今日
引越しを手伝いに来てくれた母親と別れて、そのまま電車に乗った。
あれも買わなきゃ、これもまだ買ってない、区役所に行かなきゃとか、もやもや考えていて正直ライブに行く気分ではなかった。
学校に行くみたいに、バイトに行くみたいに、ワクワクした感じもなく有明で降りて、東京ガーデンシアターに向かう。ゆりかもめはいつも高いなあと思ってしまうけど、江東区に来たな、と実感する。
ぎりぎりに座席について、2分後くらいには客電が消えた。1曲目に大好きな曲のイントロが流れてきて、歌の部分が聞こえてきた瞬間に涙が出てくる。久しぶりにちゃんと泣いた気がした。
クリープハイプの音楽を好きになってから約10年、座席を見渡すと10年分のいろんなわたしがいたような気がした。
ただただかっこいいな〜とふわふわしていた私、全身にグッズを身に付けた私、友達といる私、緊張しながら1年ぶりにクリープハイプを見た私、もうクリープハイプが好きじゃないかもしれないと思った私、今の私。クリープハイプのライブを見ていると、こうして色んな地点の自分が見えるような気がしてくる。何回でも思うし、これから先もたぶん思うのだけど、クリープハイプのライブを見ると、本当に些細な記憶まで引き出されてくる。子供の時からずっと共にある音楽で、ずっと一緒に生きてきた。自分にとって生活だし人生なんだと思う。
ライブの間はずっとしあわせで、うれしかった。特に好きな曲がきたときは毎回泣いた。今このタイミングで必要な時間だったのかもしれない。
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引越しのこと、ここ最近のこと、そのひとつひとつの出来事や感情に向き合う間もなく、新しい街での生活がスタートした。様々な選択が、本当に良かったのか分からなくなったりしていた。最近は特に自分の感情の部分にしっかり向き合えておらず、でもやらなきゃいけないこと、とにかく進めなければいけないことで、とにかく今日まできた。勢いや忙しさに任せて行動することは自分に向いていないのは分かっていたし、それがストレスになっていることは明確だった。進んでいく生活に完全に自分が置いていかれている。自分の感情をふわふわ捉えきれないままにしておくのが私はすごく苦手だ。それを誰かに話すこともやっぱりできない。自分の喋れなさについてもずっと考えていた。
せめて文字に起こすことだけは、と思っていたけど言語化もできずnoteもずっと書けなかった。自分の最近の日記を読み返してみても分かりやすく起きた事象だけ記述されていて、感情の部分がすっかり書き残されていなかった。(それでも秋が来て嬉しいことだけは書いてある)
書いておきたいことはたくさんあるのに、書けなくなるこの感じはちょうど1年くらい前にもあったなと思い出す。だからこそ、書くことに自分がどれだけたすけられているかを実感した。自分と向き合って、ひとつずつ整理していく方法がわたしにとってはテキストなんだと思う。
最寄りのコンビニで金麦を買ってすぐあける。これをやってしまえばどこに住んでも自分のペースを取り戻せそうだ。まだ少し見慣れない新居の部屋はぎこちなく、そこにいる今の私もまだぎこちない。