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罪悪感なんていらない
何を思って、どんな目的でその国に来ているのか。
それは人それぞれだと思います。
長い海外生活の中、いろんな人を見てきました。
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日本食が恋しくなると、ちょっと遠くても(それから、高くても)たまに日本レストランへ行くことがあります。
そういうお店で働いている日本人のスタッフさんを見ると、「偉いなぁ」(上から目線っぽく聞こえたらゴメンなさい。そんなつもりはないんですけど・・・)と感心するのと同時に、いつも罪悪感に襲われていました。
私は、何の心配もなく語学学校に通い、試験に合格し資格も取って「準備ができてから」仕事をしました。
色々と恵まれていた、と思います。
だから、幾ら自分は自分なりに仕事をしていると言っても、まず語学の勉強に専念する時間を十分に与えられた自分は、何だか「ずるい」ような、「楽をしている」ような気がしてしまっていたのです。
今にして思えば、必要のない罪悪感、です。
それに、そんな風に「楽をした」自分は「言葉も不十分なのに海外で頑張って働いている(自分の力でお金を稼いでいる)」人に比べて、劣っているとさえ感じていました。
これもまた、意味のない劣等感、です。
状況が違えば、そこにはまた違う苦労があります。
同じ国にいるから、同じ日本人だから・・・というのは、それだけでは比較する基準にもなりません。
比べようなどないのです。
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平坦な道なんかどこにもなくて、山もあれば谷もあり、です。
私のように、勉強する時間を十分に持てたからといって「苦労しなかった」というわけではありませんしね。
自分が「苦しい」、「大変だ」と思うのであれば、それは苦しいし、大変なのです。
それに対して周りが「そんなことはないだろう」とか「甘えるな!」と言うことではないし、「他にもっと苦労している人がいるんだから」と言うのも違うと思います。
苦しいものは苦しんです。
大変なものは大変なんです。
「甘えるな」といった発言が励ましになるのならいいのですが、罪悪感や劣等感を感じさせるものなら、気にする必要なんてありません。
自分で決めたことに対して「腹を括る」必要はある、と思います。
どんなに苦しくても、大変でも、そこから逃げないで踏みとどまって頑張れるのは、自分の意思で決めたことだから。
諦めたらもったいないし、悔しいですよね。
でも、自分で「もうここまででいい」と思って止めるのなら、それが「自分の決定」なら、それはそれでもいいんじゃないでしょうか。
「苦しいからもう嫌だ」、「辛くて我慢できない」とかいうのじゃなくて、冷静に自分で見切り判断をつけるのは「逃げ」とは違うと思います。
自分の決定と行動を、ちゃんと自覚するのが大事だと思います。
他人の評価(「そんなの甘えだ!」)を気にすることはないし、他人と比べて(「私、楽してる?」)罪悪感を感じる必要もない、と思います。
「やる」のは「私」。
「やめる」のも「私」。
「やり方」も「私」が決める。
そこに、罪悪感も劣等感もいりません。
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苦しくて、辛いとき、あとちょっとだけ無理してでも頑張ってみると、実はいけちゃったりするものです。(私の経験)
そんなときは、自分で自分を「すごい!本当にすごいよ!」って思いきり褒めてほしいし、喜んでほしい。
私は「自分」を生きてるみんなを応援したいです。
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