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環資「市民科学と市民と社会」

<プロフィール>
宮下絵夢フェリチタス Miyashita Emu Felicitas
東京農工大学 農学部 環境資源科学科 環境毒性学研究室
長野県飯田高校出身
CitizenScience.Asia/Leadership Team メンバー 日本代表


<経歴>
2015年4月東京農工大学入学
2017年10月ドイツ留学 フンボルト大学・Zalfで研究
2018年1月市民科学団体CitizenScience.Asiaにスカウトされ、Leadership team兼Japan ambassadorとして活動を始める
2018年3月ドイツ留学から帰ってくる
2018年4月東京農工大学大学院入学

市民科学を社会に浸透させることが目的である団体「CitizenScience.Asia」の日本代表として活動する宮下さんにお話を聞きました!
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市民科学とは


―――市民科学とは何ですか?
市民科学というのは「一般の市民が何らかの形で科学的な研究に携わるということ」と定義されています。
基本的には市民がボランティアで参加するものに限られていて、一般的に多いのは動植物のモニタリング調査です。
モニタリングがメインだからそのイメージが強いけど、企画から調査、そしてデータの解析まで市民が関わっているプロジェクトもあります。


市民科学団体「Safecast」のイベントで通訳をする宮下さん

世界的に見ると、実は日本は市民科学の歴史が古いです。西暦800年ぐらいから毎年桜の開花の記録を市民が記録していて、1200年のデータの蓄積があり世界で一番古いです。
そのデータが文化的な価値だけじゃなくて気候変動とか海外の論文で使われたりするので、市民が集めたデータが科学研究に活用されている例としてあげられます。
市民科学という言葉は新しくて、研究分野としても新しいですが、市民科学は人類の歴史の中で実施されてきたことです。


市民科学のプランを考えるワークショップでメインファシリテーターを務める宮下さん

———科学者が市民科学に対して期待を寄せていると聞いたのですが??
一番の理由は、広域的なデータが取れることです。一人の研究者じゃ絶対にできないことが大規模になると何十万人とかの、それだけの数の力は大きいです。2つ目は長期的な調査が可能になることです。例えば、研究員だと修士なら2年だし、博士なら3年だし、一つの研究にかけられる時間は限られているけど、市民のプロジェクトとして一度設立してしまえば、長期間のデータが取れるようになります。3つ目は予算の都合が大きいです。市民が観察記録を集める際の試料を採取するためにかかる費用は、基本的に自己負担になります。その結果、研究機関の金銭的負担が減るので大きい規模の調査ができるようになります。
あと注目されている理由はスマホです。スマホが市民科学をものすごく前進させました。スマホに取り付ける測定する機械や、アプリやネットワークが発展してきました。例えるなら、市民一人一人が高機能な測定器を持っている感じです。なので、最近はスマホを活用したプロジェクトがものすごく多いです。
市民科学は技術力向上のおかげで盛り上がってきていますが、残念なことに日本はその波に乗り遅れてる感があります。歴史的に長期間で優れたプロジェクトがたくさんあるけれども、現代の技術を活用する若者を巻き込めてないというのが日本での一番の大きな課題です。


市民科学に興味を持ったきっかけ


―市民科学に興味を持ったきっかけは?
「どうしたら日本で市民の科学への興味のなさや諦めを減らせるかな」って疑問を抱えている時に、留学の前に大学の特別講義で市民科学の講演を聞いて、「市民科学には、市民と科学を繋ぎ、市民が環境に対して興味を持って、権利も主張でき、責任があるということを自覚できるきっかけになる。」と思ったのが興味を持ったきっかけです。
環境を良くしたいって思いが根底にあって、その手段として市民科学を捉えています。そして市民科学に触れていくにつれて、手段であり理想形だなと気づきました。環境問題の解決には一般的には、トップダウンとボトムアップの両方やり方が考えられると思うのですが、個人的にはボトムアップ的な動きがあると一番良い形で変えられると思っています。


農工ラジオに出演した宮下さん

福島の事故が起きたときに、ドイツ政府がドイツ国籍を持ってる人たちに「国外退去しろ」と通達をして、ドイツは日本の原発事故をきっかけに推進から完全に反原発に変わりました。それは一般の市民が「原発に反対」って主張して、それに対して政府が耳を傾けている印象がありました。
それに対して日本では、事故が起きた当時は原発に関する議論がなされていましたが、だんだんされなくなったし、デモやっている人がいてもほとんど相手にされないみたいな雰囲気があると感じました。一方ドイツでは、市民が自分たちの考えていることを公共の場で発言してそれが上に影響を及ぼす公共権みたいな権利があります。しかし、科学や政治と一般の市民が交わる公共の部分が日本にはないと感じています。
また原発のことに限らず、日本では市民と科学の距離が遠いし、政治に対する距離が遠いと感じています。科学等は専門家に任せるものって感じが強くて、市民は興味も責任もない様に見えます。そこにはどうせ言っても声を聞いてもらえないだろうっていう諦めもあるのではないでしょうか。


「CitizenScience.Asia」の日本代表としてのこれからの活動では、アジア圏での市民科学を発展させるためにネットワーキングしたいと思っています。
自分たちが何らかのプロジェクトを運営するというよりは、同じようなプロジェクトやってる国同士が一緒にできるようにとか、国内のプロジェクトでお互いにどういうことをしているかを周知したり、プロジェクト同士の架け橋になりたいです。

2019年4月23日
文章:上木康太郎


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