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北海道
9月も終わりそうな頃、北海道に行った。
いきなり脱線するのだが、誰かと食べる朝ごはんは最高だ。
なぜか早起きしてしまったとき、なんかお腹すいたーとなって朝ごはんを食べに行く。朝だから結局元気もなく、口数も少ない。家で食べるときは実家みたいに黙って朝の情報番組を眺めたりする。今日寒そうとか暑そうとか、最高気温の話しかしない。何ならまだコンタクトも入れてなくて視力もない。やけにコーヒーは染みる。そんなことを含めてモーニングを誰かと食べるあの時間は愛おしく、最高だ。朝ごはんを一緒に食べた人とは急に仲良くなれたような、そんな気さえしてくる。一人朝マックも最高だけど、この話はまた今度書きたい。
この日は池袋のモーニングからスタートした。普段食べなのにトーストとか食べちゃう感じも、お腹空いてると錯覚して頼んでも結局死ぬほどお腹いっぱいになるのも意味わかんなくて最高。急にモーニング食べに行かない?ってなる時間をこれからの人生で何回も繰り返したい。
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飛行機に乗るのは高校の修学旅行ぶりだった。手違いで友達と座席が離れてしまって、数年ぶりの飛行機に不安なまま搭乗時刻になる。離陸が本当にこわくて、”誰か手握ってくれ!!!”と心の中で叫びながらずっと下を見ていた。
1日目は、わたしは夜景が好きだったのかもしれないということに気づいた。
藻岩山に夜景を見に行った。肌寒い夜に、ゴンドラに乗ってどんどん上に進んでいく。心なしか上に行くにつれて寒く感じた。(そういえばモノレール、ゴンドラ、ケーブルカーの違いがこの日初めて分かったのですがもう忘れました)
頂上に着いて、見渡すと360度夜景が広がる。小さいきらきらが、無数に光ってゆらゆら揺れていた。遠くになるにつれ、きらきらが空に馴染んで境界が曖昧になっていく。その全部が空から降ってきたらきれいだろうな、と思った。そのきらきらを浴びてみたい。
こんなに夜景好きだったっけ?と思った。思えば夜に電車が走っている様子を遠くから眺めるのも好きだった。なんですきなんだろう、と考えてみるとその光のひとつひとつや、電車の窓のあかりひとつひとつには人々の生活を感じるからなんだと思う。このひとつひとつには誰かの生活が、そう思うと果てしない気がした。私もその光の一つで、友達も、家族も、あの人も、この人も、みんな。同じ時間軸を生きている人が無数にいる、実際にはまとまりや景色、ではなくひとつひとつ、だ。そういう光のひとつひとつに手を振りたい。私はここにいて、あなたはそこにいるんだね。見えてるよ。遠くまで。
山を下っていく。遠くから見ていた光が近づいてくる。さっきまでとは違う空気に変わる。私はこうしてさっきまで見ていた光の中に溶け込んで生きているんだとぼんやり思う。
前回の京都旅行の反省を活かして、ホテルで飲みすぎない、これに細心の注意を払った。夜遅くまで起きていた。北海道にいることを忘れそうになる。パキッとしたホテル特有の枕カバーやシーツは眠くなって体温の上がった体を冷やしてくれて気持ち良い。
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2日目は雨。神社に行ったりパフェを食べたりジンギスカンを食べたりして、ゆっくり過ごした。移動中の電車でMBTIの診断をやり直したら、INFJ-Tだった。ここから数日MBTIに取り憑かれることになる。
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3日目。旅行のときはいつも最終日の朝から帰ることを思って憂鬱になり始める。チェックアウトまで準備をするホテルの部屋がずっとさみしい。ホテルの朝はほんとうにいつも、憂鬱の引き金になる。
子供の頃からそうで、夏休み初日から最終日のことを想像して憂鬱になるような可愛げのない子供だった。楽しいことが続くことへの耐性がまるでない。基本的にわたしはルーティーン人間だから、非日常が続くと日常に戻ることがこわい。ちょっとくらいやなことがあるほうが落ち着く。こんなに楽しいことが続いてしまったら、それが終わってからの世界を生きていけないよ、、と思ってしまう。これは直していきたいくせで、幸せなことに集中できる人間になりたい。なれるのだろうか。
バスに乗って小樽に向かう。この北海道旅行の中で1番好きな街だった。知っている街だ、と思った。安心感があった。駅を出てすぐの大通りも、ずっと住んでいたような気になって不思議だった。その道は海へと続いている。今年はやっぱり個人的に海が鍵だった。
朝から海鮮丼を食べて、人力車に乗って、ドンキに行った。東京とはちがうやさしいドンキだった(なんと表現したら"やさしいドンキ"が伝わるのだろう)。
空港へ。行きは死ぬほどこわかった飛行機も帰りには慣れて景色を眺める余裕もあった。東京に着く頃には暗くなっていた。飛行場の、綺麗に整列した何色もの光が綺麗でずっと見ていた。
夜に浮かぶ小さな光たちが好きだ。この旅行中ずっとそういう光に夢中だった。
なんだか心穏やかで、ずっと楽しかった記憶しかないから逆に書けない。このまま今年の総括に入りそうだけど、2023年という年はそういうただただ楽しかった記憶がたくさんあって心底嬉しく思う。そういう時間を自分で選んで作ることができた。
いつも旅行はワクワクドキドキという感じだけど、今回の北海道はワクワクより安心感の楽しさだった。広い道も、海の近くも、商店街も、時計台も、電車も、ずっと前からこの場所を知っていたみたいだった。この街に住んでいたら、誰かと時計台で待ち合わせとかするのかな、いや、案外普通にパルコとかで待ち合わせしそう。そんな自分のことも想像できるような北海道だった。
帰りに日暮里のサイゼに行って、この旅行で食べたもののランキングを発表しあったらほぼ逆の結果になっておかしかった。
知らない街のチェーン店に行くのも、私はずっと好き。サイゼで氷結を頼むと蓋を開けた状態でグラスと一緒に持ってきてくれる、サイゼは意外とやさしい?
帰ってから荷物を片付ける時間もずっとさみしい、旅行の愛おしい憂鬱。
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追記
・サッポロクラシック最高!!大好き!!!!
・一日目は友達が赤い服、私は緑の服を着ていてクリスマス野郎だった
・ホテルのパックのサイズがおかしすぎて腹ちぎれるくらい面白かった
・友達は手を白くすることに情熱を注いでいた
・北海道にはスリラーカラオケというチェーンのカラオケがあるらしい