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サイボウズを退職しました 退職エントリーと今後のお知らせ

すみません、めっちゃ長くなりました m(_ _)m


退職エントリーっていうやつです

去年の大晦日を持って24年半勤めたサイボウズを退職しました。

2000年に入社(正社員には2001年)したときは大阪が本社で、まだ社員は30人もおらず、東京オフィスは7人程度しかいないアットホームすぎる職場でした。
水道橋の後楽森ビルの200坪のオフィスは机が一列しかなく、残りは広大な広場になっていて、連れてきた5歳の娘が走り回って喜んでました。

気がつけばブランクなしの連続勤続の社員としては、創業者の次に古い人になってしまっていました。飽き性の私が四半世紀も続けてこられたのは、成長と変化で目まぐるしく変わってゆく会社の環境に身を置くことができたからで、サイボウズには感謝してもしきれません。

入社したときは最年長、建設業界では最も年少グループだったのでまずはそこでびっくり。年長者がいなかったので初めての講演は入社後わずか2週間。眼の前に150人のIT業界人が並んでいたときはさすがに冷や汗が止まりませんでした。
まさか壇上で偉そうに話している人間が、2週間前まで暖房の配管工事してた人とは思ってなかったでしょうね。

1年もしないうちに自分の担当の広告予算が10億円、当時のサイボウズは売上の半分を広告に注ぎ込んでいたので、社員の給料背負っているようなもので、大きな広告出稿をした日は必ず胃痛でした。

毎年3桁になるほどの講演で47都道府県のほとんどを何周もする体験をしたり、英語喋れないのにアメリカ出張行ったり、雑誌に連載を寄稿したり、事業で大コケしたり、総務省とかの有識者会議の構成員になったり、若いときには考えてもいなかった貴重な体験を多くすることができました。

一つの企業が成長して大きくなる過程において、その流れの全てに身を置くことができたことはとても幸運なことで、自分自身がなにより成長することができました。
これも支えてくださる社員、お客様、パートナー様のおかげと本当に心より深く感謝しております。

去るものが偉そうなことを言うのはやめたほうがいいと思いますが、四半世紀も勤めればちょっとは思うところもあるので、思いつくまま書いてみます。

1. どんな職業でも3年間必死で学べばそれなりになる

私の社会人人生はテレビカメラマンと言う想像をしていなかった職種から始まりました。テレビ番組のディレクターになるつもりで入った会社で、たまたまカメラマンが絶対的に不足していて、全く予備知識のないまま短期間のアシスタントを経てテレビカメラマンになりました。最初は現場で怒られっぱなしです。
芸術的な才能も大してありませんでしたが必死で真似をして、そのうち多少のオリジナリティーも出てきて、8年間も食うことができました。

その次は、家業の設備屋を4年ほどやって、建設業にITが必要になっている時代だったので勉強するつもりでサイボウズに入りました。
大阪本社時代だったので、生まれ育った金沢から大阪に引っ越すつもりで準備していたら東京勤務と聞いて家族親戚から呆れられました。

全くの畑違いからIT企業ですが、3年間はとにかく本を読んで、出れる打ち合わせには全部出て、見れる資料はみんな見て、聞いた知らない言葉は後でこっそり調べて何とかもがいたら3年程度でIT業界の人みたいになりました。

もちろん職種によっては3年じゃどうにもならない職業はあると思いますが、今の世の中職業としての知識は耐用年数がせいぜい5年です。別世界から飛び込んだとしても3年間必死で勉強すれば追いつけます。残り2年間は先を走ることができるかもしれません。

おじさんになった今、もう一度できるかと言われると結構辛いとは思いますが、30代までならリセットして再起動は全然可能だと思います。

2. 急成長する会社に入ってくるのは自分より優秀な人ばかり

会社がある程度成長すれば特に上場なんかしたらいきなり応募者が激増します。
もちろん何か勘違いしていらっしゃる方もいるにはいますが、入社してくる人は基本的にみんな私より優秀です。優秀の定義はいろいろありますが、ざっとこんな感じでしょうか?

地頭が良くて理解力が早く問題解決にすぐ取り込む、メモするとか返事を返すとか遅刻しないとか準備を怠らないとか、ビジネスや日常生活での良い習慣ができている、感情を含めてロジックで理解し、判断が気分で左右されなく、人当たり良く、コミュ力が高い、私が考える優秀ってこんな感じです。

もちろん全部が完璧な人はいませんが、受験勉強しっかりやって、大企業の新人教育で鍛えられた人はおおまかにこの辺ができてます。

優秀な人が入社したときの自分の課題は2つあります。一つは嫉妬心との戦いです。もう一つは変わる環境への適合です。

適度に嫉妬して対抗心燃やして頑張れば成長できますが、過度の嫉妬は破滅に直結です。自分の心にどう折り合いをつけてゆくかはそこそこ苦しみました。勝つか負けるかではなく、5年後自分が成長しているのはどっちだ?と考えることにしてなんとか乗り切った感じです。

更に厄介なのは変わる環境です。パッケージソフトの会社からクラウドサービスの会社へ、ブラック企業からホワイト企業へ、今までの価値観がかなり真逆になるので、脳が追いついても感情が追いつきません。

でも抗ったところでいいことは何もありません。もしまだ同じ業界で頑張るなら自分が変わるしかないです。

3. 技術が革新するが人間は革新しない、組織は更に革新しない

革新的なIT技術や製品が出るたびに「おお、これ世の中変わるじゃん!」とワクワクしました。今でもワクワクします。AIなんてホント便利だしすごいし、この先どう進化してゆくか妄想が無限に広がります。

しかし、その期待はだいたい毎回裏切られます。私の心が周囲の変化についていけないように、他の人だってそう簡単に革新できないのです。
ましてや、それを生業にしようというIT事業者である私達と、それを使う側からすれば、活用する意欲に差があって当然です。

電子メールが世の中で使われるようになって30年は経過しますが、未だに「メール届きましたか?」って電話がかかってくるんです。

そして、さらに「メールが届いているか確認しとけ」という人がいるので組織は更に革新しません。組織の慣性モーメントは巨大で、技術を人が使いこなすにはまず10年以上はかかります。

組織の看板かけかえてもたいていはダメです。成功している例はほとんどが多くの人を入れ替えています、それも社外から。

サイボウズの変わり身が早かったのも、離職率の高い一時期があったことの影響は大きいと思いますし、社員数が急激に増えて新しい若い優秀な人がたくさん入ってきたからかなと思います。

自分が変えられるのは自分だけですから、頑張って自分自身を早く変えて、世の中が追いついてくるタイミングを虎視眈々と狙いましょう。
世の中が変わらないことを嘆くだけでは給料は増えません。

4. 人生は登山と違いどこが頂上かはわからない

登山は頂上に登ったときの達成感を景色で実感することができますが、社会人生活の頂上は残念ながらどこが頂上かわかりません。
だいたい気がついたら下り坂の途中にいて、ある日気づいてびっくりします。

30代とかで下り坂を考える必要はないと思いますが、思考スピードや新しいものに飛びつく能力、学ぶ体力は残念ながら確実に落ちてゆき、いつか若い人に抜かれます。努力ではどうにもならない日が来ます。
その日が来るということはあらかじめ受け入れておいたほうが人生は楽に過ごせると思います。

5. ミッドライフクライシスは会社への依存に気づく機会

CybozuDaysというサイボウズで一番大きな毎年のイベントで「ミッドライフクライシス」というタイトルのセッションを作ったらめちゃくちゃ集客しました。
都会の大企業に中年の危機、はびこってますね。

自分の能力の低下に愕然とする瞬間っていうのは確かにあるんですが、それよりもはしごが外されることで気づく方が多い気がします。

同じ能力であれば伸びしろのある人の方を採用しますから40歳を超えると急激に与えられる役割が軽くなってゆきます。「今は背伸びだけどそのうち追いつくだろう」というポテンシャル配置はもうありませんし、年下の上司がしっかりバックアップしてくれることも少ないでしょう。取引先の責任者も自分より年下の場合が増えてゆきますしね。

自分の能力と思っていたものの多くは実は会社に与えられていたもので、成長の支援として得られていたリソースがなくなったゆくときに「ミッドライフクライシス」と言われる状態になるんじゃないかと思います。

「あ、もともとの自分の実力ってこの程度だったのね」と自覚できたら大したことはありません。生の実力で何ができるかを探してさっさと過去には決別しましょう。

6. 社内トップクラスの何かがあればなんとか食える

入社したときから最年長(その後年上の社員は入ってきましたが)だったこともあり、講演の機会は多くいただきました。それなりに毎回目標を持ってこなしてきたこともあって、辞めたあとでもお声掛けいただく程度のスキルにはなりました。

社内トップクラスのスキルがあれば、社外での成長の機会が転がり込んできます。たまたま年長だったというだけで与えられた講演機会ですが、他社のエバンジェリストのみなさんに学び競うことで、常にアップデートすることができました。

伸ばしたいスキルは使って、それによってより高いレベルの人と比較される位置に登ってこそ、より高みへいく成長の環境を手に入れることができます。独学でもいけるでしょうが、入ってくる情報の数もレベルも違ってきますので楽に成長できます。

これは負けないというスキルを1つ身につけて、それを社内外に示し続けることは長く働き続けるために大事かなと思います。

7. 結局人生は小さい選択の繰り返し

サイボウズで働いたおかげでたくさんの学びと喜びと苦労を得ることができました。間違いなく振り返ってみれば人生での一番大きいベストな選択の1つだったと思います。

しかし、それはあくまで振り返ってみればという話であって、入社するときにそれが人生での転機になるとはそれほどは思っていませんでした。
そもそも最初は家業の成長のためにITを学びたかっただけで、数年で辞めるつもりでしたしね。

そしてサイボウズに入社するまでにも、次に学びたいこととしてITを選択し、その中でも登場したてのインターネット技術を学ぶことを選択し、学ぶ手段として都会のITに詳しい人がたくさんいそうなメーリングリストに入って発言することを選択し、入れそうな小さな会社の中からアドバイスに従ってサイボウズを選択し、入社してからも周りがどんどん辞めてゆく中で働き続けることを選択し、今があります。

同じ会社で働き続けることがいいこととは全く思っていませんが、私には合っていたんだと思います。

どんな大きな選択でもそれまでに積み重ねた小さな選択の上に起こる一つの選択であって、運が影響する要素は大きいけど、毎回の小さなたくさんの選択が前向きでなければ、次に来る選択肢もいいものを選べる確率は減ってゆきます。

様々な岐路で違う道を選んだら人生どうなっていただろうと思うことは数限りなくありますが、振り返っても過去は変わらないので今から来る数々の選択肢を前向きに選んでゆくことしかできません。

長い文章書いた割には大したこと書いてないですね、すみません。

今後について

3年前に石川県輪島市と千葉の二拠点居住をはじめたところ、昨年元旦の能登半島地震で購入してリノベ中だった古民家が全壊しました。

人生観が変わるほどのショックは受けていませんが、その時そこにいたことで新しい選択肢が降ってきたことは間違いありません。
誰かに頼まれたわけでもないですが、能登で生きてゆくことを自分の役割にしようと思いました。

能登で私ができることは都会と能登をつなぐことかなと思います。しかし能登に来たいと言ってくれる人は多いのですが、能登には住める建物がもうほとんどありません。泊まれる場所もありません。

そこで泊まれる場所を作るためにまずは残っている古民家を購入し、その方たちが泊まれる拠点を作ろうと思っています。
その修繕資金を現在クラファン中です。よろしければ応援をいただきたくお願いします!

公費解体でリノベ中の家が跡形もなく消えて、プレハブの仮設住宅に住む家なき子状態なので、この先どうなるかは正直良くわかりません。

でも、都会からやってくる人たちと能登で頑張る人たちをつなげることで、きっと私自身の将来の解像度もあがってくるんじゃないかと思っております。

今後とも、私と能登への関心をいただけましたら幸いです。


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野水克也(nominomi)
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