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映画「囚われた国家」
自粛明けの映画館へ。
コロナ渦以前からあまり混雑しない映画館ではあったが、8番シアターの観客は私を含めて3人だけだった。
鑑賞したのは「囚われた国家」、以下あらすじ。
地球外生命体による侵略から9年後の2027年、シカゴ。制圧されたアメリカ政府は「統治者」の傀儡と化していた。貧富の差はかつてないほど拡大し、街は荒廃。そして市民は、この圧政に対して従属する者と反抗する者に分かれた。自由を取り戻すために秘かに結成されたレジスタンス・グループは、市内スタジアムで開催される統治者による団結集会への爆弾テロを計画するが―。
引用:https://www.captive-state.jp
圧倒的な”統治者”によって常に支配・監視される典型的なディストピアを、一貫して暗い映像とBGMでうまく表現されていた。
地球が宇宙人に侵略されるストーリーのSF映画は数多くあり、私も何作か観たことがあるが、本作はすでに侵略・征服されてしまった後の世界が舞台となっているという点で異彩を放っている。
宇宙人襲来系の映画はどうしても ”突然現れた侵略者に対して、地球人が一致団結して立ち向かいがち” である。個人的には、地球に襲来できるような科学力を持っている時点で人間に勝ち目なんか無いように思ってしまうが。
そんな脚本とは一線を画した本作では、街に紛れてレジスタンスのメンバー達がそれぞれの任務を淡々と遂行していく様子が描かれている。
「裏切りのサーカス」のように、決して派手ではない、冷たいスパイ戦の匂いがした。
コロナウイルス対策に有効だとして、人々の行動を監視・管理するような技術が導入された国もあるようだ。
圧倒的な統治者による監視社会が実現する時、その統治者はやはり人間なのだろうか。