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基本は面倒なことと捉えて進める


何かを始めようとした時に、面倒と思うことが多い。

細かくみると色々な事柄が混ざっていて、簡単に表現できる言葉が面倒ということだと思う。


でもその作業って、やらなければいけないことだと思う。

そもそもやらなくていいことは面倒という感情すらないわけだから。


面倒ということに対しての捉え方をどうにかしなければ先へ進めないところにいる。

どんどん行動している人っていうのは、そんなことすら考えていなくて面倒という感情と対峙していない。

当然のように受け入れているからできると言える。


面倒と思ってしまうのは、もっと楽にしたいわけであって、楽しいことをしていきたいというところ。

その事柄に対して、楽しいと思う感情よりも苦しみの方が大きいからそう捉えてしまう。

やりたくないという思いが強いということは、自分に良い感情をもたらしてくれない。


本当にその行動が何ももたらしてくれないのであれば、やる必要性はまったくもってないけれど、たいていの場合はその先を手に入れたいわけだ。


矛盾した感情をいかに整えれるかがカギとなってくる。

結局はやらなければいけないことなのであれば、どうすれば楽しめるかとか効率よくできることはないかという視点を持つことが良い。


面倒ということに焦点を当てたところで、やる気が出てくるわけでもなければ、物事が進むわけでもない。


むしろ、面倒と感じたら何も考えずやり始めるという領域まで到達することができれば、理論上前に進めることはできる。

やる前に、あれこれ考えてしまうとやらなくていい理由を探すようになっている。

また、少しでも行動し始めると勝手にやる気が出てくるということまで出ている。


不安を感じる時間が勿体無いという領域まで行くと前に進めるということ。

もちろんその感情を捨て去ることはできないし、かき消そうとするほど増幅して行く。

だから、一緒に抱えながら選択するといった表現がいいかな。


全てを受け入れた上での選択をしていく。


その強さが魅力的なものへと導いてくれる。


現実的に、あれこれ考えたところで受け入れなければならない厳しいことがあるという中で、それでも前に進んでいる。

その人たちは、決してそのことを無視しているわけではない。

そういうものとして私はこうしたいという源から溢れ出る力によって動き出している。


楽しさを自ら生み出すことができると恐れることはない。


それであなたは何をしたい。

面倒と思い、やらなかった選択もまた受け入れなければならない現実があるというだけ。

そうした一連の流れ全てを楽しいと思えるようになれば、この世界は違ったものに見えるかもしれない。



少しずつ歩いて行くしかない。



なんかいいなと感じたら、缶コーヒーください。ありがとうございます。スキです。