誰も僕を見ていない

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読了。

少年の言葉が私の昔の気持ちとめちゃくちゃダブる。つらい。
もちろん私の苦労なんて少年のに比べれば全然大したことないので「分かる!」なんていいづらいんだけども、親からの見捨てられ不安、オカシイと思いつつもどうすることもできない状態、誰にも助けを求められない事、そこから派生する人間不信など、味わう気持ちに共通点はあるのかな、と。

この話は誰が悪いのか。少年の母親はとんでもなく悪い人だ。けど、祖母がお金を渡し続けてるのを見ると、甘やかされてたのかなという気もする。普通は何度も金を要求されたら注意するもんだ。祖母は少年の母親が悪いことをしてもかわいそうって肯定し続けてきたんじゃないか?そうして反省のチャンスを奪ってしまったのでは?そうされ続けて育つ事は虐待に相当するのでは?と想像したりもした。

やっぱり親が子を育てるなんて考えがオカシイとさえ思えてくる。この子は私の子だ、だから私が育てる、なんてエゴだ。虐待とは呼べないまでも、共依存関係を感じさせる親子はかなり多いと思う。子供には、主たる愛着対象が1人はいるにせよ出来るだけ多くの人と繋がりながら育つのがいい、もっと言えば、社会全体で育てるのがいいと思う。

でも、正直、彼はめちゃラッキーだと思った。若くして捕まったことで、親から物理的に距離を置くことができたし、自らの状態を専門家のチカラを借りつつ見つめ直す機会を得られたし、なんならこうして書籍を通して自分の発言を発信する機会にも恵まれた。でも現実は、こんな極端な事にならず、一人で悩み続けている人がほとんど。誰に助けを求めることもできず、自分がおかしいとさえも気づけず、罪悪感を背負い、社会から孤立して。きっと周りにもたくさん潜んでいる。

この話は、希望がある。
彼自身が希望を持っている事だ。
手記を書いたのは、同じような状況の子供達のため、と言っていた。こんなにも酷い状況を経ながらも、いや、経たからこそ?社会をより良くしたいと願っている。
今も彼は自分と戦っているのだろうな。人間不信やトラウマは一朝一夕では治らない。
それでも残りの人生が喜びにあふれるものであってほしい。

そして、私にも、未来のために何か出来ること、あるはず。

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