その感想、純度何%?
映画『千年女優』
先日、Netflixにて、今敏監督の映画『千年女優』を鑑賞しました。
本作は、伝説の大女優 藤原千代子のインタビューに訪れた映像制作会社のスタッフが、彼女自身の過去と出演した映画とが入り混じった世界で、彼女の一代記を体験する、というあらすじのアニメ映画です。
あらすじを聞いても、あまりイメージが湧かないかもしれません。この作品は、“千代子の回想シーン”と“劇中劇のシーン”とがシームレスに入り混じる、いわば騙し絵のような作品なのです。
ここまで聞いて興味が湧いた方は、ぜひ本編をご覧ください。きっと、唯一無二の映画体験が、あなたを待っているでしょう。
ストーリーについての言及はネタバレになってしまうので避けますが、物語の最後に、こんなセリフが登場します。
千代子のなんともドライなセリフで、映画『千年女優』は幕を閉じるのです。
このラストシーンは、鑑賞後の私の心にツーと残り続けました。
今監督がラストに選んだ千代子のセリフには、ただ単に“自己愛の尊さ”を訴えるだけでなく、それ以上の意味がある気がしてならなかったのです。しかし私は、それを言語化できずにいました。
”自分の感想”とは?
私は映画鑑賞後、Filmarksというアプリに感想を投稿しています。このアプリでは、自分の過去のレビューだけでなく、他のユーザーのレビューも閲覧することができます。
いつもであれば鑑賞後すぐにレビューを投稿するのですが、ラストシーンへの疑問を解消できずにいた私は、他のユーザーのレビューを先に閲覧しました。
その後、感想を投稿しようとキーボードに手を伸ばした私は、ふと、こんなことを考えました。
“これって、本当に自分の感想なのだろうか…?”
いつものレビューでは、観終わった直後の感想を書き残しているので、純度100%の“私の感想”です。しかし今回は、他人の感想を閲覧したのちに、レビューを書いています。このレビューには、他者の感想を反映させた自分の感想が含まれているでしょう。これでは、純粋な“私の感想”とは言えません。
進学、就職、結婚などのライフイベントや、読書、旅行、SNSなどの些細なきっかけで、人の価値観は簡単に変わります。時には、“映画鑑賞”そのものが、価値観が変わるファクターとなることもあるでしょう。
だからこそ、鑑賞当時の自分の価値観を忘れないように、私は、映画の感想を書き残します。鑑賞直後に、書き残します。
純度100%の“私の感想”を、大切にしていきたいのです。