
【私の万年筆コレクション】〜ブルーブラック色の想い出とともに〜
年末の大掃除で押し入れの文箱から、ひょっこり懐かしい5本の万年筆が出てきた。
私は昭和38年生まれだが、我われの世代は万年筆に親しんだ最期のジェネレーションかも知れない。
たとえば中学や高校進学のお祝いに、親戚から万年筆を貰った御仁も多いのではないだろうか?
当時、男子学生への入学祝い品は自動巻き腕時計や万年筆、そして図書券が一般的であった。
そして私と万年筆との初めての出会いも、中学一年の春だった。
旺文社の学習雑誌『中一時代』の年間購読予約の景品だった、「ルネ・シルバー」なるネーミングの万年筆を私はどうしても欲しかった。

「一生懸命に勉学に取り組みたいから」と母をだまし、こうして景品の万年筆をまんまとゲットしたのである。
だが、私はアイドル芸能記事やUFO・バミューダトライアングルなど世界の謎・ミステリー記事の熱心な読者ではあったが、肝心の学習教材に一度も取り組まなかったことを母は知らない。
さて、くだんの「ルネ・シルバー」はキャップもボディもペン先もすべてが銀ピカ、クリップ部分のみ金ピカのナイスな万年筆で、インクカートリッジはたしか、セーラー社製だったと思う。
私はその銀ピカ(いま思うととてもチープなメッキ加工)の万年筆を得意気に学生服の胸ポケットに差し、入学式に臨んだ。
思い出すたび恥ずかしい、ピカピカの中学一年生の想い出である。
しかしその後、「ルネ・シルバー」はいつの間にか胸ポケットから紛失してしまった。

初めて自分で万年筆を買ったのは、大学一年の春である。
「経済学を学びたいから」と父をだまし、私は自分の偏差値にあった東京の私立大学に計画通り進学した。
もちろん、経済学に取り組む気持ちなど微塵も無かった。
東京進学の目的は、その頃好きだった映画のミニシアターや演劇小屋、さらにJAZZ喫茶だった。
そして経済学部の講義にはほとんど出ず、代わりに文学部の授業にモグリで出まくった。
文学部には女子学生がたくさん在籍していたのも、動機のひとつだったかも知れない。
一般教養の講義に『文章論』と云う15名余のゼミ方式の講義があり、私は目ざとく履修した。
私以外、全員が国文科や歴史学科や哲学科の学生ばかりだった。
半分は女子学生だったように記憶している。
ゼミ方式の講義の最終課題は、短くても良いから、小説を書くこと。
そして私の課題は、傑作を書き女子学生にモテること。
前ブリが長くなったが、その時に私は“書く気”マンマンで、当時学生生協の一角にあった万年筆コーナーで初めて、自分で万年筆を購入したのだった。
40年の時を経た今も、その万年筆を私は大事に所有している。
【米国製 PAKER社 】(万年筆コレクション、冒頭写真のいちばん左)。
カードリッジ式で金額はたしか、ぽっきり5,000円だった。
ヨボヨボの老人の店主が、大学生協の万年筆売り場コーナーに座っていた。
「最近は万年筆を買う学生はめっきり減った。君は何学部かね?」との老店主の問いに、
「国文専攻です。将来の夢は直木賞作家です。」と私はウソぶいた。
老店主はニッと笑って、
「それでは記念に万年筆に刻印をサービスで打ってあげよう、年号とイニシャル。」
S56 K.T
大学に入学した年、昭和56年と私の名前のイニシャルである。
その後このParkerで、私は2編の短編小説を書いた。
ゼミの女子学生たちのウケはなかなかだったが、結局、カノジョはつくれなかった。
もちろん、直木賞おろかどんな新人文学賞に応募出来るようなクオリティでもなかった。

万年筆コレクションの2本目(冒頭写真左から2本目)は、【米国製 CROSS社 】コンバーター式の一本。
これは就職し、2年間の大阪でのホテルマン修行の後、念願だった本社開発部門に配属された時に購入した。
直属の部長が万年筆で企画書を書かれる方だった。
魔法のように素晴らしい企画書を、達筆な崩し文字で書かれる。
それに影響されて買ったのだ。
東京の老舗書店「丸善 日本橋店」の万年筆売り場で、1〜2万くらいだったろうか。
その後、CROSSで素晴らしい企画書が書けたかどうかは、記憶にない。
記憶にあることは、配属されてすぐ仕事机にあったダイヤル式黒電話はプッシュフォンに変わり、部長の手書き企画書を活字にする総務課の和文タイピスト係はワープロ機に代えられたことだ。
そしてあっと云う間に一人一台、パソコンが与えられ私も「一太郎」と「Lotus1.2.3」で仕事をするように命じられた。
年号が昭和から平成に変わるその前後の頃の想い出である。

さて、万年筆コレクションの3本目は、【仏製 WATERMAN】(冒頭写真の中央)。
これは私には珍しく少々、ロマンチックな想い出がある。
東京から札幌に戻り、離婚してまだ一歳だった息子の子育てと現場の仕事に四苦八苦しながらも、経営学大学院に入学した頃。
当時付き合っていた女性からの、クリスマスプレゼントだった。
ペン先のしなやかな書き心地、それでいて縦書きにもしっくりくる力強さのバランスを合わせ持つ1本。
どうして彼女が私が若い頃から万年筆に特別な想いを抱いていたことを、そしてどうやって私好みのペン先の硬さを知ったのだろうか?
その秘密を聞きだす前に結局、彼女とはそれぞれ別の道を歩むこととなった。
そう、クリスマスから半年後のことだ。
私はこの大切なWATERMANを大学の研究室の床に落とし、ペン先を曲げてしまった。
彼女はとても悲しんだ。
以来、修理しようしようと思いつつ、現在もペン先は曲がったままである。
いま思うと、こんな迂闊さやルーズな性格が彼女が私の元を離れていった理由のひとつだったのかも知れない。
もう遅すぎるが今年こそ、ペン先を修理にだそうと考えている。

万年筆コレクションの4本目と5本目は、【独製 Mont Blanc社】。
世界に誇る名品、マイシュター・シュテック。
新品を求めると1本、7〜8万はすると思う。
2本とも、ちょうど10年前に亡くなった父の形見である。
父は会社勤めのかたわら小説を書く人物で、私が中学生の頃に地方紙の日曜版に連載小説が掲載された。
父はMont Blancのコレクターで、全部で5本所有していたのだが、いま母が1本持っている。(父の仏壇に置いてある)
そして、二人の弟たちがそれぞれ1本づつ。
長男特権でなかば強引に私が2本、譲り受けたのだった。
マイシュター・シュテックは、父がとても愛した万年筆である。
これで父のような小説群を書く能力もセンスもないが、かといってまったく使わないのも父に申し訳ない。
2022年新春、せめてもと、本「note」記事の下書きに使ってみた。
きっとあの世でこの記事を読み、不肖の長男を父は笑っているに違いない。
私の万年筆コレクション、5本。
その1本1本に、想い出尽きない。
Blue Blackインクで綴られた、私の貴重なクロニクルである。