Mr.Children/SOUNDTRACKSー前編:いつの日もこの胸に流れてるメロディを抱きしめて
拝啓
Mr.Children様
年の瀬隣忙しい季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか?
こんな素晴らしいアルバムを出すくらいだから元気ですよね。年末の歌番組にもたくさん出られますし。こちらも、色々ありますが元気です。
いつもいつも、僕の人生に関わっていただき、ありがとございます。
さて、突然ですが、僕は、もうこの気持ちを表す語彙を持ち合わせておりません。
アルバムを拝聴しましたが、どんな言葉を並べるべきかわからないのです。ひとまず、「ありがとう」でよろしいでしょうか?
初めて『優しい歌』を聞いた時のことを思い出しております。
あれから、時は経ち、僕は音楽リスナーとして立派に育ちました。そう言い切れます。言い切らないと、あなた方に出会った意味がないですから。何もかも、あなた方のおかげです。
あなた方に手招かれ、色んな音楽の扉も開きました。どれも美しかったです。そして、また、ここに帰ってきました。ただいま。
「おかえり」って言われてる気になりました。
どうして、どうしてあなたはいつもそんなに優しいんですか?
一体全体、僕の人生の何割に関わるおつもりなのですか?全部ですか?全部ですよね。それを今日感じました。
全部がMr.Childrenでした。嬉しくて嬉しくて、涙が出ます。
あなた方がいなければ、僕の今はありません。
ありがとうございます。
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Mr.Childrenにとってのいい音を極めた最高傑作
待ち望んでいたそれが、期待以上の代物すぎて、言葉を無くしている。
中学生の頃からずっと好きで追っているが、間違いなく今が1番良い。
はあ…ため息が無限に漏れる。
一度でいいから、そろそろ4人に会って、お礼を言いたい。(握手券CDにつけてくれない??)
すごいなあ。
もう他にどんな言葉を羅列すれば良いのかわからない。果たしてこんなブログを書く意味があるだろうか。
なんと言っても、音が良いのである。
これに尽きる。
桜井和寿のボーカルが最も美しく響き、JENのドラムがかつてないほどハッキリと聞こえ、ナカケーのベースがその世界を支える。そして、田原健一のギターが優しく寄り添う。
水辺に落ちる雨のように、ピアノが自然の摂理に習って美しく響く。暖かな光が差し込み、それが部屋に希望をもたらす。
気がつけば、僕は空を飛んでいる。
しかし、ここは大宇宙ではない。間違いなく地球である。その時わかった。重力から解放された者だけが見られる景色、これをMr.Childrenは僕らに見せたかったのだと。何より、彼ら自身が一番見たかったに違いない。
ちゃんとした音源で、高くなくても良いから、ちゃんとしたスピーカーで聞いた時の感動は言葉にできなかった。音が立体的に目の前に現れる。空気を振動させ、それが身体全体を抱きしめる。
新しい音を探究し続けるMr.Childrenは、ギター=田原健一(いつも名作の影に確かな存在感を放つ天才)の一言でロンドンに飛ぶことになる。
海を越え、自らの運命に導かれた末に出会ったスティーヴ・フィッツモーリス氏、サイモン・ホール氏などとタッグを組み、この音を作り上げた。
桜井「バンドはいたってシンプルなことをやっていて、あとはサイモンが弦、ブラスのアレンジでダイナミクスを作ってくれたり、よりロマンティックに響かせてくれて。そのバランスが絶妙だったんですよ。これがもし、今までのようなバンドの音で録ってたら、やたら弦がフィーチャーされたゴージャスな音に聞こえてしまったと思うんですよね。スティーヴが僕ら4人の音を生々しく録ってくれて、それが骨格になっているから、これだけふんだんに弦を使ってもバンド感を損なわずに済んだんじゃないかと。肌ざわりまで感じられる音だし、バスドラの革が揺れてる音がするというか(笑)」
↑小林武史のこと言ってるんですかねこれ?(それ以上触れるな)
数多の音楽作品を聞いてきたが、ここまで良い音は初めてかもしれない。よく知ってるバンドが、僕の知らない音を奏でるのである。もはやミステリーである。
思えば、サブスクで音楽を聴くことは生活の中の常識で…仕事から帰ってきて、洗い物をしながら、筋トレをしながら、何かをしながら聴くことに慣れていた。僕らには時間がなく、やりたいことは山ほどあるのだから、そうならざるを得ない。
それも、僕が愛用しているのは、Bluetoothの3000円のスピーカーである。
いや、音は十分に良いし、お風呂でも聞ける所が気に入っている。何より軽い。
僕はオーディオのオタクではないからそれでいい。それに、良い音楽は、どんな環境下でもいいと思っていた。どんな状況であれ、良い音は自分の耳でわかると…そう思っていた。
しかし、僕らはもっと「貪欲になるべきであった」とアルバムを聴き終えて感じたのである。
最近、少し手間にはなるが、PCにちゃんと繋いであるスピーカー(10000円以下なのでオタクに叩かれそう)から聞いている。格段に安いBluetoothと表現力が違う。イヤホンでは閉鎖的になる音も、ここでは開放的に響いてくれる。
わかっていたはずのことを、彼らは僕に改めて教えてくれた。
つまり、2020年の様々な生活様式の変化に習うように、本来あるべき音楽の形を、彼らは提示したに違いない。ちゃんとしたスピーカーで、ちゃんと座って音楽に向き合う。向き合えば音楽は応えてくれる。
学生時代、CDMDコンポの前に座り、何かの儀式でも始めるように、歌詞カードを読みながら、BUMP OF CHICKENのアルバムを聞いたことを覚えている。今でも定期的に聞く程度には大好きな作品である。
偶然か、必然か、2020年の僕が手にしたジャケットには一本の大きな木が立っている。どうやら一周してきたらしい。おお神よ…
ところで良い音ってなに?
この場合は、バンドメンバーの音が確かな輪郭を持って捉えられ、それが桜井の歌を邪魔せず、なおかつストリングスなどの装飾がちょうどいい塩梅でコーティングされていることを指す。
Mr.Childrenはここ数年、桜井和寿の歌の為のバンドアンブルとストリングス等とのマリアージュを研究してきた。それは、メンバー全員が合意の上の行動と選択である。その結果として、音楽が最もダイレクトに、正しい形を持って、まるで生きる悦びを謳歌するように届くことに成功したと言える。
おそらく、これは、僕が彼らのファンだから言えることではない。どんな人間が聞いても、この音に気づくことができる。
普通の人が聞いてもわかる…と言うのは、あくまで彼らが大衆ポップスのど真ん中を堂々と歩いてきた所以であるし、それが本作でも変わらないことが、愛しくて仕方ない。
楽曲とアルバム構成について
改めて再生していく。
①『Dancing shoes』のイントロを聞くだけでニヤついてしまう。心臓のリズムの中をゆっくり、しかし燃え盛るような熱で流れる血のようなギターリフが聞こえる。
これは、本当にMr.Childrenのアルバムの音だろうか?と何度も戸惑い、そして嬉しくなる。
息を殺してその時を待っている
いつか俺にあの眩い光が当たるその時を
でも案外 チャンスは来ないもんで
暗いトンネルの中でぼんやり遠くの光を見てる
だけ
華やかなサクセスロードを小林武史と歩み続ければいいと思っていたあの頃。そこから勇気を振り絞り、一歩を踏み出し、足音を鳴らしてくれたのは、ここ最近のことである。
トンネルを抜けると
次のトンネルの入り口で
果てしない闇も 永遠の光も
ないって近頃は思う
だから
「自分のせいと思わない」
とか言ってないでやってみな
(天頂バス)【2004】
誰かのせいとも思わず、とにかくやるべきことをやる。その結果が、この音を導いたのだと僕は思う。
その両足にかせられた負荷に
抗いステップを踏め!
弾む息を大空に撒き散らして
君は思うよりカッコ良い
さぁ Do it, do it, do it, do it!!
Hey guys, come on
Let you wear the dancing shoes.
その両手に繋がれた鎖
タンバリン代わりにして
踊れるか?
転んだってまだステップを踏め!
無様な位がちょうど良い
磔の刑になったって、明日に向かって生きていく…そんな開き直りとは違う何かが、今の彼らの中には、宿っていることを確認する。
負荷とは、重力のことだろうか?あくまで、前作からの延長線上に、今があることを歌う。
彼らは、その中で踊る。無様だと笑われたとしても、それが自分の信じる格好良さだとわかるから。
ストリングスとギターが競い合うように、お互いを高め合っていく。あの頃みたいにケンカすることは決してない。互いの存在を認め合いながら、少しだけストリングスが前に出る。「弦ってこんなに綺麗なのか…」と言う感情に至る。
そのストリングスの美しさを維持したまま、前述の②Brand new planetへ移る。
目の前に広がる新しい惑星、新しい空気を吸いこむ。いつの時も、伸びやかに、まっすぐに届く最高のボーカル。それと肩を並べる最高のバンドサウンドの融合は、化学反応を起こし、最高の音楽を我々に届ける。
静かに葬ろうとした
憧れを解放したい
消えかけの可能星を見つけに行こう
何処かでまた迷うだろう
でも今なら遅くはない
新しい「欲しい」まで もうすぐ
桜井は、特典BDの中で「僕らは、僕らが足りないことを1番自覚してるバンドであり、その足りない部分を小林さんが補ってくれていた」と言う旨を話していた。
長い間、第一線でバンドを続け、富も名声も、達成感さえも手に入れた人達がそれでも「足りない」と口にするのは意外と思うかもしれない。
足りないことを自覚した者が、新しい自分たちのピースを探しにいく。詰まる所、リフレクション以降の彼らには、そんな姿勢を確認することができた。
自らの手の中で飼い殺し、葬ろうとした憧れに、もう一度手を伸ばすその姿は、多くのリスナーに勇気を与えてきた。
そう、彼らは間に合った。新しい「欲しい」に手を伸ばしてきた。たとえそれが、果てしない闇の向こうにあるものだったしても。
音が変わるよりも前に、僕はその姿勢を見てきた。だから今日と言う日がラッキーではなく、ちゃんと訪れる必然だと言うことを知っていたのである。本当に嬉しい。
弦が綺麗なのはストリングスだけではない。続く③turn over?が流れだすと、さらに明確にギターの鳴り方やドラムの音まで変わったことがわかる。ボンゴの最後の響きが、わずかに聞こえる。この余韻こそが、音楽の幸せである。くるりの『ワルツを踊れ』を聞いた時と似ている。
目の前の景色は、どこか楽観的に、あるいは病的な開き直りをするようなリズムから一転し、スローテンポを重ねて④君と重ねたモノローグにたどり着く。
幸福のスタンプをまっさらな紙に押すようなドラムは、しっかりとした打音だけではなく、その音の返しや振動まで聞き取れるくらいデリケートに鳴る。
やはり、ストリングスだけではなく、すべての音のクオリティが格式高い所に導かれたのがわかる。そして、これを最高の歌にする桜井和寿のボーカルは何年聴いても飽きが来ない。
特に終盤のストリングスとバンドの絡み合いは、聞き応えがある。一歩一歩踏みしめるように動き始めたドラムが、運命の名の下に加速し、リスナーの記憶や走馬灯と重なるように鳴り響く。JENは本当に上手いなあ…と言うことは、素人ながらによく思うことであるが、今回は特に覚醒している。
最後の音が切れた後の静寂は、もはやクラシックの領域に近い。PVに使用されたような、音楽の神を導く為の場所に、尊い誓いが響く。
世の中にこんなに美しい音楽があっていいのだろうか?
それを、ずっとずっと好きなバンドが鳴らしているのはすごくないか??ただただ、そんな気持ちが胸の奥底から込み上げ、何度も涙が頬を滑り落ちる。
アルバムは粛々と進み⑤losstimeへ。
希望に満ちた夜が明け、朝日と共に君と別れ、それを回想しながら、前に進もうとする主人公はある老婆に自分を重ねていく。
だんだんアルバムを聴き進めていくと、それが老いや終わりを受け入れた者だからこそ踏み込める領域であることがわかってくる。
振り返れば、前作『重力と呼吸』は、ダイナミックかつ若さに溢れた作品であったが、「おっさんの無理してる感」も多少は漂っていた。(失礼)
桜井「特に僕はボーカリストなので肉体の衰えには自覚的だし、受け入れなければいけないと思っています。ですが、実際にやってみると、まだ余力があった。ツアーが進んでいくうちに、気が付いたら不安よりも自信のほうが大きくなっていた。『俺らまだまだできる』って」
ある種の宣戦布告も、セルフプロデュースの音もそうだったし、「俺たちはまだこんなにやれるぞ!?すげえだろ!!」と自身に訴えかけるような音楽がたくさん収められていた。
桜井「音楽そのものの中にメッセージを込めてはいないけれど、(26年目を迎えて)今もなお叫びがある、そのこと自体がメッセージになり得るから。年齢も経験も重ねていくなかで、死というものをどこかで意識するようにもなった。だからこそ力強く生きる音に対するあこがれが強くなっている。今の僕にとっては、死ぬか生きるかのところでスプリント(全力疾走)していくことがすごく魅力的です」
いわばアスリート的に駆け抜け、老いていく中で、まだまだ限界まで足掻くことを表現していた。それは、あの段階では必要なことであったし、ミスチル自体のバンドサウンドが筋肉質な物に変わったのは嬉しかった。
しかし、今作を支配するのは全てを受け入れる潔さと達観された何かである。
「やらぬ後悔よりやる後悔」と言わんばかりのアクションを起こした後には、未練さえ消え、運命を受け入れるだけだったのかもしれない。
「歳をとっても若いってのは格好悪い」…誰かが言っていた。「年相応」と言う言葉とはまた違う。
いくつになっても最新鋭のファッションに身を包むようなギラギラした人間ではなく、たった数着の愛用してきたジャケットを羽織り、トレンドを否定せず、飾り過ぎず、服を着る為の体作りを怠らない人は、その人本来のアジがヴィンテージのように滲み出る。
今の彼らは、まさにそんな雰囲気である。
老いることを受け入れながらも、これまでの経験を糧にして、新しいもの、未知を取り込むことを恐れず、自分たちの為に、自分たちが楽しいと思う音を奏でる。
それが、自分と関わってくれる人の毎日を彩るサウンドトラックになる。なんという幸福。
そんな思いに浸っていると⑥Documentary filmの旋律が聞こえてきた。またしても綺麗なドラムである。この曲が1番音の塩梅がいい。全ての楽器が喜んでいる。
今日は何も無かった
特別なことは何も
いつもと同じ道を通って
同じドアを開けて
昨日は少し笑った
その後で寂しくなった
君の笑顔にあと幾つ逢えるだろう
そんなこと ふと思って
ああ、僕はあと何回、彼らの新しい曲を聴くことができるだろう?
あと何年、その活動を見ていられるだろう?
僕は、きっと死ぬときに彼らの曲を脳内で流す。ずっと続いて欲しい。
桜井は「あと10曲くらいめちゃくちゃいい曲を作ったらバンドを辞めたい」と昨年の札幌のライブで話していた。それは、悲観的なことではなく、自分たちが歳を重ね、自分たちの納得できる形で終わりを選択する覚悟が、彼らの中にすでにあることを物語っていた。
僕はその時、何を彼らに伝えれば良いだろうか。何を言葉にすればいいのか。
ただ、僕とMr.Childrenの、誰にも見せられない映画、その日々が、今一度、残酷で美しい輝きを持ってリフレクションするのがわかった気がした。再び、その歌に耳を傾けていく。
希望や夢を歌った
BGMなんてなくても
幸せが微かに聞こえてくるから
そっと耳をすましてみる
すごいことを歌うバンドだな…と改めて感じた。
自分たちの歌は、別に「希望や夢そのものではない」と言ってるようにすら聞こえる。たまに誰かがつぶやく「音楽に救われた」と言う言葉に違和感を感じるのは、その為だとわかった。音楽そのものが人を救うことはない。
桜井「これは以前から、ずっと言ってることなんですよ。Mr.Childrenは世の中に訴えたいことやメッセージを吐き出したいバンドではなくて、聴いてくれる人たちの人生のサウンドトラックになりたいという気持ちが強くて。僕は歌っているし、曲を作ってはいるけれど、主役は僕ではなくて、歌の主人公はあくまでもリスナー。その気持ちはけっこう前からあるし、さらに強くなってますね。特に今回のアルバムは、これまで以上に日常がベースになっていて。起伏のない日々が少しでもカラフルに見えるようなサウンドトラックになればいいなと思って、このタイトルを付けました。」
あくまで、リスナーたちが、日々の幸せに気づくきっかけになればいい、そう彼は願う。そして、僕は今まで何度彼らから気づきを得ただろう?数えればキリがない。
今日もまた、その気づきが増えたり、あるいはブラッシュアップされて、毎日は続いている。
音楽を聴いてない時ですら、いつの日もこの胸に流れてるメロディが確かに存在している。
新しい産声を上げるように⑦Brithdayが始まった。どんな時も威風堂々と吹く向かい風のように、追い風のように、ストリングスが目の前を横切る。この風に乗れば、どこにでも行ける。
バンドの音は、いたってシンプルであるが、異様な緊張感すら漂う。エゴの強いギタリストでもいれば、一瞬で崩れ落ちるバランスでこの曲は成り立っている。田原健一の、控えめだが確実に良い仕事をこなす所が、僕は大好きだ。
君にだって2つのちっちゃい牙があって
1つは過去 1つは未来に噛みつきゃいい
歴史なんかを学ぶより解き明かさなくちゃな
逃げも隠れも出来ぬ今を
生きるほどに過去は美しく、自分の無知を知る。未来は、わかりようがなく、逃げたくもなる。しかし、その2つに噛みつき、あくまで今を彼らは真っ直ぐに走る。
いつも今、今なのである。過去にも未来にも身を置いてはいけない。今にしか僕らは生きられない。
残酷に過ぎる時間の中で
きっと十分に僕も大人になったんだ
悲しくはない 切なさもない
ただこうして繰り返されてきたことが
そうこうして繰り返していくことが
嬉しい 愛しい
(HERO)【2002】
そして、たくさんの今を生き、終わりを迎えていった誰かの命を讃え、僕らもまた今に立ち向かう。それを繰り返すから、愛しさは生まれる。
そう、今日もまた誰かが生まれる。この命は、そんな地続きを駆け抜けるのである。
本作のほぼ全ての答えが叫ばれた後に聞こえてきたのは、何ともジャジーで上品な⑧others。ゆっくりと確実に今が融解し、終わりが顔を覗かせる。
古くはheavenly kissもあったし、ピアノマンやmy sweet heart、インマイタウン…このジャジー路線は彼らの中に、確かに存在した流れである。
ニヤニヤしながら待ち続けた瞬間、それが、今この瞬間に完成したのである。ずっと待っていた。
どこかのジャズバーにでも入ったら、偶然居合わせて欲しい音楽。今、僕の気持ちは、彼らと溶け合いひとつになる。
そしてMr.Childrenはいつも楽曲に仕掛けを用意する。
桜井「(25周年のライブのような)ああいったものをMr.Childrenに求めている人が多いかもしれないんだけど、次の作品も同じようなものだったら、満足する半面、がっかりもすると思うんです。求められるものに応えすぎたら絶対に飽きられる。期待に半分応えて、半分裏切る。なんてこと言ったら戦略家みたいで嫌だけど(笑)。でも、裏切りながら、結果的にお客さんが望むものになっていくんじゃないかという自信があります。直感的に」(重力と呼吸インタビューより)
CMで聞いた時の印象とずいぶん変わってしまった。これはいつものラブソングではない。
テーブルの上の灰皿 アメリカ史紐解く文庫本 それはきっと彼のもの
「そろそろ行くね」って
僕の言葉を待っていたかのよう
無駄のない動きで君は そう僕に手を振る
ベッドで聞いていた blues
誰の曲かも君は知りはしない
きっと彼の好きな曲
愛し愛されてたとしても
そう感じられるのは一瞬で
その一瞬を君は僕に分けてくれた
裏切り。桜井和寿は、気持ちよく裏切る。
盲目的な恋の中で、一瞬だけそのメガネに写ってしまった曇りを、僕は見逃さない。
「僕なんかがこんなに幸せでいいだろうか?」と思ったその直後に、やはり突き落とされる展開。どこか冴えなくて、足りない男の物語…身に覚えがありすぎて嫌になる。こんな気持ちをわかるのは、やはり桜井和寿、あなただけらしい。
バンドの音も素晴らしいが、まさに氷のような感情を溶かしていくのは、美しいボーカルである。惚れ惚れする。
正直、「あれ?桜井和寿?歌上手くなってない??」と言う想いがある。何度も何度も聞いてきた愛しい声が、ここに来てさらに魅力的に聞こえるのである。特に、高音部分から溢れ出す切なさに、胸が締め付けられる。
これこそが、彼の歌声を史上最高に魅力的に聞かせることこそが、本作の狙い…本当にとろけそうである。勘弁して欲しい。
長いアウトロの中で、僕らはその印象をまとめていく。これ以上何を、どんな曲を聞かせてくれるのか。全く想像がつかない。
胸を締め付けられるよう夜を何度も経験し、また朝が来て、夕焼けがビルをオレンジに染めていく時、⑨the song of praiseが始まった。何度壊しても、積み上げても、いつもと変わらない残酷かつ幸福な今日がやってくる。愛しくてたまらない今日がやってくる。
いつも取るに足らないことに頭悩まされてた
毛頭
それで何か変わりそうな予感すらしていないのに
だけど逃げるは論外
だって他に行き場なんかない
昔は 自分の価値を過信しては
高い空を見上げて過ごした
-僕に残されている
未来の可能性や時間があっても
実際 今の僕のままの方が
価値がある気がしてんだよ
矛盾している。新しい「欲しい」を望んだはずのバンドが現状を維持を望んでいる。初めて聞いた時、全く意味がわからなかった。
しかし、桜井和寿の歌詞は、一貫性がないように見えて、ある時が多い。
その代表例は
ねぇ くるみ
時間が何もかも洗い連れ去ってくれれば
生きる事は実に容易い
(くるみ)【2003】
憂鬱な恋に 胸が痛んで
愛されたいと泣いていたんだろう
心配ないぜ 時は無情な程に
全てを洗い流してくれる
(終わりなき旅)【1998】
上記のようなものであるし、これはおそらく、どちらも真理だろう。
時が流してくれることもあれば、どんな手段を以ってしても洗い流せないこともある。桜井は、双方の可能性を肯定する。
そして僕は、僕の人生を、様々な居場所を肯定したあの曲を思い出した。
今 僕のいる場所が 望んだものと違っても
悪くはない きっと答えは一つじゃない
「愛してる」と君が言う 口先だけだとしても
たまらなく嬉しくなるから それもまた僕にとって真実
(Any)【2002】
あの頃から、桜井はずっとそうだった。仕事や会社、好きな女の子といる時、友人といる時、何か社会と噛み合わない時、僕は僕の居場所と僕を否定するしかなかった。
だけど、桜井和寿は、様々な居場所、その中に存在しうる様々な答えを肯定していた。
その場所が、僕と不釣り合いでも、その中に決められた答えがあっても、僕は僕の答えを見つければいい。または、場所を変えれば、環境を変えれば、自分の探してた答えは見つかるかもしれない。自分の探してた答えなんて変わってしまうほどの場所もあるかもしれない。
誰も何も決めてないし、決められてないのだから。何が真実か見極め、手にするのは僕である。
「遠い町で暮らしたら
違う僕に会えるかな?」
頭を掠める現実逃避
さぁ 叫べ Les Paul よ
いじけた思考を砕け
新しい「欲しい」まで もうすぐ
(Brand new planet)
やはりどちらも桜井は否定しない。それは自分たちの選んできた道、過去、音楽を肯定することと同じ意味を持つ。その果てに、今がある。
積み上げて
また叩き壊して
今僕が立ってる居場所を
嫌いながら
愛していく
ここにある景色を讃えたい
だからこそ僕らはこの景色を讃えたい。
今も、過去も未来も否定しない。この場所も、あの場所も、まだ見ぬ場所も。この音楽をそばに置いて。優しい歌が、僕の手をしっかりと握り返す。
すべての過去を引き連れて、未来へ響いていけ。
今を生きる君の、その傍にいる僕の証として。
⑩memories
泣きアニメのイントロみたいな音が聞こえる。だけど、全然いやらしくはない。もう涙を流すのにも飽きて、感動のあまり笑みが溢れ続けている中で最後の曲にたどり着いた。
桜井「memoriesはクリックをまったく聴かないで、まずはピアノと僕だけでレコーディングしたんです。それに対して弦を合わせていくレコーディング方法だったので、事前のコミュニケーションがすごく大事だったんですよね。」
バンドの音は全く聞こえない。桜井和寿の声とピアノ、ストリングス。それ以外は何も聞こえない。今ならそれもいいだろう。ここまで、4人で充分に摩擦させ、調和させ、ひとつになってきた。
きっとこれは、いつかバンドも終わり、ひとりきりになってしまった時の景色。だから桜井和寿ひとりが、僕の前に立っている。
夜空には、様々な人たちと過ごした思い出が煌めく。そのひとつひとつが大切で、その全てが満点の星空を作り出す。
綺麗な音に夢中になってしまい、油断した所に転調が来る。
最後の最後まで、いい加減にしろよ…と言う他にないくらいダメ押しのメロディが、僕の涙を手招きする。
ああ、僕の人生は、Mr.Childrenに出会って、色んな人に出会って、とてもとても幸せだった。そう思えるように死にたい。そのために生きる。
ありがとう。
SOUNDTRACKSとは何か
名盤すぎて開いた口が塞がらないし、その中にマシュマロを詰め込まれたら「ああこのまま死んでしまえるならそれも良い。君の吐息、甘い雰囲気に埋もれて」って言える自信はある。
Mr.Childrenは、あまりに僕の日々に濃密に近寄り過ぎている。
まず、わかるのは、ここまで生と死を明確に扱ったのは、深海やシフクノオト以来であること。
そこにあるのは、自虐的に望んだ死でもないし、病の中の話でもないし、世界の悲惨さにまで目を向けたからわかる死ではない。
もっと身近で、いつか、必ず来るもの。
何気ない幸せや日常を歌った『HOME』の時は、それに死のカラーを具体的に描き足すことはなかったが、今回は違う。もっとフラットに、逃れようのない終わりを受け止めることを、彼らは生きる喜びとして音楽に刻むことに成功した。
そして何より、大事なことなので何度も言うが、Mr.ChildrenがMr.Childrenらしくいられるための、その最善の音が、僕らのサウンドトラックになる…と言う点が、素晴らしい。
言うなれば、これは彼らが、やっとのことで手にした呼吸法によって、あるがままの心で生きられる強さを獲得した作品である。
そして、それがリスナーの人生に、これまでよりもっと近く、深く関わっていくサウンドトラックになることを証明した音楽。
そんな印象が、整理できないまま、僕がたどり着いた思い。とにもかくにも
ありがとう。
としか今は言いようがない。
これからも、彼らがずっとバンドをやりたいと思って、続けてくれる限りは僕も寄り添いたい。
それは、いつの日もこの胸に寄り添ってきた音楽に対する礼儀であり、僕が僕の意思でやりたいことである。
僕の人生に関わってくれてありがとう。
愛してる。