【母が残した家計簿】②1957年新婚生活。父の実家の現実。
昭和〜令和を生き抜いた母が
65年間書き溜めた
【日記付き家計簿】
を元にしながらファミリーヒストリーを
たどって行くコーナーです。
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今回は1957年前半にフォーカスを当てたいと思います。
1956年昭和31年に発表された経済白書には
太平洋戦争後の日本復興が終了したとされ
「もはや戦後ではない」
という言葉は、当時の流行語にもなりました。
その翌年1957年に結婚した両親ですが、
戦後から12年経ち、
復興から発展へ国民の意識が変わり国民生活の向上が急速に進む中、
どのように新婚時代を迎えたのでしょうか。
母が結婚してから数年間はちゃんとした家計簿ではありませんでした。
それも出納帳のページを数枚切り取ってホッチキスで止めただけのものから始まっています。
その記録に、日記はありませんが、日常に購入したものを見ていると、
不思議とその頃を感じることが出来ます。
両親は1957年昭和32年3月に結婚して
その当時は福岡県の岡垣町というところに二人で住んでいたようです。
准看護師と事務方の職場結婚でした。
結婚した3月から、家計簿が始まっています。
二人で生活するための道具をそろえています。
新居にガスが無かったのでしょうか、
七輪を購入しています。
七輪…145円
電球60w1個…55円
裸電球、白熱灯の下で食事をしたのではないかと思います。
スリッパ2組…210円
家の中でスリッパをはく生活は、洋風でとても憧れの世界だったと思います。
アストリンゼン…90円
当時人気だった明色化粧品の化粧水です。
つつましやかに、しかし夢を持って二人の生活をはじめたようです。
少し大きな金額もありました。
応接台と戸棚…2500円
新居の家具を買った様です。
新居に人が訪ねてくるので、張り切って購入したと母は言いました。
大きな出費だったと今でもため息をつきます。
それでも公務員の夫と看護師の妻。
共働きで、幸せな生活のスタートを切ったのでした。
家計簿は、一旦6月で終わっています。
二人の生活は、たった三ヶ月で大きな変化が訪れます。
6月に父が転勤で父の郷里に近い柳川の県立病院に異動しました。
それに伴い母も病院を辞めなければなりませんでした。
父は実家から通勤できる為、実家に同居。
母は新居が見つかるまでと呑気に思っていたのでしょうか…
実はここから、母の苦労と戦いが始まります。
先ほどあった、アストリンゼン。
しばらくは家計簿からは消えてしまいます。
母の実家も苦しい経済状況でしたが、
実はそれ以上に大変な
夫の実家の現実を、父自身も
同居してから知ることになりました。
この続きは次回にお話しいたします。
Nolly
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