今後も、記事が埋もれないようにあげる必要はあるだろう。しかしながら、そろそろリアルの世界へ帰ろう。能天気な私に帰ろう。 Noteのお陰で、電車に様々な人が乗っていることは伝えることができた。私の目的の一つは果たせた。今まで、発言する機会に恵まれなかった気持ちを発することができた。 妊娠に限らず、いろんな人が電車に乗っている。みんなそれぞれに、必死に生きている。死にたい気持ちは分かるけれど、少し待とう。私もあなたと同じ気持ち、でもまだ生きてるよ。どうしてもつらい場合は、優し
コロナの朝影響で、終電近くはガラガラ列車。仕事でクタクタの私の横に、そのマークは、わざわざ座って来た。 女子会帰りのようである。はっきりマタニティーマークが分かるように、マークを鞄の上へ置き直して、ペラペラ隣の女とよく喋る。 私よりずっと元気である。
リアルで私が子どもを産めないことを知ると、幾人もの人が相談にやってきた。一応に、「マタニティーマークをみるのが辛い」という話だった。 私も不妊や子を持たない人が集まる会に参加することもあるが、そこでも話題は「マタニティーマーク」である。それも現実である。 今日も通勤電車に揺られて、私たちも通勤する。
命を守るためのマークであるならば、鞄の内側へ入れて、人から見えないようにマークを持ち歩くことはできないものか。鞄の外にだしていると印籠ではないと言われても、それは立派な印籠である。 そのマークを見せて人を動かしている以上、それは印籠である。
産める女性の方が多い。私の記事は、また消えていくだろう。しかしながら、ここに記しておきたい。 政策として、将来においてお金を生んでくれる妊婦に手厚い援助をするのは良いことだろう。 しかしながら医学や心理の研究でも「子どもができない人」への精神的サポートが必要とされている通り、女性として生まれ、子どもが欲しいと心から望んでいる人が子どもを手にすることができなかった時の精神的ダメージは大きい。まして自分に膣や子宮がなかった時や、流産死産する時の心のダメージは相当なものである。
精密検査の結果、私には一生子どもが持てないことが今日分かった。電車にいても涙が自然に出てくる。絶望に道らあの日のことは忘れられない。 子どものことは考えないようにして、前を向くことを決心した。ところがである・・・通勤電車で自分も立っているのがやったの満員の列車に、マタニティーマークが乗り込んで来た。私も身動きできないのに、彼女はお腹とマタニティーマークをこちらに向けてギューギュー押してくるではないか。 ちょと待ってくれよ!押される私も怖いわ!!なんでそのお腹でこの車両に乗
妊娠できる人は、基本的に幸せであることが多い。順調に結婚して、子どもまでも手に入る。世間が描く順風満帆である。 世の中にはもっと大変な人も電車にのっている。妊娠だけの話ではない。明日生きるのも大変な人、今日職を失った人、余命を今日告げられた人、大切な人を亡くしたばかりの人、なぞの理由で体調のすぐれない人、職場でうまくいっていない人、仕事で徹夜明けの人。 妊婦の体調がすぐれないことは理解できる。でも精神的にはどうであろうか。幸せなはずである。マタニティーマークをつけていない
7か月のころ、昨夜まで元気に動いていたベビちゃん。今朝は妙に静かだな。何だか嫌な気がした。まさかそんな事ないだろう。でも静かだ・・・。病院へ行くと心拍がないと言われた。 そこからどうしたのか・・・記憶があるのは天使ベビを産むことになって、身体に激痛が走ったときのこと。陣痛の強さから考えて、ベビが天使だなんて思えない。生きているに違いない。昨日まで元気だったベビちゃん。 次のベビは考えられない。リスクが高いので子宮は使い物にならないらしい。こんなことって現実にあるのだろうか
どこも悪くないのに、痛い注射もタイミング療法もしているのに、体外受精をして莫大なお金をかけているのに、我が家だけベビが一度も来ない。 病院から帰る途中、まだマタニティーマークが私の目の前にはいった。「私に何か文句あるの?何で私の横に来るの?何で私の前でわざわざ立つの?」この思いは一生忘れない。 結婚6年、待望の我が子を授かったと思った。マタニティーマークをつけたかったけれど、着けることなんて到底できない。あの苦しみをしっているから。妊娠する前には知らなかった酷い吐き気にも
一度でもつけたことがある人は、マタニティーマークと思い出ができるかも知れない。 子宮も膣も持たずに生まれてくる女性がこの世にはいる。その人達は5000人に1人の割合でいる。結構な割合である。なんの望みもない人生である。子宮欠損にかかわらず、子どもの産めない女子は非国民級の肩身の狭い思いをする我が日本である。 公共施設にかかげるマタニティーマークは取り下げていただきたい。しかしながら、命を守ることは大切である。鞄の内側につけることで、マタニティーマーク問題は多少なりとも解決
私の前で無言でユラユラ~「私、妊婦。見えないけどつらいの、席を譲るのが人間でしょう。あたりまだよね。なにクヨクヨしてるの。頭いかれてるね。日本はなんて冷たいんだ」。 この間、お腹を痛めてちゃんと天使を産んだんだよ。だけど、その子はお空に引っ越したの。まだ私、心が元気じゃないの。まだ、人様のことを考える余裕もないの。普通の生活に戻るのが精いっぱいなの。 私って心が狭いから、お空に神様が天使を持って行ったの?私は人間じゃないの?私はそんなに心が狭いの?ごめんね・・・心がついて
私の前で無言で揺れるマタニティーマーク「私、妊婦なの。一番大切にしてね。席を譲ってくれるのが人の通りでしょう」。 膣も子宮もあって、「好きな人と自由にセックスできて子どもも産める」これで十分じゃないか。これ以上何を社会に求めるのだ。一生セックスもできない、子どもも持てない私の前で揺れる嫌味なマーク。 なお子宮欠損および膣欠損女子は、5000人に1人以上いると言われている。医療的精神的支援のない中、彼女らはひっそり生きている。
「マタニティーマーク」が無言で目の前に揺れる。「私は妊婦、そこを退いてちょうだい。これ見えないの?最低だね譲ってよ」 私は思った「今日は無理・・・助けてーーー!」息が吸えなくなり、顔と手が硬直して変形してきた。慌てて電車を降りた。 様々な人が同じような経験をしていると聞く。
今日は生理痛が酷い、気分も悪い。早く家に着いてと思いながら電車に乗っていると『私、妊娠してるのでマーク』をつけた女性が自分の前に立つ。チラチラ何度もマークを見せるので、周りの人から人でなし的な目で見られて悲しかった。妊婦さんは下車すると携帯見ながら歩いていた。
マタニティーマークは「幸せな気持ちと同時につけやすい物」 ヘルプマークは「病気を伴う物であり、着けるのに抵抗がある物」 簡単に「じゃぁヘルプマークつければ?」では解決しない。
昨夜も一昨日もほぼ徹夜で仕事。さらに顧客や上司からまだ要望がまだ来ている。でも今日はとにかく家で休もう。。。帰りの電車で座っているとカバンに『私、妊娠してるので!マーク』をつけた女性が、マークをこちらに向けてくる・・・。仕方ないよね、非国民に思われたくないから席をかわる。 代わったあと、妊婦は元気に携帯を見ていた。どっちがしんどいのかな?いたわりのない心はどっち。あなたも二日間寝ずに、緊迫した仕事をしてみれば分かる。携帯いじる元気ない。