか(良い事だけでなく悪い事も)想像してみるのです。
実際になされた政治判断も、自分だったらこうするという判断も、細かく噛み砕いて考えてみれば何かしらの利点もあれば弊害もある筈です。こと有事の際の政治判断の本質は、「一番マシな結果を出す為に落としどころを選択する」という事だと思います。何かを切り捨てて何かを取るとか、そんな簡単な事ではありません。何を切り捨てても苦しむ人は必ず存在するのですから。
時間をかけてそこまでじっくり考えてみれば、いかに政治家が難しく決して万人には称賛されない(むしろ恨まれやすい)仕事であるか、少しは分かるのではないでしょうか。安易に口汚く罵るなどという気は(普通は)失せる筈です。
政治は正義中毒やハラスメント気質の人間が否定出来る程簡単なものではないのです。
※「みんなのフォトギャラリー」より、araioさんの画像をお借りしました。ありがとうございます。
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