「忙しい」というワードで思考停止。
最近、noteの発信ができていない。その理由は「忙しくて書く時間がないから」と思っていた。でも、しっかり考えてみると、それは言い訳だし、正しくない。忙しいのは事実だけれど、一番の問題は「自分を内省する時間が確保できていないから」と気づく話。
前回noteからのご無沙汰日数14日間。100日チャレンジをしていた頃からは信じられない程、ご無沙汰してしまい、ご無沙汰しすぎて、逆にnoteを書くのを躊躇し始めていた Kaori です。
「テストで悪い点をとったから、もっと勉強したくなくなる症候群」のようなこの負のループの始まり、、、。これは、いかんいかんと筆をとりました。2週間で戻ってこられたなんて、一昔前からすれば、全然問題ないです。無問題!とポジティブに捉えよう。
一つミッションのボールが落ち着いてきたタイミングで、自分を振り返りました。確かに、毎日note100日チャレンジをしていた時は、まだ育休中だったりと今よりも時間があったのは事実。今は、日中仕事をしていますし、復職し2ヶ月経つともう100%仕事がのってきた感もあります。
とはいえ、全く時間がなんだっけ?と正直に自分に問うと、、、
「そんなことはないよね。時間あるよね。」と素直に思うんです。
「忙しい」って「思考停止ワード」だな...と改めて思います。
何がどのくらい忙しいのだろうか。
何にどのくらい時間を取られているのだろうか。
なぜ、私はnoteのアウトプットができていないのだろうか。
丁寧に考えてみると、noteを書けない理由は、アウトプットする(書く)時間がないのが根本的な問題ではないと一瞬で分かります。
書きたい事があって、それを表現するだけならば、1000文字くらい、私は、15分で書けてしまう。だから「書く時間がない」のが原因ではない。
では、何か「インプットしている時間」がないから?
いや、それも違う。日々過ごしていれば、いろんな情報が入ってきている。
今は、育休中よりも多様な刺激に溢れているし、感情の起伏もある。
では、noteを書けない理由は何なのか?
アウトプットする時間が原因でも、インプットする時間が原因でもない。とすると、、、一番危険な「あれ」かもしれない。自分では、少し前から気づいていました。見ないふりしていただけで。
そう、noteが書けないのは、日々生じる出来事や感情の起伏に対して「自分はなぜそう感じたか」「では、自分はどうしたいか」「どうありたいのか」そういう内省する時間を取らなくなっているから。これが、そもそもの原因なのです。
ただただ、仕事をする。ただただ、家事育児をする。
何も考えずに、とりあえず、資料を作る、会議をする、子供の世話をする。ロボットのように「作業」していると、仕事をした気になる。家事育児もした気になる。でもさ、立ち止まって考えてみたい。
そもそも、私はなぜ「それ」をしているんだっけ?
これすると、社会にどんな良いことがあるんだっけ?
この仕事、誰かの「ため」になっている?
子供の成長としっかり向き合えている?
そんな生きていく上で一番大切なことを振り返ったり、考える時間を取らなくなっていた、、、一番大事なその時間が削れてしまっていた。
ぎゃーっ。思考停止、こわっ!!
でも、もしかすると、これは、人間の防衛反応なのかもしれないとも思う。
例えば、「この仕事は、社会にどんな良いことがあるの?」この答えが、すぐには見つからないことだって、きっとたくさんあるのだろう。それを、いちいち考えて、悩んでしまうと、自分の存在意義が分からなくなり、ヒトは、辛くなってしまうのかもしれない。
な・や・ま・し・い・で・す・ね。
私は、noteを書きながら、こうして自分を内省しているようです。
今日は、久しぶりに、自己内観して大切なことを思い出した話。「忙しい」って、ワードは思考停止ワードで、「忙しい」を理由に「自分と向き合う」大切な時間をないがしろにしてはいけないと強く思った話。
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。
また、遊びにきてくださいね。
残暑厳しいですが、素敵な週末をお過ごしください。