にんげんってむずかしい 人間として人と関わるのは、考えることが多すぎると思う。距離感を間違えてしまえば相手からの印象を悪くする、話したいことを話したいときに話そうとすると鬱陶しがられる、一度持った印象はなかなか改善することができない。 間違えないように、嫌われないように、そうやって正解を考えながらでないと、私は人と関係を続けることができない。 大袈裟だと思うでしょう。 ここで、実際に私が人と接するときの手順を紹介しよう。 ステップ1、相手との距離をはかる
無理は最低限必要な努力 最低限必要な努力だと思ってがんばっていたら、実は身体や心にとっては「無理」だったことは、少なからずあると思う。 少し熱があるけれど休むほどのだるさではないな、とか、泣きそうだけれどまだ笑顔が作れるから大丈夫かな、とか。そういった「無理」の積み重ねが、人をダメにしていくんだと思った。 「無理」をして、その結果うまくいってしまったら。なぁんだ、やっぱりできたじゃん、全然無理なんかじゃなかったな。そうやって「無理」のハードルが上がっていく。自分
家族の愛が欲しかった 親、家族というのは理由なく自分を愛してくれる唯一の存在らしい。人はみんな愛されるために生まれてきて、家族の愛を受け、正しく愛を学び、そして家族を作っていくのだと聞いた。 私は。名前に「愛」を持つ私は。 男親と離婚した母親に愛されることができず、祖母を育ての親として生きてきた。過去はそうでも、母親に、今は愛されていると信じていた。信じたかった。 相次ぐ転勤で再び心を病んだ母親は、泣きながら、私に向かってこう言った。 「子供なんか産むんじゃ
繊細な物差し 近年、世の中には、アルファベットの略称で呼ばれる病気やら性質やらが多すぎる気がする。 何が言いたいのかさっぱりわからないし、アルファベットで略して中身を分かりにくくすることに意味があるのか、甚だ疑問を感じている。 書店でよく見かけたのが、HSPの文字。オブラートに包んで「繊細さん」なんて呼ばれることも多いらしい。 他人の感情に流されやすいとか、相手の顔色を伺いすぎるとか、誰でもそういう事あるでしょ。当たり前のことじゃないの?なんて思いながら
はじめまして、愛希(まなき)と申します。 関東に住む23歳社会人です。 主に私の日常や考えたこと、私を取り囲む人間関係について書いていきたいと思いますが、 その前に、私自身について、少し知っていただきたくこのnoteを書きました。 名前について 愛希、なんて名前の人は、きっと名付け親に愛され希望に溢れて生まれてきたのではないでしょうか。愛と希望さえあれば、大抵のことは何とか乗り越えられてしまうような、そんな気がします。 私には、どちらもありません。