清末の不死身 第五章
清軍は十分な準備を整え、鎮海の要塞の守備力はかなり高かった。港に隠れていた清国の軍艦3隻も一緒になって砲撃し、火勢を援護した。
相互の砲撃戦の末、フランス戦艦が貫通し沈没寸前となり、慌てて煙幕を放ち戦闘から離脱した。 残った数隻もこれに続き、戦闘から撤退した。
こうしてクールベの先制攻撃は失敗に終わった。正面からの強力な攻撃が効かないとき、クールベは卑劣な手口を使った。
3月1日の夜、フランスの小型船2隻が銭形門に停泊し、奇襲のために上陸しようとした。しかし、水路に詳しい操縦士がいないため、泥沼のような池に行き着き、守備隊から砲撃で撃退された。
3月2日の夜、さらに2隻の魚雷艇が港に潜入しようと送り込まれたが、またしても水陸の守備隊の十字砲火に撃退された。
3月3日の朝、艦隊は再び守備隊の攻撃を受け、また激しい砲撃を受け、1隻の煙管が数カ所損傷した。
クールベは連敗を喫し、数日間休養した。
3月14日、フランス軍艦は復讐のために戻ってきた。 今度はクールベが戦術を変え、フランス軍艦の大砲の大口径と長い射程距離の利点から
清軍の大砲の射程外にある招宝山を砲撃することにした。
フランス軍の大砲は猛威を振るったが、要塞を破壊するには距離がありすぎたため、大幅に威力が失われ、鎮海の強固な要塞を破ることが出来なかったので、海岸に近づいて上陸の準備をすることになった。
薛阜成は、守備隊に応戦しないよう命じ、
全員砦の中に身を隠すように指示した。
しかし、フランス軍が守備範囲に入るや否や、直ちに激しい攻撃を命じた。
フランスは撤退するしかなかった。
しかし、この時、薛福成が先手を打ち始めた。
3月20日の夜、フランス軍の深夜の睡眠に乗じて、薛福成と銭玉興は夜襲隊を組織し、明け方2時頃に突然砲撃を開始したのである。
フランス軍は混乱し、フランス船が体勢を整えて反撃した時には、清軍はすでに戦闘を終えて陣地に戻っていた。