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201から201へ

引越しレスキューに来てくれた母親を迎えに駅まで手ぶらで向かった。もうこの街の夜道を歩くのも最後か、とふと思う。今後この街に用事があることは一生ないかもしれない。一生、と言うとすごく大袈裟な感じになるけど本当に一生かもしれないなと思った。少しゆっくりめに、きょろきょろあたりを見渡しながら歩いた。初めて来たみたいに、旅行で来た街を歩くみたいに。

駅前でご飯を食べながら母が「最後の晩餐だよ、どう!寂しい?」と私に聞く。「いや、なんかそうでもない」と答える。ほんとは、ほんとは、思うことがたくさんあった。

***

大学受験に手こずって通う学校が決まるのが遅くなり、すぐに東京で住む場所を決めなきゃいけなかったのが2020年春のこと。大学まで電車1本で通える街で部屋を探した。駅から徒歩17分。(思えばこの遠さが私を散歩好きにさせた気もする)”光が丘”という街の名前が、これから始まる東京での生活に希望を感じさせた。正直もうここに決める以外物件はありませんという感じだったから不動産屋に行ってすぐ契約した。
その後すぐコロナが始まり、実際に住み始めたのが6月頃。上京した。その日が来るまで仙台でずっとワクワクしていた。中学生の頃から夢見た東京での生活がリアルになって嬉しかった。

内見をせずに決めた物件だったから、初めて外観を見た時は引いた。センスのない黄色い外観のアパートだった。なんで黄色なんだろうという不安を抱えたまま201号室のドアを開ける。それまでのワクワクはもう消えて、ここで一人で暮らしていくことの不安が増幅していった。

東京での生活がスタートしてから1週間ほどはホームシックになった。そんな時期も束の間、東京のあらゆる街に出かけ、アルバイトを始めたり当たり前に学校に通うようになった。
住み始めた頃はこまめに掃除をしたり、少しでも生活を大事にしていこうと努力した。住んでから1年もたたないうちにその努力は続かなくなった。掃除の頻度は減り、何より物が多いことに収拾がつかなくなり、本や服は買ってそのまま放置する状態になって床の面積が減っていった。ゴミを捨てるために朝起きれなくなり、飲んだ缶やペットボトルも溜まってしまうこともあった。
住んでいた部屋がなんとなく薄暗いのも気になっていた。人の家に行くと、ああ部屋ってこんなに明るいのか、、と驚いた。ロフト付きの物件だったから天井が高く明かりが行き渡らないのはある程度しょうがない。しかし天井が高いと冬は地獄で、いくら暖房をつけても部屋はあまり暖かくなかった。電気湯たんぽがなかったら私はもうこの世にいない。
ある時期を境に、もうこの部屋に人を招くことはないだろうと思い、いろんなことを諦めた。寝るためだけの空間になった。朝出て、帰るだけの場所。だからこの街のカフェや居酒屋もほとんど知らない。
自分で自分の生活をだめにした。3年と数ヶ月が経った。

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夜ご飯を食べ終えて、買い物をしに駅の近くのスーパーに行った。自分でも驚くくらい店員さんの顔を覚えていた。何台かのレジに立っているほとんど全員の顔がわかった。スーパーを出てから急に寂しさに襲われる。友人たちには散々、この街の居心地が悪い、つまんないなどと愚痴をこぼしていた。だけどいざ離れるとなると寂しい。かつては希望に満ちていた部屋、だからこそそれを破壊した自分、この部屋のことを思うと心が痛む。文句を言いながらもこの部屋、この街の楽しかった記憶もたくさんある。通学定期の圏内の駅は好きな場所がたくさんあって、特に東中野は本当に大好きな街だ。苦しくなる時、東中野の架道橋から行き来する総武線と中央線を眺めた。好きな居酒屋も喫茶店も映画館もある。始発までの時間、駅前のファミマで水を大量に飲んで潰した。東中野から落合南長崎まで散歩するのが日課だった。大きな通りをゆっくり時間をかけて歩いていくと、色んなことが大丈夫になった。
3年、この街で、この部屋で、幸せな時間も孤独も過ごした。下の階に住んでいるおじさんはいつも仕事終わりにアパートの下で煙草を吸いながらハイボールを飲んでいた。私が金麦を片手に帰宅すると優しくこんばんは、と挨拶してくれた。おじさんも、スーパーの店員さん、コンビニの店員さんもみんな元気でいてほしい、私はもうここを出るけど、みんな、みんな、元気でいてくれ、なんだかんだこの街に愛着があるんだと思う。郵便局も喫煙所も公園も、人も、ここに住んでいた自分のことも、なんかもう全てがふしぎに感じられた。母親と家までの道を歩くのもふしぎな気持ちだった。いつも見ていた清掃工場の煙突の方を振り返る。

この部屋で過ごす最後の夜。新しい街への期待と出ていくこの場所への思いでいっぱいになり、ほとんど眠れなかった。

***

新居もあっさり決めてしまった。内見に行くため世田谷線に乗っているとき、この街だ、と直感で思った。ここにわたしは住むんだ、と思った。引越し費用や家具家電の購入など諸々含めてかなりかかってしまった。ばかげている。

引っ越してから2週間ほど経った。旧家に貼っていたポスターを貼ったらすっかり自分の部屋になった。新しい住所も何も見ずに書けるようになった。
自分の手でだめにしてしまった生活をここでもう一度やり直そう。新しい鍵で201号室のドアを開けた。


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