彼は今日も努力を怠る
小説を書き始めて3年になる男がいる。
彼は今年で26歳のフリーターで、物書きを仕事にしたいと思っている。
その方が、人生をより楽しめると思っているからだ。
彼は親からの就職への圧力や、SNS上のクリエイターの活躍を見て、焦っている。
もっとインプットして、もっともっとアウトプットして、技を磨かなければ。
彼は来る日も来る日も、執筆活動を……
している訳ではなかった。
意外かもしれない。
目標に向かって毎日努力して、へこたれても立ち直っていく姿を想像したかもしれない。
妹のために死ぬよりもつらい修行をこなした竈門炭治郎のような姿を。
だって、彼自身そう理想を抱いていたから。
でも、現実はそうではない。
対戦ゲームにのめり込む。SNSで時間を潰す。
この事実に、彼は苦しんだ。
自分はなんて意志のない人間なんだろう。
思考や行動がブレては後悔する。
時間、金銭、精神といったリソースの浪費に焦燥する。
反省したつもりで、同じことを繰り返す。
もう飽き飽きだ。
もうたくさんだ。
もう十分だ。
もう我慢の限界だ。
彼は、信頼置ける利口な友に相談した。
すると、あの統一感のない思考や行動に一貫性という規則を発見してくれた。
それは、「衝動」に身を任せている結果だということ。
ふと心によぎる、ああしたい、こうしたいという感情。
快感を得たい、楽をしたいという脳からの指令。
人生における最大の目的は、楽しい気持ちになること。
小説を仕事にするというのは、あくまでそのための一つの手段。
生きるために絶対必要、という訳ではない。
衝動に乗っ取った行動は、目的のためのコストパフォーマンスが高い行動だった。
無駄遣いと思っていたリソースは、最低限で済む必要経費だった。
彼は、目的のための行動をしていただけだったと知ることができた。
焦る必要なんかなかったのだ。
意志なんてなくても良かったのだ。
彼の描く空想から竈門炭治郎は去っていった。