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自分に対するただぼんやりとした不安

ども。森野鏡です。いかがお過ごしですか。私は会誌の原稿をギリギリで脱稿して一息ついたのでnoteの方に本腰を入れようとしているところです。元気です。

私は現在大学生なのですが、悩みはいつの時代も付き物なんですね。今回はそんな私の悩みについて話していけたらと思います。

中学の頃は学年で無双していた私ですが、高校大学と進学するにつれて劣等感が募るのです。高校ではシンプルに自分より勉強ができる人が山ほどいること。これは良いのです。自分の努力次第でいくらでも巻き返しができます。

問題は大学なんですよ。自分と同じくらいもしくはそれ以上に勉強ができる人が集まりますよね。つまり、ある程度勉強ができることは大前提なんですよ。それを大前提として、プラスアルファを問われるわけです。
例えばとある分野に異常なまでに詳しい人。例えば対人スキルが突出している人。例えば行動力の権化のような人で、自分で立ち上げたサークルをめちゃくちゃ大きくしてる人。などなどですね。勉強に関係ない特技を持っている人もいます。部活で全国大会に出たとか、ゲームでプロチームに誘われたとか。

それに比べて自分はどうなんだろうかと考えた時、驚く程に何も無いんですよ。虚無ですよ虚無。なんせ中高と勉強しかせずに過ごしてきたもんですから、特技とかもないわけです。趣味と呼べるものもない。ゲームはちょろちょろやりますが、それも下手の横好き程度の実力しかありません。

そういったこともあって大学生になってから何がしかを成し遂げようとしててんやわんやしている訳です。文章力で他と差別化を図れないものかとしましたが、これもイマイチ伸びが悪い。なんならあとから始めた人達に全然抜かされる始末。

そもそもの話なのですが、私は頭を使うのが大変苦手なんですね。私がよくやるゲームに大乱闘スマッシュブラザーズ、いわゆるスマブラがあるのですが、これはある程度実力がついてくると、相手の動きを先読みしてそこに技を置く、という技術が必須になります。つまり、相手の行動を頭で予測しながら手を動かさないといけないわけです。これがとても苦手なんですね。手を動かすということに意識の大半を割くので、行動予測がほとんどできない状態です。これは瞬発力を必要とするゲーム全般に言えることで、とても苦手です。癖を読むなんて以ての外。

あとは、この文章を書くという行為ですが、毎回一切構成を考えずに書き始めます。行き当たりばったりが好き、というのもありますが、どうすれば読みやすいまとまりのよい文章になるのか考えるのが分からないのです。一応本で勉強はしているのですが、その型に当てはめようとすると全く筆が進まなくなります。
文章を書いた経験があるというだけで、高校時代の友人からは文才があるだのなんだのと言われますが、文章を書くだけならズブの素人でもできます。なんなら初めて書く人でも私より良い文章を書くことくらい容易いです。

つまりですね、頭を使うのが苦手なヤツが頭を使うことを武器としてここまで生きてきてしまったわけです。無理やりのインプットとアウトプットは多少できるので、それのゴリ押しでここまで勉強面に関しては躓くことなくやってきましたが、大学でそれすらも綻び始めます。

大学では考察などの学生自身の独自の考えが重要視されるのですが、私はどんな話どんな作品を鑑賞したとしても心が動かされることがほとんどないのです。これ、大学という研究機関で学問を修める上で致命的な欠陥なんですよね。何も感じないということはつまり、思考の幅が一切広がらないことを意味します。研究に向いてないです。

私はここに来て、唯一持っていた学力という武器すらも失ってしまったのです。こんなの実質無職も同然です。

次なる心の拠り所を求めて、アルバイトを頑張ろうと決意しますが、働き始めて1年弱経過した今もミスの連発。先輩は優しいので怒られることは少ないですが、私自身は頼れる先輩ではないです。確実に。
それならばと人が少ない夜勤を始めました。ここなら頼られるだろうと思って。
しかしそれすらも、私より後に入った人の方が有能で、別に私がいなくてもシフトは回るようになってしまいました。

いよいよ私には何も無くなってしまいました。そのまま今に至るわけですが、自分で書いてて悲しくなってきました。マジでなんもねぇな私。

高校生の時からの悩みなんです、これ。誰の役にも立ててない感にずっと苛まれててですね、Twitterだったか何かで見た「誰一人自分の代わりはいないけど上位互換が出回っている」という言葉で完全にトドメを刺されてしまいました。

私の場合、なるべく天衣無縫に生きようとしているのですが、その実、人一倍承認欲求が強いことも自覚しています。大好きなマンガ『文豪ストレイドッグス』の登場人物である中島敦の「人は誰かに「生きていていいよ」と云われなくちゃ生きていけないんだ」というセリフも影響しているかもしれません。これを多感な中学生時代に読んでしまったこともあり、その意識が強いのかもしれません。

このnoteに関してもそうで、この記事はきっと誰かの二番煎じなんですよ。だからこそ、この間の記事でも言ったように、「森野鏡といえばこれ!」みたいな唯一性が欲しいんですよね。誰かに必要とされてたい。誰かの一番になりたい。こういう欲求は誰しも持ったことがあると思いますが、だいたいしばらくすると卒業するらしいです。友達が言ってました。ただ、私はその欲求が大人になった今でも残っているということです。

ぐだぐだ並べてきましたが、つまりこれはアイデンティティが確立できていないということに他ならないのです。自己肯定感をあげようにも、自分を褒めるポイントが見当たりません。

さっきも言いましたが、この悩みとは高校来の付き合いなので、ある程度コントロールは出来るようになっています。とはいえ、この悩みから発生した心の闇が時々勢いを取り戻し、誰とも会いたくない、何もしたくない、好きなことも何もかもどうでも良い、というような軽い鬱状態のようなものに陥ってしまいます。大抵は寝れば戻るのですが、時折2,3日継続することがあります。これから抜け出すためには自分を認めてあげられる様なことがあればいいのですが、残念ながら何かをする気力すら失われているので難しいです。気晴らしに無理やりアニメを見たりするのですが、大抵1話すら見終わらずにやめてしまいます。

別に不幸自慢をしたいわけではなく、真剣にこういった悩みの解決方法が知りたいのです。何か打ち込めるものがあると中々こういうことにはなりにくいと思います。こういった負の連鎖は、することがなくて考え事をしている時に起きるものなので、変に考えなくて良いのは大きいと思います。

誰かの1番になりたい、という願いは本当に満たされにくいと思うばかりです。
あまりにも後ろ向き思考なせいで誰と仲良くなっても「他にも仲良い人いるんやろな、、、」と思って自分は1歩引いた所でその友達と付き合います。すると1歩引いてるやつともっと仲良くなろう、なんて考える物好きはなかなか居ませんから、もちろん仲は深まりません。当然1番にもなれません。

これを解決するには、やっぱり自分から進んでアクションを起こすことが大事だと思います。おそらく最初は「迷惑かな」とか思うかもしれませんが、意外とそう思ってないことの方が多いみたいです。仲良くなりたい人とは自分から関わりに行きましょう。多分この姿勢は対人関係全てにおいて言えると思います。まあ私自身はできてないんですがね。はっはっはっ。


この記事を読んだ人に伝えたいことは、主に2つです。
まず1つ目。趣味があるなら続けてください。なんでもいいです。上手下手関係ないです。どんな時でも、それをやると気が紛れる、というものを1つでもいいので持っておいてください。経験上、それが上手であればあるほど、メンタルも強いと思っています。何か上手くいかなかった時、それが精神的支柱となってくれます。上手下手関係ないといいましたが、できる限り伸ばしてください。好きこそ物の上手なれです。一見意味が無いように見える趣味でも、それが貴方の独自性、つまりアイデンティティを構成する大きな部分となるのは間違いないことです。

そして2つ目。辛い時に頼れる人を持っておいてください。親でも友人でも先輩でもネッ友でも構いません。なんでも相談できる人がいるとかなり強いです。私の場合は親には恥ずかしくて言えず、中高大の友達にそのような深い悩みを話せるほど仲良い人がおらず、結果として1人でこの悩みを抱え、より辛くなりました。辛い時に頼れる人=親友、と言っても差し支えないと思います。親友という存在はきっと自分で思っているよりも大きな存在です。自分のことを肯定しつつも叱ってくれる人は中々いません。そのような友人がいる人は絶対に手放さないでください。

かなーり字数増えてしまいましたが、私の悩みとそれに付随する諸々の話をさせてもらいました。情報が溢れ、誰もが個性を出すことを求められる現代において、「自分が何者か」という問いかけに対して明確な答えを出せる人はどれほどいるのでしょうか。もし出せたとして、それは正解になりうるのでしょうか。Twitterを見る限り、先述の「誰ひとり君の代わりはいないけど上位互換が出回っている」という言葉に胸を刺されている人は多いようです。私のこうした一連の悩みは、きっと私だけのものではないはずです。
この記事では明確な対処法は提示できていませんが、彼らの目にこの記事が届き、少しでも苦しみを共有し、寄り添うことが出来ればこれ以上の喜びは無いです。

重くなってしまいましたが今回はこの辺りで。では次回以降もよしなに。ほな。

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