愛されるために生まれたかった


家族の愛が欲しかった


 親、家族というのは理由なく自分を愛してくれる唯一の存在らしい。人はみんな愛されるために生まれてきて、家族の愛を受け、正しく愛を学び、そして家族を作っていくのだと聞いた。

 私は。名前に「愛」を持つ私は。
 男親と離婚した母親に愛されることができず、祖母を育ての親として生きてきた。過去はそうでも、母親に、今は愛されていると信じていた。信じたかった。

 相次ぐ転勤で再び心を病んだ母親は、泣きながら、私に向かってこう言った。


「子供なんか産むんじゃなかった。あんたなんかいらない、必要ない」


 愛されてなんかいなかった。

 誰もが持っている、もらえるはずの、普通の愛を、もらえなかった。私は愛される価値のない人間なんだ、と思った。

 愛されない私に価値は無い。
 それからずっと、そう信じて生きてきた。

 でも誰も、私自身を愛してくれることはなかった。誰にも必要とされない、誰の人生に関わることもない。そうやって生きているか死んでいるかもわからないまま、今、生きている。


結婚、子供を持つということ

 どうして突然こんな話を始めたかと言うと、きっかけは友人の発言だった。

「結婚したいんだよね、子供欲しくてさ。人間、親になるとまともになるでしょ。私もそうありたいんだよね!」


 なるほど、親になると人はいい方向に変わるものなのか。普通は。

 吐きそうだった。

 私は、こわい。


 私の中には、私と母親を捨てて、私のことを裏切って次の家庭で愛を見出した男親と、母親になりきれず、子供をきちんと愛することができないで私を捨てた女親の血が、半分ずつ流れている。

 子供を大切に、できるはずがない。 

 ちゃんと愛してあげられないなら、生まれたことにに責任をもってあげられないなら、産まない方がいいに決まってる。

 あとになって、産まなきゃ良かった、なんて言われる痛みを、私はよく知っている。 



愛されなくても生きなきゃだめなの?

 こうして、家族の愛を受け取れずに育った私の中には、見事に承認欲求の化け物ができあがりました。

 他人からの愛に飢え、誰かに必要とされることで自分の生きていていい理由を見出そうとしていました。


 私でさえ愛してあげられない私自身を、他人に愛してもらおうだなんて、傲慢にも程があるのだろうけれど。
 愛されたいです。愛されている実感が欲しいです。痛みでもなんでもいいから、あなたの感情を向けられているという証拠が欲しい。それが大きければ大きいほど、私はうれしい。

 たったひとつの愛があれば、それだけで生きていけるのに。


 愛されなくても、誰にも必要とされなくても、生きていなければいけないのですか?

 



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