ソーシャルゲームと未来格差社会
最近の世界の動きを見てると、将来的に貧富の差がもっと大きくなるんちゃうかって心配になることがある。金持ちはますます金持ちになり、中流層はどんどんその位置を失う。結局、ほんの一部の超富裕層と、その他大勢の貧しい人たちに分かれてしまうかもしれん。これが現実になったら、社会全体がどうなってしまうんやろう?
今のところ、世界の経済はどんどん格差が広がってる。テクノロジーの進化やグローバル化が進む中で、大企業や投資家たちは莫大な利益を得る一方で、普通の労働者はその恩恵をあまり受け取れてない。中流層が支えてきた消費社会も、徐々にその力を失って、経済の安定が揺らいでる。結果として、貧しい人たちが増えていく。これが続くと、今の社会全体の安定が失われる可能性もあるし、もっと大きな変化が起こるかもしれん。
この未来の貧富格差を考えたときに、ふと今の若い子たちが夢中になってるソーシャルゲームの世界が頭に浮かんだんや。ソーシャルゲームって、ある意味でこの未来の社会をシミュレーションしてるんちゃうかなって思うねん。
ソーシャルゲームでは、課金者と無課金者が共存してるやろ? 課金者はお金を使ってどんどん強くなって、新しいキャラやアイテムを手に入れて優位に立つ。一方で、無課金者は自分の時間や工夫を使って、なんとかゲームを楽しむ。この構図って、未来の格差社会に似てると思わへん?
まぁ課金者と無課金者と言っても投資家と労働者と同じで簡単に2分化できへんけどね。
課金することで優位に立つ世界と、そうでない者がなんとかやりくりする世界。これが現実社会で起こったらどうなるんやろ?若者たちが、今のうちにそうした世界に慣れていくことで、将来の厳しい現実に適応する力をつけてるんちゃうかって思うわけや。
でも、ここで考えてみてほしいんやけど、これが「させられてる」っていう側面もあるかもしれん。ソーシャルゲームの仕組み自体が、若者たちを特定の価値観に慣れさせるためのツールになってるんやとしたら、どうやろ? 課金者が上に行くのが当たり前、無課金者はその中で自分の位置を見つけるしかないっていう価値観が、無意識のうちに植え付けられてるとしたら、ちょっと怖い話やな。
ソーシャルゲームはあくまでゲームやけど、そこにあるメッセージや影響力は現実社会にも大きな意味を持つことになる。ゲーム以外でも、若者たちが何から影響を受けて学び、どう感じてるか、そしてそれが未来の社会にどんな影響を与えるんか、ちょっと深く考えてみると面白いんちゃうかな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?