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私が生きやすくなる智慧〜認知の歪み対処法〜

「認知の歪み」と聞いてなにが頭に浮かびましたか?
その事柄をその通りに受け取れない、正確に認知できない状態です。
学生の時は、区分けされているため出逢わないような人たちと、社会ではごちゃ混ぜになっていて、一緒に働いています。
話が通じない人、態度が悪い人、すぐキレる人など社会にいる困ったちゃんナドナド、コミュニケーションがうまくとれないタイプの人と出逢った時にどう対処していくのがベストなのか?
これを機にみなさま各々で考えてみてください。
最後に、1番良いと思った対処法も書いてますのでぜひお読みください。
ご自身の保安にもなりますので。

ケーキの切れない非行少年たちって?

非行少年たちに円形が記された紙を渡して、「このケーキを平等に3等分にしてください」と問題を出した結果、このように(↓以下画像)回答する者が多かったという。

その原因が 【認知の歪み】

認知の歪みある状態 = 物事を論理的に解釈できずに偏った捉え方をしている状態。受け取った情報を客観視したり他人の意見を取り入れて自分の考え方を修正することが難しい。
ケーキを三等分に切れなかった原因は、どのように切れば三等分になるか結果を想像した行動ができないといった特徴によるものだそうだ。
認知の歪みが大きい特徴としては、先生や友達の言う事が理解できない、周りの人が見ている風景が認識できない、”これをしたらどうなるか”という結果を想像した行動ができない、などがある。
また、罪を犯した場合、原因を客観的に探ることもできなければ、その理由を答えることもできない。自己洞察ができない。結果として反省に至ることができない。
反省をする能力が欠如しているため、何を言っても反省ができない。


認知の歪み症状10

  1. 全か無か思考 
    白か黒か、勝ちか負けかで考える傾向

  2. 行き過ぎた一般
    1つうまくいかないと全てがうまくいかないと思う思考

  3. 心のフィルター
    出来事を全て悪い方に解釈する傾向

  4. 拡大解釈と過小評価
    悪い出来事をおおげさに捉える一方、良いことは適正に評価できない思考

  5. 感情的決め付け
    自分の気分が良いか悪いかで物事を判断する傾向

  6. マイナス化思考
    中立的な出来事も自己否定的にマイナス解釈するもの

  7. 結論の飛躍
    現実とは異なる悲観的で絶望的な結論を飛躍してだす思考

  8. すべき思想
    具体的な理由がないことも「〜すべき」と考える思考

  9. レッテル貼り
    状況や自分自身について部分的情報から全体をネガティブに判断する傾向

  10. 個人化
    ネガティブな出来事の原因を全て自分の責任へと還元してしまう思考


なぜ認知の歪みから非行に走るのか?

学習面でも生活面でも話を聞き間違えたり周囲の状況が読めない認知の歪みは対人関係で失敗する傾向にある。コミュニケーョンがうまくとれないため、周りに馬鹿にされたりイジメにあったり先生や上司から不真面目だと思われるようになったりする。そこから暴力や万引きやさまざまな問題行動を起こし始め非行に走る。
悪を悪として認識できない、善悪の判断に認知の歪みが影響しているともいわれています。

認知の歪みって誰にでもあるのかな?

あるらしいですよ。
トラウマがある人や、家庭環境、自己肯定感の低さによる思考の癖、過去の経験による固定観念、強いストレスやうつ状態など特別な状況でそうなる可能性があるみたいです。また、発達障害である場合に認知の歪みが生じやすい。

認知の歪みを改善するには、認知療法(にんちりょうほう)という短期精神療法を利用するなど、治療法はあります。
偏った物事の捉え方を修正させ、より柔軟的で現実的な考え方は行動ができるようになります。

「あなたのような○○ならない人とは一緒に仕事できません」

前職(現在求職中)の後輩A氏の話です。
彼、年齢43歳、中途採用2年目、前職は車販売の営業、見た目に気遣う彼。几帳面さがわかる整理整頓されたデスク…

整理整頓されているのは表面だけで、デスクにある書類は整理整頓の「せ」の字もなく、案件ごとに書類が分かれていない・不要な書類が含まれている_過去のメモも混ざっている、私からするとぐちゃぐちゃの状態。
私は、案件の工程に合わせて申請書類の提出や役所折衝をA氏に頼む立場、複数の案件管理のため、書類の整頓は常に心がけていた。
「かっこつけのボンクラ」と認識していたA氏に仕事を任せるのは不安だったが、私の体は1つしかないので、人を頼るしかない。
翌日の仕事の内容を説明し、依頼内容を理解したことを確認する。
翌日夕方、彼が帰社する。定時を過ぎても報告に来ない。
よし、こちらから確認しよう。

ある日、
私「Aさん、頼んでいた役所折衝どうでした?うまくいきましたか?」
A「あっ、えっと、あれはー、、すみません・・話していません」
私「なぜ話しができなかったんですか?」
A「忘れてました。」
私(・・・)

ある日、
私「お客様と事業全体に関わることや工程の話になったら、必ずボスか私に連絡くださいね。他との調整もありますので必ずお願いします。」
A「はい!承知いたしました!」

客からの電話:あの案件の工程2週間早めてって
       Aさんにお願いしたんだけど、大丈夫そう?

私「Aさん、お客様がそう言ってます。報告うけてませんが。」
A「え、、、いや?自分は〜聞いてないと思います、、」
私「お客様がAさんと話していると言っています。工程を2週間短縮してほしいって事に対してどのように対処したんですか?」
A「すみません、承知いたしました、と伝えました。」
私(かまかけたんだけどんんん???)

ある日、
私「Aさんが先週申請して受付されたって報告を受けているあの案件、急ぎなので決裁状況を追うようにお願いしてましたが、状況どうですか?」
A「確認します!」
(報告なし)
私「Aさん、報告ください。」
A「書類に不備があって決裁止まってました。今、対応してます」
私「決裁はどこまで進んでいたんですか?」
A「受付もされていません、すみません」
私(ファ?!??)

どれだけ懇切丁寧に説明しても何も伝わらない

もうとにかくまったくと言ってもいいほど話にならないA氏。
でも母国語は同じなんだし日本語は伝わっているはず、理解できるように順序立てて説明して、重要なポイント(やるべきこと)を強調して説明するようにしていました。

指示は忘れるし、適当な報告をする、報告をしないし、嘘もつく、
見張らないわけないじゃない?
A氏の動向が心配で様子を見ていたところ、お客様や行政に言われたことを単純に忘れているし相手の言ったことを間違った解釈をしているんですよ。
真面目に。
私も私でA氏に、それは良くない事です、仕事には正確なホウレンソウが必要で、ホウレンソウでは嘘をついてはいけません、とか言う始末。
(もうこんなのビジネスの場で言うことじゃないでしょ)

注意するたびに「あ、はい。すみません」。
この注意何回目?って聞いても「すみません。」

これぞ、のれんに腕押し、ぬかに釘、リアルバージョンです。
聞いたことを忘れちゃうだけなら、解決策はあります。その日誰と何を話したか、やるべき事を全てメモをとればいい。相手の言ったことを間違って解釈するだけなら相手の言ったことをその場で確認をとりながらメモすればいい。

私はA氏に一冊の大学ノートを手渡しました。
全てメモをとって、誰かに報告する内容であれば報告が完了したら二重線でメモを消す、というアナログな方法を推奨しました。
それなら二重線で消してないものは未対応であることが分かる→終業時に見直す→繰り返すことでメモを使った仕事法に慣れてきます。
「やります!」と言った彼の机にあった大学ノートは、3日後には使われなくなっていました。


そんな努力も虚しく同じような仕事をしているA氏の尻拭いで、私がヒーヒーいってるときに、また同じような適当な仕事をしてきたんです。
私ももう限界だったのでしょう、「あなた、この仕事出来ますか?これからも続けていけますか?こんなに毎日毎日注意されてAさんも辛いでしょう?私も毎日人に注意することが辛いです。あなたは今後も私と一緒に仕事していけますか?私はあなたのような信用ならない人とは一緒に仕事できません。」と言ってしまったのです。
真っ向からの対立です。
大人気なかったなぁって反省はしてますよ、でももしこの時に、認知の歪みについて知っていたらまた違った対処法をとれたかもしれない。

理解できないと思う人とも共存するためには

ほんとに、もう〜、、図太いというか、タフというか、認知できないなら仕方ないんですけどね、でもそれなら先に言っといてほしいですよね!そういったテストも今後必要なんじゃないすかねぇ?!
すみません、思い出し愚痴です。

先に言っといてよ〜は、なかなか難しいと思うし、世の中こういう人たくさんいるだろうから、哲学でいう「他者論」でポジティブに軽やかに回避しましょう。(真顔)
ここで言う「他者」とは自分以外の人ではなく、「わかりあえない者、理解できない者」といったニュアンスの意味。
哲学者エマニュエル・レヴィナスは、分かりあえない相手「他者」との関わりが重要だといっています。
私には「他者との関わり大切なわけあるかい!そんな相手からは早く逃げろ逃げろ逃げろーーー!」と誰かの声が聞こえる気がしますが。


「他者」との出会いは気付きの契機になる

自分の視点から世界を理解しても、「他者」による世界の理解とは異なっている可能性がある、、、というかほぼ確実に異なっています。
自分と世界の見方が異なる「他者」を、学びや気付きの契機にすることで、私たちは今までと異なる世界の見方を獲得できるかもしれません。

「わかる」ことは「変わる」こと。
わかった前と後で、過去の自分は現在の自分にとって「他者」になります。
あなたの世界を拡げるチャンスでもありますね。


他者の心は理解できないと知っておく

結局はそれでしかないんですけど、
大切なのは、理解できないし分かりあえない人もいるって線引きをすること。
人生は修行だから(オラのじっちゃまが言ってた)、できるだけ「他者」と出会ったら学びのチャンスと思ってポジティブ解釈するしかありませんね。
まあ、できるだけ出会いたくありませんが。

まとめ

先述のA氏は、元々そうだったのか、仕事のストレスによってなったのか、結局のところは何もわかりませんが、人の話をそのままに受け取れないということは認知の歪みは確実にあったでしょう。誰も気付かずに生活してきたんだと思いました。
本人は相当つらかったのかもなぁ、とも少し考えましたが、すぐにその考えは消えました。(あの時期はつらかった。)
世の中にはそんな人が意外と多いのではないでしょうか?

「なぜ教えた通りにできないの?」「なぜ理解できないの?」「私の話を聞いてるの?」「理解しようとしてるの?」「私の指示だから聞けないの?」
「(もしかして)あなたに私は見えてないの?!」なんて自分の中だけでヒステリー起こすのはもう止めましょう。
あなたの認識と、他者の認識は大きく異なります。

分かり合えない「他者」は必ずいます。
なんなら全員が「他者」でもあります。
「他者」との線引きをしないと、ご自身が壊れることもありますので、
ご留意くださいませ。


ハードモードな社会ですが、あなたのその自信と素敵な個性が迷子になりませんように。
あなたに安寧が訪れますように。
どうぞ今後ともご贔屓に。


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