「信夫山」夏の影 彼は誰そ、誰そ彼そ
八月一日の朝。福島県福島市。街の中心に聳える、小さな山。その麓に佇む静かな神社。森の中に黒い、神様の坐、神域。そして、この縣の英霊が眠られる地。水の中みたいに静まり返っていた。本殿へ先にお参りさせていただく。暫くお邪魔します、それから、ありがとうございます、と。
誰もいない、参拝に来られてもすぐに帰られていく。誰もが深々と頭を下げて丁寧に手を合わせて祈りを捧げている。またすぐ境内には一人になる。朝、早めだったからか、雲が神社を包んでいた。曇っていたので、もしかしたら雨になるのかなという、そんな心づもりでいた。出先はよく雨になるから。雨も好きだから、大したことでもないけど、本が濡れるのだけは勘弁したいな。と思いきや、後々、驚くほどの晴天。まあ、こりゃあ意外。
始めに
福島縣護国神社に行って参りました。よく読んでくださってる方の中には、「やっぱり、行ったんだ」と予想されていたかもしれません。いつもありがとうございます。ちなみに先日投稿した「規則」についてで書いたのはこの神社で起こった出来事について、神社の人より聞かせてもらった話を書かせていただきました。
ここ信夫山は忘却日記のという作品の舞台になった場所のひとつです。あるはずのない日付が印象的な実写MVです。某音楽プログラムにもありそうな粋な演出で、うっかり本当に放映されてるのでは錯覚してしまいそうになります。ご自身らで構成し作製してるの、本当に凄いです。いい表現が見当たりませんが、ただただお見事に尽きます。
鳥居や神社、山の中で演奏して演じて独自の物語の世界を創るという発想が、新鮮でした。神社=お詣りの場所、神様の住いという考えが先行していたので、こういう見方もあるんだと刺激的で惹かれました。実際の場所があり、せっかくなら知ることができたのなら、日を合わせて自分で行って、そのことをnoteの見聞録にしようと思い立ちました。
Charis Gamesでゲーム兼雑談配信のときに、信夫山で撮影されたらしいことを話されていました。
全部を見つけるのは難しかったので、ここがそうかなと思った場所を撮ったものになりますが、それらを後々に載せていきます。
掲載の前に、実写で使われた其々の作品の歌詞と個人的な解釈や考察をつらつら書いていきます。あくまで私がこうなのかなということを書いています。メンバーの方々が誰なのかは動画先の概要欄で書かれているのでそちらをご覧ください。ここでは割愛させていただきます。
MVは夏に纏わる2つ。春に1つ。人の声(コウさんご本人の歌唱)のと、ボーカロイドの声のとあるので、抵抗のない方からぜひ観ていただきたいです。最悪、音そのものがだめなら消音状態でもいいので。どの場面も演奏部分やストーリー部分を織り交ぜて構成されているのや、セピア色に霞み掛かった映像が印象的で、不思議と懐かしさを彷彿とさせます。数分のMVだけど、クラッシック映画のような小説のような雰囲気があります。
8月0日
浴衣や花火は、日本の夏の風物詩そのものですね。なんとなく、祭りで使われる楽器の音も聞こえそうです。その縁日を行きかう通り、屋台、人、はしゃぎ声、その瞬間が目に浮かびます。凄く賑やかな風景なのに、一番記憶に残るのがお祭りの終わりのしいんとした、あの空気。さあ今日はもう御仕舞だよという一区切りの閑散、侘しさは妙にちくりと刺されるものがあります。もしくは、その華やかな舞台から一歩離れた時に見える、遠のいていくお祭りの灯。あの揺らめきはなんて言ったらいいんでしょう。
MVは日中のようですが、歌詞の時間は夕暮れから夜にかけての時間なのかと思いました。「咲いた」「消えた」は「花火」の事を指していたのかと後で思いました。そういえば、一番最初に「花火」って言葉が入っていたのに。多分なので、違うかもしれません。
この歌に登場する、思い出したい「君」とは誰なんだろうと疑問でした。8月32日に呼応しているあの、二人かな。名前が登場していないので、憶測です。「僕」から見ている「君」なのか、その逆なのか。お互いに探し合っている、そんな感じがします。一番の大事な人が側に居ても認識できない、憶えていない、幻みたいな靄と変わらずふいと過ぎていってしまう、それはなんて切ないんだろうという気持ちを掻き立てられました。まさに「夢」のようです。そういう中で、手が重なった瞬間があったのかなと思うと、ああ逢えたんだと安堵が湧きました。掬われたと願いたいです。
セリフのみの「また来てくれたんだ 待ってたよ」の呼びかけの言葉が、大事な夏の日が何度もあった事を示しているようでした。歌になっていない部分も、その日々の短さを物語っていました。忘れてもまた逢えたのかな、どこかの追想か穏やかな忘れ難さが滲んでいます。
「やっと咲いた やっと咲いた やっと見えた 8月」ではどれほど待ち焦がれていたかが、「もっと咲いて もっと咲いて ずっと8月0日」には夏に終わらないでと、永遠を切に願う気持ちが詰め込まれている気がしました。夏とは長い様で實は刹那的な季節なのかもしれませんね。
8月32日
上の「8月0日」が7/31と8/1の境目なら、こちらは8/31と9/1の間のお話で対になっているみたいです。同じ景色でも違う世界から見ているのかもしれません。この歌詞の空間は二人の「ずっと八月」を願った時間の中なのかと考えさせられました。話が進むにつれて一方には長月に進むことが、もう一方には存在がなかったことになる道が分かれているようでした。絶対のどちらかを選らばなくてはいけない、それも早い者勝ちのごとく。先に願った少女が少年の命運を決定したのかもしれません。自分自身が選択が可能ならどちらを選ぶでしょうか。自分か、相手か。典型的な質問って、その一方しか答えしか許さない圧があります。中間のどちらもなんて中途半端な事を言えば、選択する事そのものを剥奪されそうです。
聴いていて、このピアノの旋律は蝉の規則正しい鳴き声に、最初の太鼓の音がお神楽に使われるものに似ている、そんなイメージがありました。ただ、8月0日では、ひぐらしは出てきませんでした。夏の始まりや本番を表わしていたんではないかなと推測します。長月は秋の始まり、もとい夏の終わりということなのかな、だから幕引きのひぐらしが余計に強く耳に残ったのかもなどと想像が尽きません。
ほとんど声だけの歌詞「許してね 馬鹿な私を。」、最初は「勝手にあなただけ助かる選択をしたこと」を謝っているのかと、思いました。だとしたら、「馬鹿」が弱いのかなと思い、その違和感に悩みました。なので、もう少し何に謝罪したいのか掘り下げてみました。本当に個人的な解釈ですが、「私は9月を迎えたらあなたを忘れてしまうだろう。あなたを忘れるのが嫌だから、私はこの八月の時間に残るけどあなたは私を忘れても生きて。一緒に長月を迎えられない、ごめんなさい。さようなら」という決断と意志に対して詫びているのかなとも考えました。
一人、9月を迎えても蝉時雨が止みません。でも「哭いていた」のは本当にひぐらし、なのでしょうか。「哭く」は大きな激しい音を表すとされます。かなしみや喪失感、そんな感情が虚しく響いているようです。場所があの赤い鳥居の前ならその劈く音は一層心痛を呼び起こさせます。我を忘れて声が枯れて、でなくなっても尚なき叫び続けていそうです。
4月44日
春はこちら。
春とはこんなに切実な季節でしたでしょうか。聞き終わって一番に固まってしまいました。詞(ことば)に包まれた淋しさや悲しさ、いとおしさがすごいふわふわ浮かんでいるみたいでした。鳥居の後ろにある一本の桜も物語の切なさが表れているようでした。登場するソラとナツキのやりとりや描写からいぢらしさ、甘酸っぱさ伝わってきます。「気付かないふり 好きじゃないふり」という一節は、なんといいましょう、思春期らしくて、愛いという感じがします。
「そこに書いた文字の形」というのから、これまでの日記の所持した人の筆跡がそのまま残った本ってことなのかと、思います。それを読めた「ナツキ」や「ユマ」(関連別作品)って凄いですね。「文字の形」に惹かれているのは、日記でもあり手紙でもありとさえ感ぜられます。誰かにはただの文字、誰かにはそうじゃないって微笑ましくて、眩しいです。手書きの文字や手紙って、私は好きです。内容はスキャンしたらデータも筆跡も綺麗な状態で残せます、傷もなく保存し始めた時からの良い状態で残り続けます。記憶の引き出しにも使えます。ただ、文字を上から触った時の筆圧や指についてくるインクの残り、行からはみ出た文字、少しでも贈り物をと一緒に添えられる文香、などのオリジナルからでしか得られない事もあると思っています。
個人的にこのMVの記憶に一番残っているのは、エコー写真がゆらゆら揺れて消えていく様子です。その後の「生きたい」「会いたい」というとてもストレートな想い。それらが学生と思しきソラとナツキの言葉を鑑みるととても素直な気持ちがとても痛烈に感じます。事故の後に新しい大切が形作られ、大変平穏に過ごしていたのが見受けられます。奥さんの「違う誰かを見てるみたい」というセリフから、記憶の欠落があっても、記憶ではない深い核に一番大切な誰かの面影が残っているようです。忘れているはずなのに憶えがある。わずかに背中が凍り付く心地ですが、どこか美しいなとさえ感じます。
撮影した写真たち
さて、ここからは撮ったものを載せていきます。キャプションで一言コメントします。「」はMVより詞を拝借しました。
四方山話
余談ですが、ほんのちょっとだけ歩くのでくたびれてしまったので、境内で休ませていただきがてら時間つぶしに本を読むことにしました。多少涼しかったのは幸いでした。だいたい、遠出する時や公共交通で移動に時間があると一冊持っておくと何か落ち着きます。もちろん、ちゃんと読みます。で、その持ってきていた本が。
………………。御誂向過ぎるのでは、いろいろ。と、自問してしまいました。
なんの意識もしておらず、持ってきていました。詩集でサイズ的にも手に収まる、収録されたのが多い作品だったからで、これ選んでいました。その場であれ、よくよく考えたらと固まってしまいました。真っ黒な「忘却日記」という願いを叶える代わりに対価を払う本。対して、真っ白な表紙の既に起こった記された事を詩に認めた「思ひ出」。(こっちにはなんのマジカルな力は付与されていませんが)対照的な色で、どちらもある意味汚れている本。相対的なこともあるもんです。しばらくは読んでいなかったので、栞の挟まれていた詩も覚えていませんでした。開いてみると、
でした。一瞬、本を閉じました。ピンポイントすぎやしないか、過去ここで止めた私。「よもやよもや」のできごと。そろりそろりと詩を読み返しました。至ってシンプルなメッセージ。
『時は戻らない。やわらかく、瞬く間に、通り過ぎて逝くものなのだよ。』
なんか、休むどころか逆に急かされた気がしました。舞台探しの再開です。
纏め
自分が画面越しで見ていたところに立っているんだってじわじわと実感が足元から湧いてきました。ああ、私いまここに居るんだと。歩きながら、時折頭の中にここで演奏されていた、歌われていた、演じられていたんだろうななどいろんな残像になって流れてきました。前記もしましたが人はほとんどおりませんでしたので、本当に静かでした。もしも「ここでは神隠しがあるんですって。」なんて話がまことしやかに囁かれていても不思議には思わないかもしれません。信じてしまいそうです。束の間ですが、忘れられた時間の中の「箱庭」に居られたようでとても感慨深くなりました。
東北は今回が初めての来訪でした。歩いて回る際、私はほとんど荷物がない状態だったので、移動にはさほど苦はありませんでした。しかし、この撮影された場所に楽器を持って、演奏と撮影があったと推測するとめちゃめちゃ大変ではなかろうかと実際に歩いてみてひしひしと感じました。山なので坂も急な段差もどこかしこにあります。楽器の重さはあまりよくわかっていませんが、それでも担いで場所替えして撮影していたらじわじわと疲弊してくるやつではと予想します。制作が一日でないにしても、撮れたのが一回でないにしても、徒歩だけでないにしても、いろんなたらればを加味すると大変だったのではという気がしてしまいました。これらの作品が創られた皆さんにとって、その時間もこの場所も含めて本当に特別が詰まっているんだろうと、そんな気がしました。
信夫山は緑が深く鮮やかに佇んでいて、東北の土地独特の方言が暮らしに溶け込んでいて、なんとも言えない「懐かしい」「温かい」感覺でした。仮に動画で見ていても来たこともなければ知りもしなかったのに、そんな気分になるのは本統におかしなことです。昔ながら、というのかわかりませんが、過去にはこういう風景がありふれていたのだろうかとふと頭を過りました。日本って不思議な国です。
え。肝心の鳥居がないじゃないかって?
嗚呼。確かに。なんで、でしょうね。
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