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「何をするか」ではなく、「誰とするか」にチャレンジしてみることにした
「何をやるかではなく、誰とやるか」で人生を変えてみよう、という話です。
フリーで地方在住の私ですが、最近オフィスに出社するようになりました。
出社しているのは、オンライン上のコワーキングスペースGather Townです。
GatherTownは一種のバーチャル空間です。デザインはさながら、二次元RPGゲーム。何世代前のグラフィック?と思うようなテイストですが、そこがいいんです。
小学生でスーパーファミコンに出会い、ドンキーコングやらゼルダの伝説やらのRPGゲームをやり込んできた私は、なつかしさも感じます。
Gatherでできるのは、オフィスの中を歩き回って他のメンバーと話ができるだけではありません。
机の周りをカスタマイズしたり、波の音やたき火の音を聞いたり、踊ったり。他のメンバーが不在のときは、机に置き手紙もできるので、コミュニケーションが広がります。
リモートワーク中心の人は、一度Gatherを経験するとこのサービスのファンになるのでは?
せっかくなら、このおもしろさをみんなと共有したい。ということで、ただいま一緒にGatherのコワーキングスペースを使うメンバーを募集しています。
最初にGatherに注目したのは、夫でした。
ひとりで仕事していると、雑談しないよね。うちは夫婦2人で自営だからいいけど、片方が会社員の家や一人暮らしの人は、仕事以外の話をせずに一日終わることもあるんじゃないかな。zoomのようなビデオ会議システムを使えば話はできるけど、雑談のためにわざわざつなぐっていうのも、変だし…
みたいなことを言っていたのでした。夫がこの発言をしたのは、かれこれ2年前。
腰を上げるまでに2年もかかったわけ
なぜ動き出すまでに2年もかかったのでしょうか。
もちろん、夫が言ったことの意味はわかります。けれど、私がすぐ動けなかったのは次の2つの理由があったからでした。
1.雑談に対するイメージが悪い
1つは雑談に対する私のネガティブなイメージです。雑談って、人のウワサ話やグチになることが多くないですか?
かつての職場の飲み会がそうでした。参加するたび、なぜお金を払って、好きでもない人たちと、おいしくない食事をしなければいけないのか。と私は思っていました。
二次会、三次会まで行くこともありましたから、私にとって雑談とは飲み会の延長線上にあるもの。つまり時間とお金の無駄遣いという式が出来上がっていたのです。
雑談(飲み会)に参加したことで、何かしらの収穫を得た経験があれば違ったのかもしれません。しかし当時20代の私は雑談の重要性を腹落ちすることはなく、それを30代以降も引きずっていたのでした。
2.目的のない会話をする場を、おもしろがれる人がわからない
会話は一人ではできないですよね。2人以上いてはじめて会話は成立します。
問題は、夫と私以外にも「雑談」したい人がいるのかわからない。ということでした。
フリーで働く人にとって、報酬が発生しない時間のとらえ方はさまざまです。
明確なメリットがなくても、雑談に価値を感じる人がいるのか?さらにいえば、私達ととりとめのない話をしたいと思う人がいるのか?と思ってしまったんですね。
することが明確=メリットが明確なら話は早いですが、ひょっとすると何か生まれるかもね。みたいなふわっとした話なので、どう説明したらいいかわからない。というのが本音だったわけです。
2年間で起きた「人間関係は選べない」からの変化
ところが、この2年で少しずつ私の考えは変わりました。
ひとつは別のところでも書いた「何をやるかではなく、誰とやるか」を掲げる会社のお手伝いをしたことです。
最初にその会社を知ったときは、何を言っているんだろう?と思っていました。社会人になってもサークルの延長のような考え方がわからなかったのです。
いま、なぜそうだったのかを考えると、そこには私の人間関係に対するスタンスが反映されていたように思います。それは「人間関係は選べない」ということ。
物心ついたときから20代の終わりまで、私は周囲の期待に応えることを価値基準にしてきました。そのため、自然と関心はどう自分を周囲に合わせるかに向かいます。
努力はしてみるものの、どうしても合わないところは去る。とも考えていました。
共同マガジンがうまくいかなった本当の理由
以前、知り合いとnoteの共同マガジンをやってみたことがあるのですが、みごとに失敗しました。失敗した根本的な理由は、それは「やりたいこと」が先に決まっていて、たまたま手近なところにいた人とやろうとしたことも原因だと思います。
お互いにリスペクトがないので、意見の相違がすぐ破綻につながったわけです。
つまり、双方とも関心が向いているのは自分。相手を見てないんですね。
このような関係のベースにあるのは、取引です。明確なメリットがないと付き合わないのもそうですね。
一人の人が持っている時間やエネルギーは限られています。誰にでもまんべんなく時間やエネルギーを使うことはできないので、関係を取引ととらえることも間違ってはいないでしょう。
でも、「やることが決まっている」ときに「自分が合わせる」か「そこにふさわしい人と付き合う」前提では、自分の想定を超えた未来がやってくることはありません。
昔ホリエモンの「想定の範囲内」が流行りましたが、そんな冷めた感じ。想定したことしか起こらないなんて、つまらないよなぁと思うようになってきました。
開示情報に見る業務委託に対するスタンスの違い
そして転機がやってきたのは昨年10月です。とある会社にご縁をいただいたことでした。社員は一人だけで、そのほかは業務委託で構成されている会社です。
いまどき、フリーランスだけで構成される会社もめずらしくありません。でも、会社に帰属意識を持って働いている人は少数派だと思います。なぜなら、決まった仕事を、外注しているというスタンスの会社がほとんどだからです。
正直なところ最初、ご縁をいただいた会社も外注先を探しているのかと思っていました。
しかし、驚いたのはそこで働く業務委託の人たちが生き生きとしていたこと。
年始には前期の決算の速報値や今期の目標が開示されてさらにびっくり。業務委託にこんなことまでオープンなんだ、と。
当然ながら、その会社でも全員に決算情報が開示されることはありません。
私より経験がある人や優秀な人はいるはずです。にも関わらず、大事な情報を開示してくれるなら、こちらもそれに応えなくてはと思いました。
人を信頼できれば世界の見え方は変わる
その会社とほかの会社は何が違うのでしょうか。それは、人を信頼する力だと思います。
世の中の見え方が違うといえばいいかもしれません。私はどちらかというと性悪説で人を見ています。だから世の中にはルールが必要なのだと思ってきました。
しかし実は、そう考える自分があまり好きではありませんでした。
どうやら、この人に見えている世界は違うらしい。と思うことから、少しずつ私の考え方も変わっていきました。
人間関係は選べるという前提に立てば、信じることも怖くありません。そうすれば、もっと楽しくなるだろう。と思えるようになったのです。
信頼なしに目的に向かうのは難しい
「何かをするために集まる」というのは、もっともらしく思えます。
しかし、お互いを尊敬も信頼もせずに「勝利を目指して協力し合う」ことは思っている以上に難しいもの。
そこで仕事を切り出すことになるわけですが、それをするには①切り出す側の運営が十分すぎるほど回っていて、②アウトソースできる決まった仕事があることが条件です。大きな会社はそれでいいでしょう。
でも小さな会社や個人は、定型的な仕事がないこともめずらしくありません。ふわっとした段階では、信頼関係なしにやりとりをすることはリスクにもなりえます。
そうか。だから「誰とするか」が大事なんだ。順番が逆だったのか。と最近になって思ったのでした。
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人は変われるし、人間関係も選べる。私がそう思えるようになってまだ数ヶ月です。タイミングよくお声がけいただいた&声掛けしたこともあって、いま数人でGatherしています。
気持ちが前向きになったせいか、いろいろできそうな気がしています!!
長くなりましたが、気軽に雑談できるコワーキングスペースのメンバー募集中です!!