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好きって
2013年からクリープハイプというバンドが好きになった。しかし、クリープハイプを好きじゃなくなった、と思ったことがある。
憂、燦々という曲がCMで流れているのを聞いたのがクリープハイプとの出会いだった。声を聞いて、男性なのか女性なのか分からなかった。そのほんの数日後にテレビでこの曲を演奏しているところを見て、男性なんだ、と思った。実家の当時住んでいた家の近くにあったTSUTAYAでとりあえず、とレンタルできるCDはすべて借りた。そのTSUTAYAはもう潰れてしまった。
プレイヤーの再生ボタンを押した瞬間に稲妻が、、!てきな感動は全然なかった。なんとなく好きかも、と思いながら聞ける曲は全部聞いた。初めてクリープハイプが好きだと自覚したのは、「チロルとポルノ」という曲を聞いた時だ。私は、その曲に初めて触れた瞬間というものをよく覚えている方で、「チロルとポルノ」を初めて聞いた時のことも覚えている。仙台駅前を父親の運転で走っている夕方、秋だった。空はオレンジらしいオレンジ色で、助手席の小さい私はさみしくなった。
この曲は過去に関係があった人物を思い出すような内容の歌詞だ。当時の私は小学生か中学生になったばかりで、そんな経験は微塵もなかった。なのになぜだろう、この歌詞の気持ちがよくわかる、と思った。今思えば、これがクリープハイプが好きな理由のすべてだと思う。歌詞の中の人物と同じ経験がなくても共感できる。歌詞の中の、ほんの1フレーズが、言葉が、私の心をゆらす。それはきっと生活の中で見落とされてしまうような景色や気持ちを見落とさない、そういう歌詞だからだ。こんな気持ち、こんな景色、みてるの私だけかな、と不安になった時にそれが歌になってそばにいてくれるのがクリープハイプの音楽だ。どの曲にもそういう歌詞が散りばめられている。
初めて出会ったときから、じわじわと好きになり、当たり前に聞くようになり、生活になくてはならない存在になった。中学生になってからは行けるライブには全て足を運んだ。ライブを見て、泣いたり、嬉しくなったり、寂しくなったり、楽しくなったりした。朝、学校に行くまでの短い時間でもウォークマンでクリープハイプの曲を聞いた。自室にポスターを貼り、CDやDVDは棚の一番よく見えるところに置いた。銀杏ボーイズの隣に置いた。インタビュー記事はほとんど全て読んだ。自分が東北で一番クリープハイプが好きなんだと自意識過剰になるほど大好きになった。ずっとずっと一生好きでいられる自信があった。
高校を卒業し、大学に入学するタイミングで上京した。東京に来てから聞くクリープハイプは、地元の景色を思い出させるから少し悲しかった。それぞれの曲を初めて聞いた景色は全部ここではない地元の景色だからだ。でもそれと同時に、幼かったわたしが東京に来たんだ、それくらい時間が進んだんだ、少し前からは想像もつかないな、と時間の流れに感慨深い思いだった。
それくらい長く、何かを好きでいられたこともうれしかった。
東京に来てからも数回ライブに行った。行くたびにやっぱり好きで、毎回緊張と興奮で過呼吸ぎみだった。
いつからか、ライブに行かなくなり、クリープハイプの曲を聞く頻度が減っていった。これといって大きなきっかけはなかったが、東京に来てからの生活で、クリープハイプの曲を心が求める時がなくなったような感覚だった。他にも情熱を注ぎたいものや、激しく好きだと思うものができたというのも理由の1つだったかもしれない。
それでもファンクラブはずっと継続させていたから、「なんとなく」でライブに行くようになった。ほとんど惰性に近い感覚だった。2022年の5月、仙台と東京で2回ライブを見た。
この2回のライブを見て、ああ私はもうクリープハイプが好きではないのかもしれないと思った。
昔みたいに泣いたり、嬉しくなったり、寂しくなったり、楽しくなったりしなかったのだ。自分の心とクリープハイプに距離ができたみたいだった。客席の一番後ろとステージ上みたいに遠かった。
でもその時は、好きなものが変わっていくことはとても自然なことだと納得していた。自分が変化したんだ、変わらないほうがおかしい、こうやって好きなものや人間関係は流動していくんだと。でもどこかで、ずっと好きでいたものと離れる寂しさがあった。
こうしてクリープハイプと離れて過ごす生活が少し続いた。リリースされた新曲もちゃんと聞いていなかった。2022年12月26日、会う人会う人に良いお年を〜と言う日々が続く年末、友達と別れ際、良いお年をと言い合ったあと、Spotifyのおすすめに「本当なんてぶっ飛ばしてよ」が出てきたからなんとなく再生してみた。この年によく散歩していたいつもの道を歩きながら、「まだまだこれからキラキラ輝いて」という歌詞が聞こえてきた時、涙が出た。クリープハイプに出会い直したような感覚だった。クリープハイプと一緒に生きてきた日々を想った。同時にクリープハイプと離れていた日々のことも想った。
その数日後、帰省してからクリープハイプを久しぶりに聞いていた。クリープハイプの音楽に帰ってこれてよかったと思った。好きなんて気持ちはとっくに超えていて、自分の中にクリープハイプの言葉や音が完全に染み付いていて、自分の一部になっていることに気づいた。
もう好きじゃないのかもしれない、と思っていたときにはそのことに気づいていなかったのかもしれない。もちろん好きという気持ちには種類や波がある。その波のひとつだったように思う。でも、年末にクリープハイプが新曲をリリースしてくれたおかげで私はまた出会い直すことができた。それがなかったら自分とクリープハイプの接点は消えてしまうかもしれなかった。
何かを好きでいることには努力が必要だ。何かを好きでいなくなる、やめる、切るということはとても簡単であっけない。好きという気持ちは簡単に手放すこともできるし、その一方で簡単に手放すことができないものだ。
クリープハイプに出会い直した年末年始、一度好きになったものをそう簡単に好きじゃなくなることなんてできない、それはクリープハイプが私の一部になっているからだとわかった。でもそれはクリープハイプが変わらず新曲をリリースしてくれて、ライブをしてくれて、再生したらいつでもその音楽に触れることができるおかげだ。好きでいさせてくれる接点を作ってくれることはとてもありがたく、素敵なことだ。
人生が変わったわけではない、ただ変わらずずっとそこに在り続けてくれて、そばにいてくれる。思えば、幸せな時も嬉しい時も悲しい時も寂しい時もクリープハイプの音楽が近くにあった。その言葉や音は私の体の中をいつでも巡っている。様々な記憶に紐づいている。
好きでいることはたいへんだ、だけど、その努力を惜しまないでいたい。流動性のある好きも受け入れたい。今好きなものを大事にしたい。
2013年からずっとクリープハイプが私の心を揺らし、動かし続けている。クリープハイプは私の好きなバンドです。