18歳
中学時代、私の渾名はヤリマンだった。
中学を卒業した次の夏、大して仲良くもなかった友人がぽろっと漏らした。要らない情報をまた得てしまったな、と思った。
勿論、中学時代の私にそのような経験はなかった。友人達の健全な猥談に耳を傾け、程々に囃し、知識を競い合うただの思春期の子供だった。
なぜこのような渾名が付いたのか、心当たりがない訳では無い。
私は大抵、男友達とつるんでいた。
話相手に合わせて巧みに声音を使い分け、気に食わない相手は集団で屠る「稚い女」が生理的に受け付けなかったから。
私は女子が嫌いだったし、多くの女子たちも私のことを好いてはいないようだった。
男とばかり猥談している女がいたら、それは偏見を持たれても仕方がなかっただろう。
(それ以外にも数え切れないほどの要因があったはずだが)
15の私は心が強かった。
勉強も運動も、よく褒められた。
人の嫉妬は羨望の現れ。 嫌い と 好き は相反しない。有象無象のことなんかどうでも良くて、自分自身が自分の最大の理解者であり味方だった。
ところが16の春、私は鬱になった。
醜形恐怖と自己嫌悪から外出も人と会うことも出来なくなった。
自分は誰からも必要とされないゴミだと信じ、1年間 家からほとんど出なかった。暗い自室で只管、誰に見せるわけでもなく化粧をしていた。
自分で何も頑張らなくても、ただ家にいるだけで毎日温かい食事と寝床があった。親のスネを意地汚くかじった。
17になり、出席日数不足による進級困難のために高校を退学した。
財布のいちばん目立つポケットに誇らしげに収まっていた学生証は、ただのプラスチック片になった。
所属すら失った私は宙ぶらりんで、もういつ死んでもいいと思いながら生きていた。
マスクで顔を隠すことが当たり前の世界は、勉学を捨てて顔の細工に励んだ私の背中を誤った方向へ押してくれた。
学歴も性格も関係なく顔の上半分で全てが決まるSNSは、私の承認欲求を満たすためだけにそこにあった。
死ぬ前に一度経験しておこうと素性を隠して初対面の8つ上の相手に肌を許した次の日、ハメ撮りを拡散された。
学校で配られる「子どものSOS窓口」のカードを捨てずに取っておいてよかった。
3日後には相手のアカウントが凍結され、動画は一応世界から消えた。
こんなことがあっても、上辺だけしか見られていないとわかっていても、誰かから求められることは心の救いだった。能無しで醜くて、鬱でもある私なんかを、必要としてくれる人がいるんだと嬉しくて泣いた。
しかし、バカなことをしているとちゃんとバチが当たるらしい。
小学生の頃からずっと仲の良かった男友達からセフレになろうと言われた。久々に呼び出されて会ったその人は、私の顔を一度も見てくれなかった。
同じ「求められている」なのに、不快感のみが私を埋めつくした。何年も共に過ごし仲良くしてきた相手が、自分の「女の部分」しか見ていなかったと知って嬉しいはずがなかった。悲しみより、呆れというか自分への嘲笑の方が強かったように思う。
こんな風だから裏付けもないのにヤリマンなんて呼ばれるんだな、と笑ってしまった。
その日の夜、何も言えずにメッセージと連絡先を削除した。
大切な友人をひとり失った。
詭弁だが、私がもし男の体と心で生まれていたなら、私の内面を見ようとしてくれる人がもっといたのだろうか。私が女だから人からそういう風にしか見られないし、自分でも自分をそうとしか見られないのだろうか。
私を構築する要素の中で、努力して得たものはなんの意味も無いお飾りであって、意図せず持ち合わせた女性性と半分隠れた小細工だらけの顔が私の最たる価値になるなんて
15の私は知りもしなかった。
17の私はそれを知って利用することにした。
知らずにいて他人から後ろ指を指されることと、自分で自分に刷り込んでいくこと。
どちらが正解だったのだろう。
たった今、私は18になった。
どんな理由があっても、自分に責任を負えるようにならないといけない。
心の弱さを言い訳にして自分を雑に扱っても、
もうきっと、誰もまもってくれない。
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