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朗読風ショートショート 『豆腐の角をもっと堅くだんだん柔らかく』

「おい、早く支度するんだ」
町で一番古くからある、老舗豆腐屋の主人、イガリさんの朝は早いのです。
「おはようございます。すいません、お義父さん。娘に昨日、遅くまで絵本を読んでいまして。」
娘婿のクリムさん、まだ眠そうな顔であわてて長靴をはいて出てきました。
「何が絵本だい。お前さんの読む絵本つうのは、ケーキの家なんか出てくる、甘ったるいやつだろ。いやだいやだ。うちの娘には、一切、そんな血糖値があがるようなもんは読ませなかったもんさ。」
「もう、父さん朝から大きな声ださないでよ。チヨコが目を覚ましちゃったじゃない。」
作業場の入り口から、イガリさんの娘さんと孫娘のチヨコちゃんが、おそろいのパジャマ姿で手をつないで現れました。
「お父さんが読む昔話ったら、やれ味噌汁には豆腐がいいだの、鍋の豆腐は小さすぎるだの、いちいち絵を見て話が止まっちゃうから全然覚えてないのよ。いいじゃない、クリムさんはお家がケーキ屋さんでこないだまでパティシェをしていたんだから。父さんが倒れてからクリムさん、ひどく心配してたのよ。パティシェも辞めてうちに来たんだから、ほら助かっているんでしょ。」
イガリさんの娘さんのキヌヨさんは呆れたように口を膨らませているけれど、孫娘のチヨコちゃんは口を尖らせてイガリさんを細い目で睨んでいます。
「さあ、チヨコ。じいじとパーパはこれからお豆腐を作るお仕事があるからね、もう一度お布団に入りましょ。」
「チヨコ、お豆腐嫌い。だって、味しないんだもん。」
つないでいた手を離してチヨコちゃんは、ひとり走って行っちゃいました。キヌヨさんとクリムさんは困った顔を突きあわせていましたが、イガリさんは豆腐よりも白い顔で俯いて、自分の長靴のつま先をじっと見つめていました。

翌朝。眠そうな目をこすりながらイガリさんが作業場にて腕を組んで立っています。
「おいおい、クリム君。遅いじゃないか。ちょっと見てもらいたいものがあるんだ。」
「おはようございます。お義父さん、昨晩は遅くまで何かを作られていたようですが。」
「うん、まああれだ。君は甘いものが得意だったよね。」
皿にのった一丁の四角い白い豆腐を取り出す。おかかと醤油がすでにかかっているようです。
「試作品ですか、これは。僕にわかりますかね。あれっ、スプーンがついてますけれど。」
クリムさん一口食べて、目を丸くして思わず声が出ます。
「おい、しいです。これ、豆乳のアイスなんですね。見た目、豆腐で全然わからなかったなあ。おかかと醤油も実はチョコレートだなんて。キヌヨ、チヨコ、ねえ、起きてごらん。」
大きな声に驚いて顔を隠すように手をふるイガリさん。何よ、今日はどうしたの?って一緒に起きて出てくる、キヌヨさんとチヨコちゃん。
「あら、ホント。豆腐にしか見えないけれど、すっきりした甘さで美味しいわね。」
キヌヨさんからスプーンを受け取ると、恐る恐るすくって食べるチヨコちゃん。イガリさんがじっと見つめるなか、初めてお爺ちゃんの目を見て笑いました。
「このお豆腐、とっても甘くておいしいね。」
つられてキヌヨさんとクリムさんも笑います。
「もう、父さんったら私には豆腐に塩かけて毎日食べさせてたんだから。」いつしかイガリさんは涙を浮かべながら嬉しそうに笑っていました。

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