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インディアン村/ E.ヘミングウェイ

【読書はじめはヘミングウェイを】

“Daddy?”
「父さん?」

“Yes.”
「何だい?」

“Where did Uncle George go?”
「ジョージ叔父さんはどこに行ったの?」

“He’ll turn up all right.”
「そのうち戻ってくるさ」

“Is dying hard, Daddy?”
「父さん、死ぬのって大変?」

“No, I think it’s pretty easy, Nick. It all depends.”
「いやニック、けっこう簡単だと思うよ。時と場所によりけりさ」

They were seated in the boat, Nick in the stern, his father rowing.
二人はボートの上に座っていた。ニックは船尾にいて、父親が漕いでいた。

The sun was coming up over the hills.
太陽が山の上にのぼって来ていた。

A bass jumped making a circle in the water.
一匹のバスが跳ねて、水の上に輪ができた。

Nick trailed his hand in the water.
ニックは片手を水に入れてなぞった。

It felt warm in the sharp chill of the morning.
朝のぴりっとした肌寒さのなか、水は温かく感じられた。

In the early morning on the lake sitting in the stern of the boat with his father rowing, he felt quite sure that he would never die.
早朝の、湖の上、父親が漕いでいるボートの船尾にいると、自分は絶対に死なないとニックは確信した。
《ラストの一部を抜粋》

**
初期の短編“Indian Camp”(インディアン村)は、ヘミングウェイ自身の半自伝的登場人物「ニック」を主人公とする物語である。

少年ニックは医師の父親とジョージ叔父さんに連れられ森でキャンプをしていた。しかし急ぎの知らせがあり、インディアンの女性の出産を手助けするため深夜、その村へ出向くことになる。

その女性は子供を生むことができずに、三日三晩も悲鳴を上げ続けていた。

父は逆子であることを知ると、麻酔をかけることもなくジャックナイフで帝王切開を行い、釣り用の針と糸で傷口を縫い合わせる。

母子ともになんとか命を救うことができた。しかし隣の部屋にいた夫はなぜか、すでに剃刀で喉を切り裂いて自殺していた。

そのような場面を幼いニックに見せてしまったことを後悔しながら、父子は湖を渡ってもとのキャンプへと帰っていく。

***
一晩のうちにすざましい生と死の現場を体験し、ショックを受け混乱しているであろうニックと、そのことを気遣う父。

帰りのボートでの二人の短い会話シーンがとりわけ好きだ。

人の命の誕生と終焉、その恐怖と生々しい現実。

それでも目をそらさず対峙する、勇気と気高さ。

そして、ひとの心の痛みを自分ごとに感じる大切さ。

なにより、自分は愛され認められていると云う自己肯定感。

ニックは朝陽の輝く湖をボートでくだりながら、オールを漕ぐ父との短い会話から学んでいるように思う。

転じて、昨年来のコロナ禍における日本のさまざまな状況。

わたしたち大人は子供たちに、自分の行動と言葉とでちゃんと伝えられているだろうか?

Ernest Hemingway “Indian Camp” 1927。

いま、読むべき一篇と思います。