恋愛不要論者が真剣に考えてみた

恋愛をしなくなったのはいつからだったろうか。高校生の頃は確かに恋をしていた。好きな人だっていたし、告白をされた覚えもある。中学生の頃なんて人生における最初で最後のモテ期だといっても過言ではないだろう。人生を共にしたいと本気で思った恋人もできた。まあそれは自分の過ちによって失うことになる訳だが。それに比べて今はどうだろうか。電車や街中で見かける学生カップルを見ては複雑な気持ちになり、「これが『失われた青春』かぁ~」など変なことを考え、コミックマーケットでは成人向け雑誌を大量に購入し、DLsiteで成人向け音声を購入して一人悲しい夜を過ごすのみである。書いてて思ったがほんとに悲しいなこれ。

そんな言うなら恋愛すればいいじゃないか、なんて声が聞こえてきそうだが、それができりゃあ苦労しねえんだよ!と声を大にして言いたい。大では済まない。それこそクソデカヴォイスである。

そもそもの話をしたい。

出会いが無いのである。多くの人は学内で想い人を見つける。それはサークルであったりゼミであったり様々である。しかし、しかしである。読者諸兄は少し思いだしてほしい。この記事が私の記事の初見だという人は以下の記事を読んでほしい。

そう。おかしなサークルに所属しているのだ。これにて出会いの場が一つ失われた。ではゼミ。文学部という学部柄、女子学生は多いといえる。しかしながら、我々は必修の授業が大変少ないため、授業が被らない。つまり、会わないのである。つまり大学での出会いの場がすべて奪われてしまったわけである。

最終兵器として、最近はやりのマッチングアプリなるものがあるらしいのだが、どうも使う気になれない。ズルをしているような気分になる。あとシンプルに疑問なのだが、なぜ男性だけが利用料を払わねばならないのだ。どう考えてもおかしいだろ。皆さんもそう思いませんか?思いますよね。

とはいえ、こうして文句を垂れているだけでは一向に進歩しない。人間とは挑戦する生き物なのである。何かせねばならない。

いや、そもそも、恋人は本当に必要だろうか?恋人がいる人に尋ねると当然「いた方がよい」なんて答えが返ってくる。それは当たり前だろう。なんせ彼らにはかけがえのない存在である恋人がいるのだから。
では私はどうだろうか。正直どっちでも良い。いたらいいなあ、くらいの認識で、別にいなくても一向に困らない。
恋人がいるメリットとデメリットを考えてみてほしい。
ここからの記述は、私がヘトロセクシュアル、つまり異性愛者であることを前提としていることを留意しておいてほしい。

ますメリット。恋人という存在はおそらくいるだけで精神の安定剤になってくれるだろう。恋人いたことないからわからんが。自分を確実に好きでいてくれる存在、というのはそれだけでありがたいものである。多分。

…それだけ。え、少なくね?
むう。思いつかない。とりあえず同様にデメリットを考えてみよう。

まずは金銭問題。付き合うというのはそれだけで金がもう一人分増えるということだろう。どこかに出かけるにしても、場所代、食事代、移動費etc…
そもそもこれらの出費は、独りでいれば発生しなかった出費なのである。この時点でマイナスが大きすぎる。
次に時間。時間的拘束もかなり大きいだろう。先に述べたようにお出かけイベントであるとか、通話したいだとか、LINEの返信だとか。圧倒的に独りの時間が削られるというのは、独りの時間を楽しみたい私にとっては苦痛でしかないのだ。
続いて人間関係。縛りが緩い恋人であればよいが、束縛系と称される恋人と付き合ってしまった日にはもうおしまいである。異性の友人の連絡先をすべて削除しろ、などと言われるらしいではないか。いや、そもそも私に異性の友人など数えるほどしかいなかった。これは大した問題にはならないだろう。

などとこの原稿を書いているのを友人に見られてしまったのだが、彼曰く、「全てのデメリットをチャラにするほどのメリットがある」らしい。この一言で全ての議論が終了してしまった。そう、非モテ童貞がいくらほざいたところで、リア充の経験が伴った一言にはかなわないのだ。

とはいえ、今私が挙げたデメリットは、事実として世の男性を悩ませているのではなかろうか。まともな恋人ができたことがない私などに言わせれば、なぜ恋人がほしいなどと騒いでいるのか分からない。

と言えたら良かったのだが、残念ながら私の心は「恋人がほしい!」と叫んでいる。まるで自分の中に私ではない私がいて(これを「私❜」と呼称する)、私と私❜が喧嘩しているような感覚に常日頃から苛まれている。なんとも小さな悩みである。しかし心の中の私と私❜にとっては最重要事項であって、喧嘩の内容は以下の通りである。

私「恋人なんかいらんやろ!ただでさえ金欠やのにどないすんねん」
私❜「これやから童貞はw お前は誰かに愛される感覚を知らんだけやろ」
私「現実見ろやお前誰かとずっとおるん嫌いやろ」
私❜「恋人は別やろJK」
私「都合良すぎんか」

…こんな具合である。もちろんフィクションだが、つまり互いに一歩も譲らない状態なのである。世の中の一般的な意見はどうなのだろうか。恋人不要論の方が強いのだろうか。しかし、クリスマスシーズンになると世の中が浮足立つことを考えると、やはり恋人はいる方が良いのだろうか。疑問は尽きないばかりである。

少し横道に逸れてしまうのだが、私はアニメなどの創作物における恋愛描写が大変苦手である。いや、「苦手になってしまった」と言う方が正しい。高校生中盤までは平気だったのだが、今となっては恋愛もののアニメを見ることが出来なくなってしまった。とある異能系バトルアニメがあったのだが、1期は純粋にバトルアニメという雰囲気で非常に楽しんで視聴できた。しかし、2期になって男性キャラが登場し、急に主人公がヒロイン然とし始め、ラブコメ要素が混入してしまった。その時点で私は耐えきれずに視聴を辞めてしまった。もはやここまで来ると「恋愛アレルギー」と呼んでもおかしくないのではないだろうか。
世間の覚えがめでたい創作物は、多少なりとも恋愛描写が含まれることが多い。特にアニメになるとその傾向は顕著で、高校生同士の恋愛模様が描かれることが専らである。私はそれがいちばん苦手である。
理由は明らかで、コンプレックスを刺激されるからだ。高校時代、これといった想い人もおらず、3年間勉強しかしなかった我が身には、高校生の恋愛というのは今となってはもはや祈りの対象でしかないのである。さながら太陽を求め蜜蝋の翼で大空を舞い、遂には墜ちてしまったイカロスのように、決して届かないものとなってしまったのである。以上、私が恋愛を不要としつつも恋愛に憧れる理由でした。

私には「人を好きになる」という感覚がイマイチよく分かっていない。お付き合いをした経験はあるのだが、それは下の毛も生えていないようなちんちくりんの頃の話なのできちんと恋愛をした経験が無いのだ。「気になる人」と「好きな人」の違いが本当に分からない。とりあえず気になった人には告白というものをしてみるべきなのだろうか。いや、さすがにそれは気持ち悪すぎる。我ながらキモすぎる。なんともおぞましいことを思いついてしまったものだ。

ここだけの話をすると、気になっている人がいないわけではない。いや、この心理状態を「気になっている」と呼称してよいのかすらかも分からないようなか弱い感情である。その人といるのはとても楽しい。一緒にいて楽しいと感じる人は何人かいるが、その人は他の人とはすこーし感覚が違うのだ。
その人とは遊びに行ったこともないのになぜなのだろうか。これが運命、、、ってコト!?などとふざけている場合ではない。ふざけている場合なのかもしれないが。というより本当に話もしないのになぜそのように思ってしまうのだろうか。不思議で仕方がない。
そして私の悪癖。好きかどうかも分からない感情をこうして文章に起こすことで無理やりに「好き」に変貌させようとするのだ。昇華というのも烏滸がましいような卑劣な行為ではなかろうか。本当によくない。自分の気持ちに自ら嘘をつきにいっているのだ。悪質極まりない。

とまあ、キショすぎる自分語りをしたところで、ぼちぼち読者の皆さんは耐えきれなくなってきていると思うので終わろうと思う。というより私が耐えられない。これからDLsiteにて購入した音声作品を聞いて秋の夜長を一人さみしく過ごしたいと思います。
自分でも何を言っているのか分からないような内容が延々と続くだけの文章でしたが、最後まで読んで頂きありがとうございます。では次回もよしなに。


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