天上天下唯我独尊
ぐるぐるぐるぐると。
「自分ダメだー!」と思うことがよくある。寝る前とか特に。そのせいか、周りのコの良いところを見つけることが得意になった。それは個性ともいう。あのコは歌がうまいし、あのコはおしゃべりが面白い。あのコは…と挙げたらキリが無いけどみんな個性的で、それを羨ましく思う。自分にはそういうものが無いから。考えるたびに「自分ダメだー!」と思ってしまう。
授業で「天上天下唯我独尊」という言葉を知った。釈迦という人が言った良い言葉。「人は生まれながらそのままで換えのきかない尊い存在なんだよ」と。生きてていい感あってとても良い言葉だと思った。
でもしばらくしてバイト中に気づいたことがある。バイトリーダーがこの前辞めちゃった。あんなに頼れる人が辞めてもこのコンビニはなんだかんだ潰れないのだ。人は換えがきかないんじゃなかったっけ?
あと多様性って言葉も良い言葉だなと思う。生きてていい感ある。人がそうならおにぎりもそうだろうといろんな味を発注した。でも売れる味はわりと決まってた。鮭とか。鮭美味しいよね。おにぎりの味も人の生き方もいろんなものがあっていいってみんな言うのに、なんか「多くの人が求める正解」っぽいものがあるのだ。
違う授業で士農工商っていうのを知った。昔は職業とか許嫁とかが生まれたときから決まってて自由に選べなかったそうだ。それは間違ってると思った。そこからどんどんみんなが自由を求めていろんなことをしてきたんだって。「自由に選べる今って幸せなんだよ」と先生が言っててその通りだと思った。ただ、なんかしっくりこない。なんかもやもやする。自由に職業や結婚相手を選んでいいと言われてもなりたい職業なんて無いし好きな人もいない。
以前男子に告られたことがある。迷ったあげく断ってしまった。友達からは「あーたなんで断ったの?」と聞かれたけど、ヤツが嫌いとか人格に問題があるとかではない。むしろとてもいいヤツだと思う。そうじゃなく、自分が選ばれたことに納得がいかないのだ。自分でなければいけない理由がさっぱりわからない。わたしは「自分ダメだー!」と思ってるのに。
授業でやった時代よりもはるかにこの世界は自由になっていってる。なんでも自分の意思で選べる。生き方も好きな人も。でも「なぜそれでないといけないのか?」と聞かれると自分は答えることができない。
他の授業で「昔は赤ちゃんが生まれても飢えや病気ですぐ死んじゃったから、赤ちゃんが生きられるようになって衣食住がある今はとても幸せなんだよ」と先生が言ってて、その通りだと思った。
そう、そうなんだけどやっぱりしっくりこない。なんかもやもやする。学校から帰れば家もあるしご飯もある。でも「自分」が無いのだ。釈迦って人の言う換えのきかない尊い「自分」が。わたしじゃなきゃダメなことって無いんじゃないか。そういう何かが欲しくて絵を描いたり曲を作ったり短歌を詠んだり配信したりしてみた。でもSNSを見たら自分の上位互換みたいなのがたくさんいてなんかバカバカしくなった。結局自分は誰かのジェネリックじゃんって。誰かがわたしじゃなきゃダメだと言ってくれても、わたしは自分をそうは思えない。
道に迷ってしまった。そもそも道なんてあるのだろうか。こんなにも自由でこんなにも満たされてる。でも自由すぎて満たされすぎて、自分がなんなのかわからなくなってしまった。それって贅沢な悩みなのかもしれない。
ガストで友達にこういう話をしたら「考えすぎじゃね?そこがあーたのいいとこだけどさ!それよりいっぱい食え!」と言われた(※こいつ好き)。こういうことをうんうん考えるところが自分の個性らしい。個性があって良かった。めでたしめでたし。
でもこの個性って、果たして幸せになれるのだろうか。
そんなことをぐるぐるぐるぐる考えてしまう。寝る前とか特に。
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