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卒業

大学の卒業式の前日だから何か書いてみようと思ったけれど、最近長い文章を書くことに対して疲れるな、と思ってしまっている。何よりも、自分の文章力の無さや言語化することにすごく時間がかかってしまうことに嫌気が差している。やばい!
今パッと思いつく中でも、大学の4年間を振り返ると反省点しか浮かんでこない。こういうところがつくづく自分だなぁと思う。だけど、今まで通ってきた”学校”というフォーマットの中で一番楽しかったように思う。年齢とか、住む場所とか、一人暮らしという環境とか、色々な要因はあるけど、自分というものの輪郭が10代の頃より見えてきたのが、大学に通っていた18歳〜22歳な気がする。もう多分おとなで、どこにいても私はもう私なんだと思う。
脚本について勉強できたことも初めての経験で興味を持てた。過去に書いた脚本を読み返していたら、その台詞に励まされるという感覚になったことがあった。自分で書いたはずなのに、物語の中からその人物が私に向かって呼びかけてくるような不思議な気持ちになる。社会に対してほんと絶望することばっかりだから、せめて自分で作れる物語の中の人物だけは誰も傷つかない、無責任じゃないやさしさの中にいてほしいと、祈るような気持ちで書いていた。もうぜんぶやめてしまいたいと泣きながら、レッドブルを飲みながら朝になって通販番組見ながら、コメダ、サンマルクカフェ、ベローチェ、ミスド、東中野のアトレ内のカフェ、色々な街でコーヒー飲みすぎて具合悪くなりながら、自分なりに脚本に向き合ってきた日々。台詞として書いていた言葉たちは、本当は自分自身に言いたかった言葉なのかもしれない。

大学4年間で出会って仲良くなれた人たちにも感謝しかない。自分1人ではできなかったことがたくさんある。ひとりにはなりたいくせに、さびしい思いはなるべくしたくないと思っているわがままな私に、友達はいつもさびしくなくしてくれたし、たくさん近況やどうでもいい話を聞いてくれた。地元からの友達で、一緒に上京してきた友達にも本当に感謝しかない。知らない街で一人になるのはまるで孤独になったような気になってしまうけど、そういう時に知っている人がいることに何度も救われた。たまにどうしても1人になりたくなってしまうけど、そういう時こそ本当に会いたい人のことが浮かぶ。いつも浮かぶ顔は大好きな人たちのこと。

この前沖縄で海を見た時、こんな大きな水のかたまりを前にして平気でいられるわけもなく、だけど、考えてみても何をどう感じたのか、全然言葉にできなくて情けなくなった。私は感じたことを全部言葉にしようと努めてしまうくせがあるけど、言葉にできないという感覚を認めてあげること、もっと言えば、言葉にできないからこそ自分にとって大事にしなくちゃいけない感覚なのではないか。そんなふうに考えたら、自分が大事にしたい気持ちのことがはっきりと見えてくるような、そんな気がする。
だからこの4年間の、大学生という肩書きを持った生活の中でうれしかったりかなしかったり苦しかったり幸せだったりしたことは、言葉にできなくてもいい。それでもいい。だけど、やっぱりどうしても気持ちがあふれてしまう時があるから、結局言葉をあきらめられず、言葉と気持ちのあいだをのたうちまわっている。




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