assistpengin

障害児を専門に保育士として働いています。重度心身障害児、知的障害児の保育を行う中で、ICT機器やAT技術を使った支援に取り組んでいます。 毎日少しずつ勉強を続けています。 障害児を取り巻く保育のあり方や支援のあり方について、自分の思ったことを記録するブログです。

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障害児を専門に保育士として働いています。重度心身障害児、知的障害児の保育を行う中で、ICT機器やAT技術を使った支援に取り組んでいます。 毎日少しずつ勉強を続けています。 障害児を取り巻く保育のあり方や支援のあり方について、自分の思ったことを記録するブログです。

最近の記事

スイッチ使ってます

「スイッチ使って遊んでいます」「スイッチ使ってみたい方はぜひどうぞ」 こんなフレーズで情報発信しているところも、特段めずらしとも思わなくなってきました。 ここで、へそ曲がりな自分は、当然、素直に「すごいですね」と言えないのです。 単純にボールを転がす。という目的であっても、何やらものすごい、NHKで放送されている「ピタゴラ装置」のような仕組みで、遊んでいる様子を発信しているところがありました。 装置自体は、確かに。ボタンを押すだけで、何かが動き、ボールが転がる。 でもやっ

    • 安定を崩す

      そもそも「コミュニケーション支援」は必要なのだろうか? とある人と初めて対面した時に、ふと考えました。 その人は、当たり前ですが私と出会うその日まで生きてこられてきた方です。 つまり、何かを飲み食べ、生活して家族と暮らしてきた。 そこには、人それぞれの「安定」があったはず。 この子は、こんな時は楽しんでいる。 この子は、こんな時はつまらない。 親や身近な人たちによる読み取り(勘もあるのかな)によって その家族やコミュニティ内で安定してきた。 そこに「こんな方法で遊べる」

      • 成長を支えること

        なんとなく、行なっていることで相手に対し支援した気分になっている?場面が多い。 支援という漢字の意味は「(他者に対し)力を貸して助けること」と書かれていました。英語だと「support」と表され、支援による結果は、その当事者のものという事のようです。 ということは、全ての工程を他者が代理し、結果だけを与えるのは支援とは言えないですね。 「子どもの手の上から大人が手を掴み、素晴らしいイラストを描く」 これは絵を描く子どもを支援していることになるのでしょうか。 せめて最後の一

        • 重度重複障害児者に視線入力は使えるのか

          このような内容のシンポジウムに参加させていただいた私の感想として書き残そうと思います。重度重複障害の定義として、重度の知的障害と身体障害を併せ持つと考え、私は「有効。しかし、使い方や周囲の認識の仕方によっては無効。」と考えています。 「有効」ってなんでしょう? デジタル大辞泉によると、「ききめのあること。効力をもっていること。また、そのさま。」と書かれていました。 では、視線入力はききめがあるのか?とも読めますが、この「ききめ」に関しては、いつ、どのタイミングで判定して「き

          過去にすがる人。未来を見る人。

          私の周りには、自分の過去の仕事ぶりを繰り返し誇らしく語る人がいます。 または、⚪︎⚪︎師といった国家資格を所持しているということで 専門家としての見地と知識を語る人もいます。 その方の過去の経歴は、確かに素晴らしい。 でもね。 その知識、技能、技術は、今この時代を生きる子どもにとって必要なのかな? 時代とともに、必要な知識も技術も、どんどん進化しています。 昨日の自分はこんなことが出来た。 数年前まで、こんなすごい事をやっていた。 だけで、目の前の子どもにどう支援するのか。

          過去にすがる人。未来を見る人。

          お絵かきしているのは誰

          子どもとお絵かきをして遊ぶことがあります。 その中の活動の一つで、今は布地に絵を描いて、オリジナルのバッグを作る活動を行っています。 無地のバッグに、自由な描写で描くテーマです。 が。 ここでいつも考えます。 自分一人の力で描けない子の手を取り、支援者が描くということがほとんどです。 二人羽織。 に見えるのは私だけでしょうか。 とても子どもが描くとは思えないような、素晴らしい絵柄が描き上げられます。 支援者と周囲の表情が一番活き活きしているように見えます。 笑顔で、互い

          お絵かきしているのは誰

          以心伝心

          「あなたは私の話を全く聞き入れない」 と言っている人がいるよ、と今日職場で言われました。 なんという偶然というか奇遇というか 私もその方の事を 「私の意見を全く受け入れてもらえない」 と考えていました。 お互いに少なくとも「理解し合えない相手」という気持ちが やり取りの中で生まれて染み付いていたのだと思います。 自分が正しい。あなたが間違っている。 と言い合うのは時間の無駄だと考えています。 というか、そもそも互いに「わかる努力を放棄した」のですから、当然です。 しかし

          思うことを書いていこうと思い始めました

          本職は保育士です。 いろんな技術や手法を使って、障害のある子どもたちとコミュニケーションが出来たらいいなと日々遊んでいます。 自分で思ったことを自分用に残しておこうと思ってブログを立ち上げてみました。 しかし、本来子どもという人は全く自由な存在だとつくづく思うことがあります。 そこに相手への配慮や忖度など、ない。 お腹が減れば、不満を訴える。何かが不快なら不満を爆発させる。 相手の失敗も面白ければ笑う。別になんてことがなくても楽しければ笑う。 眠ければ寝るし、うまく寝られな

          思うことを書いていこうと思い始めました